第3章 選んだ先に
レイカはステージに立つと、改めて観客席を見渡す。
やはり1万人というのは、壮観だった。レイカが通っていた高校のクラスが35名。おおよそその300倍だ。現実感がなくて、なんだかクスリと笑ってしまう。
隣を見ると、サキと視線が合う。にこりと、励ますような笑みを向けられて、レイカも相好を崩す。頼りになるというか、本当に支えになってくれる人だと、思う。
前列に並ぶカナデもリオも、あれだけ反発していたのに、最後には自分がここに立つことを許してくれた。そして一度ステージに立ってしまえば、ライブに集中した表情を見せている。さすがだな、と嬉しくなる。
ショーコやユーリだって、そうだ。きっと言いたいこと、聞きたいこと、たくさんあるだろうに、何も言わずに見守ってくれた。
本当に、誇らしい5人だった。
「今日は、私たちの3周年ライブに来てくれて、ありがとうございました」
カナデが前に立って、深々とお辞儀をする。同じように他の5人も頭を下げて感謝を伝える。
「本当に、あっという間だった。いつの間に、って感じだけど、次が最後の曲になります」
その言葉に、お決まりのように「ええ~っ」なんて嘆きの声がステージに響く。
「ふふ、私たちも残念。だけど、まだまだライブ楽しみたかったっていう人は、4年目の私たちのライブにも、たくさん来てくださいね」
もうすっかりMCに慣れたカナデの言葉に、観客から大きな拍手が送られる。
「それでは、今日最後の曲、聞いてください。『六色の勇気』」
メジャーデビュー曲である『六色の勇気』は、玲佳にとっても思い入れがあり、大好きな曲の一つだ。そもそも曲が良いというのはもちろんあるが、メンバー6人にそれぞれソロパートがあり、そのパートごとにペンライトの色をメンバーカラーに変えてくれる観客の自主的な演出がすごく好きだった。
前半のソロパートで、観客席の灯りが一斉に紫に、それから赤に変わっていく景色に、レイカはほんのわずか、目を奪われてしまう。
危うい所で、なんとかポジションチェンジの動きに合わせて、前列に出る。
そしてソロパートの最後、レイカの歌割に入った瞬間、一斉に黄色の光が眼前を埋め尽くす。泣きたくなるようなその光景を前に、懸命に震えをこらえながら、歌う——
次の瞬間。その幸せな光景が、ブラックアウトした。
肘から先の感覚が急速に遠のき、脚の感覚も痺れた時のように極端に鈍くなる。
先ほどまで聞こえていた歓声は、消えてしまった。
そうか。と、玲佳は理解する。
悔しいな、と思う。せめてもう少しだけ、目に焼き付けたかった。
落胆は隠せずに、それでも、意地でも演技は続けたくて。
歌えているのか、踊れているのか、笑えているのか。分からないけれど、これまで積み重ねた時間を信じて、残る力を振り絞る。
それでも、ついに脚の力もなくなって、身体が崩れ落ちていくのを、なす術もなく——
横合いから、ガッと腕をつかまれた。
なぜか狭いながらも再び開けた視界の先に、強い視線で前を向くサキの顔があった。
その横顔は、そして腕をつかむその感触は、「ちゃんと見ろ」と言っているような力強さを持っていて、それに力を与えられるように、玲佳はステージの先に視線を向ける。
うっすらと、光に満ちた光景が小さな視界の中に映る。
ああ、これか。これが、私の見たかった景色なんだ。
玲佳はようやく確信に至った。
すべてを振り絞ったことで、ようやく見られたこの光景。
そして、同時になぜこの光景を見たかったのかも分かった。
知りたかったからだ。あの時、ステージ裏から見た観客の光景を前にしたアイドルの背中が、あれほどまでに眩く輝いていたのはどうしてなのか。
言葉にすれば、あまりにも簡単なその答えを、玲佳はきっと、実感として知りたかったのだ。
他人から見れば、小さな、バカみたいなそんな夢を、玲佳は一生をかけて叶えることができた。かけがえのない仲間のおかげで。だから。
「ありがとう」
もう届かないかもしれない言葉を、玲佳は口にした。
ステージの幕が下りると、観客から万雷の拍手が送られる。もちろん、晃と祐希もその一部だ。そしてそれが落ち着くと、気が早い者たちが、アンコール、と声を張り上げる。
「いやあ、すごかったな。歌もダンスも最初の頃に比べて本当にうまくなってる」
祐希が感心したように言うと、晃もうなずきを返す。
「満足度高いライブだったよ。好きな曲もやってくれたし」
そして晃たちもアンコールの唱和に加わる。
しかし、数分後、観客席のライトが一斉に点灯される。
『以上をもちまして、本日の公演はすべて終了いたしました。本日はご来場いただき、誠にありがとうございました。お帰りの際は、お忘れ物などございませんよう、今一度お手回り品をご確認のうえ、お気をつけてお帰りください。なお、終演後は規制退場を実施いたします。係員のご案内があるまで、そのままお席でお待ちください』
