side A 〜懺悔〜
「伊織様、また童の姿を見かけませんが…」
あの凄惨な夜から幾日かが過ぎ、伊織と呼ばれた鬼の屋敷で密かに日常になりつつあるのが、咲希のひとりかくれんぼ。
「またか…」
銀髪の鬼である伊織は、ため息と共に腰を上げた。
今の出で立ちといえば、銀髪ではなく黒髪で、瞳の色も黒く、角も牙もない。
普段はそうして暮らしているのだ。
妖=悪しき存在。
人の世の理の中で生きてきた伊織にとっては、最早特別なことではなかった。
人を殺めたのは、あの夜、あの一夜限り。
孤児となった咲希を想えば、いつでも胸が痛む。
あの朝焼けの山道では、結局、泣きじゃくり伊織を捜し続けた幼子を、あのまま捨て置くことはできなかった。
たっぷりと泣きはらし疲れて眠る咲希を、伊織は屋敷へと連れ帰ったのだった。
“咲希”とは、自分の名前をまだ書けない幼子のために、伊織が文字を宛がった名だ。
希が咲く。
夢は叶う。とでもいったところか。
“咲”の文字は、愛しい妻の名から貰ったもの。
我が子が生まれていたならば、授けていただろう文字。
「伊織様?」
立ち上がったまま動かぬ主人に、狐の尾が見え隠れする従者の近衛が不審に思い声をかける。
近衛はまだ妖としては半人前。故に尾が隠せないのが目下の悩み。
「いや。行ってくる」
半妖を伊織の結界の外へは行かせられないため、伊織はひとりで咲希を捜しに出る。
とはいうものの、咲希を捜すのは簡単だった。
こんな人里離れた山奥では、人間の姿はまず見られない。そんな場所で、咲希の人の匂いは特殊だ。
おまけに、咲希は一度隠れる場所を決めたら、絶対にそこを動かない。
伊織が捜しに来るまで、ただ静かに、息を潜めて待っている。
「今日は少し遠出をしたのだな」
大木の洞を覗き込みながら、そこに咲希がいるのを確信している伊織が言うと、
「いおり様!」
膝を抱えていた咲希が、パッと顔をほころばせ飛びついてくる。
幼い咲希には、伊織の名は発音しづらいのか、少し舌足らずに名を呼ぶ。
「あまり遠出はするでないぞ。野犬に遭わないとも限らない」
ーーーそれに妖も。
「はぁい」
咲希の返事は呑気なものだが、腕に抱いた幼子は、じっと伊織を見つめてくる。
「なんだ?」
遠慮のない眼差しに、少し途惑う。
「あたしね、いおり様の銀の髪が好き。紫の目が好き。とんがりも大好き」
裏を返せば、何故人間のふりをしているのかと、臆せずに責めている。
「ーーーー」
伊織が口を閉ざせば、咲希は慌てたように付け加えた。
「どんないおり様でも大好き!」
きゅっと、温かな手が、伊織を包み込もうとする。
小さな左右の腕を精一杯広げて、妖の心さえ守ろうとする。
ーーー言うでない。
咲希の言葉は、伊織の心を深く抉る。
ーーー我は、其方の親の仇ぞ。
慕われるほどに、罪の意識が重く圧し掛かる。
「いおり様がいてくれるだけでいい…」
いつか真実を明かしたとき時、この者に命を奪われたとてかまいはしない。
それまでは我が守る。
どんな厄災からも、この命を懸けて守ってみせよう。
いつか人の世に帰る、その日まで。
我に向けられるその笑みが、憎しみの表情へと変わる、その日までは。




