第十五話「声」
「君は話せるのかい」
東雲様の、鋭い瞳が僕をじっと見つめる。ぞくっとするほど冷たくて、息が苦しい。
「…は、い」
ここで嘘をついても意味がない。というか突き通せない。観念して返事をする。
「ごめんなさい。…わたし、普通に話せます」
緊張に呑まれそうになりながら、言葉を押し出す。全部は言っちゃだめだ。姉さんと約束したんだから。
和也様に気づかれた時から、こうなるかもしれないという気はしていた。大丈夫。まだ、全部気が付かれているわけじゃない。
「この声で、異性と間違われることが多くて…。家族からも、話さないようにと」
震えるな。目を見ろ。逸らすな。
心の中で、自分を叱咤する。家族が疑われるのは、嫌だ。
昔から、外見も相まって女性だと思われることが多かった。話さないように言われたのも事実だ。完全な理由じゃない。でも、完全な嘘でもない。
震える手を無理やり握った。逸らしたい気持ちをぐっと抑え、目を見つめる。しばらく見つめあっていたが、ふいに、目を逸らされた。
「少し君の家族に尋ねてみるね。辛かっただろう、無理をさせてしまったね」
起こしてしまって悪かった。
そう言って、もう一度、毛布をふんわりと東雲様が掛けてくれる。
パタン。
ドアが静かに閉まって、何かがぷつりと切れた音がした。かくん、とベッドに上半身が倒れ込む。
問い詰められなかったことに一瞬ほっとした。それがすごく恥ずかしい。
せっかく、信頼してもらったのに。東雲様が僕に向けた目は、失望よりも傷ついた色が強かった。
予想していたことなのに、胸が捩れるように痛い。ごめんなさい、ごめんなさい。東雲様はいないのに、何に謝っているかすらわからないのに、口から言葉が溢れて止まらなかった。
◇◇◇
眠ることなんてできるはずがない。
気がついたらもう空が明るくて、これ以上ベッドにいるのも限界だった。
重い体を起こし、リビングに向かう。東雲様だけ起きていて、手紙を書いていた。
「…おはよう、ございます」
「おや、おはよう」
ついさっきあんなことがあったのに、東雲様はふわりと微笑んで何もなかったように返してくれた。
「えっと、子供たちには…」
「あ、わたし、から言ってもいい…ですか?」
さすがに、それを東雲様に説明させてしまうのは申し訳ない。僕これ以上逃げたら、たぶんもっと苦しくなってしまう。
「…うん、じゃあお願いするよ」
東雲様が驚いたように瞬いて、それでも任せてもらった。立ち上がって台所にいる東雲様を見て、きゅっと胸が痛くなる。
「…ごめんなさい」
ぽつ、と聞こえないように呟いた。聞こえたかもしれないけれど、東雲様は何も言わない。
肩にかかる空気が、息をするごとに重くなるような気がした。ふいに、かたんと音がして、僕は弾かれるように顔を上げる。
「おはよ!」
「おはよう」
元気な和奏様と、和斗様を抱っこしながら眠そうに和也様が起きてきた。
「…ぁ、おはよ、う、ございます」
ひゅっと喉がなって引き攣るような感じになり、咄嗟に声が出せなかった。顔を洗いに行こうとしていた和奏様が、あんぐりと口を開けている。
「…え、はる、ねーちゃん?」
話せたの!?という目線が痛い。
「声、キレーだね!」
「えっ…?」
想像していたのとは違いすぎる返答に、ついぽかんと口を開けてしまった。
「じゃあいっぱい遊ぼうね!」
「あ、え!?」
嬉しそうににこにこと言う和奏様に、頭が追いつかない。
「だってお話しできるってことでしょ?」
「やっ、そうですけど…」
もっと責められるかと思っていた。そう伝えると、なんで?と首を傾げられる。
「だってねーちゃんが話せるようになったんでしょ?うれしいよ?」
「やっ…、あ、りがとう、ございます」