そんなアナウンスが流されて、晃と祐希は顔を見合わせる。
「あれ、アンコールなし?」
「珍しいな……確かに、レイカが最後の方やっぱり苦しそうだったから、体調を考慮したのか?」
「ああ、最後サキがフォローしてたやつな。あれエモかったな~」
祐希が個人の名前をきっちり憶えていることに、晃は笑みを浮かべながら、同意する。
「そうだな。レイカのソロパートをとっさに歌えるところが、さすがだよ」
体調の問題のためか、少し弱々しかったレイカの歌声を、サキがフォローしていた。
「とは言え、それまでも今日はほとんどの曲を5人でやってたんだし、それが理由というのも少し変だけどなぁ」
祐希がそう言って首を捻ると、確かに、と晃もその意見に賛同する。
「まぁ、実情はわからないから言っても仕方ないな。ニューアルバムの曲歌ってくれるかと思ったけど、次のお楽しみにするよ」
晃はそう言って、笑みを浮かべた。
その数分前、幕が下りた瞬間から、ステージ裏は修羅場だった。
「羽村さん!!」
悲鳴のような沙紀の声が響く。
舞台袖から羽村と樋口が、一緒に待機してくれていた会場の救護スタッフとともに飛び出してきた。スタッフが持ち出してきた担架を組み立てる傍ら、別のスタッフと共に玲佳の意識や呼吸を確認しつつ必要な処置を行う。
準備ができて玲佳を担架に乗せると、バックヤード通路の広くなっている場所に置かれた車輪付きストレッチャーに玲佳を移す。その間に樋口は携帯電話で、到着した救急車に搬入口にまわってもらうように連絡をしていた。
ストレッチャーを搬入口まで移動させて、ちょうど到着した救急車から救急隊員が足早に降りてくると、後部ドアを開いて玲佳を車内のベッドまで運び、横たえた。
羽村が救急車に乗り込もうとすると、
「羽村さん!」
沙紀が腕をつかんで押しとどめる。何か言おうとして、唇が震えるが、言葉が出てこない。
けれど、羽村はその意図を理解し、ほんのわずかに迷いを見せた後、頷きを返した。
「そうだな。桐谷の方が先生への説明はうまくできるか。よし、じゃあ俺はタクシーで行くから先に向かっててくれ」
沙紀はうなずいて、救急車に乗り込む。その彼女に樋口が上着を渡して羽織るように伝えた。
サイレンを鳴らしながら発車した救急車を見送ると、
「樋口、雪村たちを着替えさせて、家に送ってやってくれ」
そう伝えて、控室に立ち寄って準備を整えると、会場を出てタクシーを捕まえに行った。
樋口が控室のドアの前で立ち止まり、袖口で一度顔を拭いた。そして息を一度深くつくと、ドアを開いた。が、中を見回すと部屋の中には誰もいない。眉を顰めるが、すぐにはっと気づいた表情を浮かべて、ステージ裏に向けて走った。
ステージ裏で呆然としたままだった奏たちは、樋口に連れられて控室に移動し、着替え始めた。誰も何も言えずに、もそもそと手を動かしながら、ステージ衣装を脱ぎ、私服を身につける。いつもは時間をずらしたり、部屋を移ったりして一人で着替えていた悠理も、無造作に隅の方で壁を向いたまま着替えていた。
着替えを終えた奏たちが控室から出ると、樋口は慌てて目を擦って、
「準備できた? 今から皆を家まで送るから、車に行こうか」
そう伝えた。
けれど、奏は顔をしかめ、悠理は目を見開くと、ふるふると首を横に振った。理央、翔子も言葉には出さずに、じっと樋口に視線を向ける。
「……そっか。そうだよね。じゃあひとまず事務所に移動して、連絡待とうか」
病院に搬送された後、玲佳は救急処置室で手当てを受けた。そう間を置かずに和成が病院に到着し、医師から状況の説明を受ける。一通りの説明を受けると、和成は肩を落とした。
手当の時間はそれほど長くなかった。救急処置室から、個室に移ることになり、ストレッチャーで運ばれた。その間、羽村と沙紀も付き添う。
「……玲佳」
沙紀がそう呼びかけると、玲佳は視線を沙紀に向けて、かすかに目を細め、唇の端をわずかに上げた。
個室に着くと、羽村は沙紀を促して外に出て、病室の外の長いすに腰かける。
「桐谷、平気そうなら、着替えておけ」
そう言って、会場の控室から持ってきた沙紀の着替えが入った荷物を渡す。
沙紀はそれを受け取るが、しばらくぼんやりと宙を見上げる。
「羽村さん、私、なんだか現実感がないんだ」
ぽつりと、そう呟いた。
「覚悟してたつもりだったんだけどな」
独り言のようにそう言って、再び沈黙が続く。が、ゆっくりと立ち上がると、
「着替えてくるね」
そう言って、席を外した。
沙紀が戻ってきてから、どれくらい時間が経ったのか、医師と医療スタッフ数名が個室に入って行った。そして10分もしないうちに出てくると、羽村と沙紀に軽く会釈をして去って行く。最後に、和成が個室から出てくると、羽村と沙紀に深々と、お辞儀をした。