違うと言いそうになった口を懸命に押さえた。逃げた、という事実から無理やり目を逸らす。
「和奏、顔洗ってこい。和斗はいい加減起きろ」
僕が挨拶をした時に眉をぴくりと動かしただけで、和也様は平然としていた。はぁいと言って和奏様が駆けていく。
「やだぁあ…」
「おーい」
駄々を捏ねて丸まる和斗様を、困ったように和也様が見た。
「えっと、あの、わたしが見てましょうか…?」
「…じゃあ頼む」
一瞬悩んだあと、和也様が僕に預けてくれた。おや、と見ていた東雲様が小さく呟く。
「和斗様…」
「おっきしない!」
目をぎゅっと瞑ったまま、起きない!と言われた。
「残念ですね、競争しようと思ってたんですけど」
そう小さく呟くと、かっと目が開いた。そして目が合った瞬間閉じられて、今度は薄目になる。
その子供な仕草に吹き出しそうになりつつ、僕は素知らぬふりをした。
「どっちが早く洗面所に行けるか勝負したかったなぁ」
「る!」
あ、和斗様起きた。
そのままよーいどんと言ったら、すごい勢いで走っていく。僕も早歩きで追いかけたら、和奏様がどーんと飛びついてきた。
きゃははと笑い声を上げる和奏様を落ちないようにぐるぐる回す。ふと視線を感じて振り返ると、東雲様が微笑んで僕を見ていらっしゃった。
◇◇◇
「いってらっしゃいませ」
ひと段落したとはいえ、東雲様の仕事はまだまだ忙しいらしい。和也様たちはご飯を食べているので、遥歩さんに任せて僕だけ見送りに来た。
「ふふ、ありがとう。せっかくだし、我儘を言ってもいいかな」
「うぇっ、あ、はい」
予想していなかった言葉につい、間抜けな声が出てしまった。恥ずかしくて赤くなると、にこにこと笑われる。
「『行ってらっしゃい、和真さん』。そうやって言ってみてくれないかい」
「…い、行ってらっしゃい、か…ずま、さん」
東雲様を和真様と呼ぶだけでも難易度が高いのに、さん付けは難しすぎる。
もぞもぞと居心地が悪くて最後の方を小さくしながら言うと、東雲様がぱっと破顔した。
「ありがとう、行ってきます」
初めて見る、すごく明るい笑顔。眉を少し寄せて、ひどく嬉しそうに笑い、そのままドアを開けて出て行かれた。
「…っ、わぁあ…」
いろいろな感情がどどっと押し寄せてきて、思わず丸くなる。燃えるように熱い頰を両手で包み、いまだにドキドキする心臓を抑える。
嬉しい。
初めて見た。すごく笑ってくれた。僕に?
「…どうした、はる」
「っひゃ」
後ろから声がかかってぴょんと跳ねる。和也様が呆れた目で僕を見て、くっと少し笑った。
「すごい嬉しそうだな。…あれ、」
ふっと視線を上げて、和也様が僕の背後に目を向ける。それに釣られて僕も後ろに視線をやる。
ぎっ、という音を立てて、ちょうど家の前に馬車が止まったところだった。
遥歩さんはもういてくれているし、誰だろう。東雲様への客人だとしたらちょっと遅かったな。
そう思いながら、僕は出迎えようと玄関のドアを大きく開けた。
「あの、申し訳ないのですが、東雲…、夫は今出ております」
「構いません」
馬車の中にも関わらず、凛と通る声。少し冷たくて、でも甘さも含むしっかりとした声。
そんなはずない。だって、なんで。どうしてここに…?
「わたくしはあなたに用があります」
かちゃんと馬車のドアが開き、車内で橙色の髪が揺れた。
人形かと思うくらい整った顔、美しく華奢な、でもそれでいて釣り合いの取れている体。よく似合う豪奢なドレスに負けないほど強い美しさのある、女性。
見間違えるはずなんてない。僕が知っているこんな綺麗な人は、ただ、一人だけ。
透き通った藍色の瞳が僕を捉える。静かな威圧に耐えかねて、汗が頬を流れ落ちた。
「なんで…、姉さん、が」
いろいろ投稿ミスしましたごめんなさい…




