第4章 のこしたもの
羽村からの連絡を受けて、樋口は神妙な表情を浮かべて、大きく溜息をついた。
「分かりました。それで、あの子たちなんですけど、今事務所にいて。羽村さん、説明しにこれたりしますか?」
電話越しの羽村の言葉に、樋口は頷いて返事を返すと、電話を切った。
窓の外を見ると、日が昇り始めている。樋口は気が重くなりながら、奏たちのいる会議室に移動した。
もう何時間も会議室に籠りっきりだった奏たちは、4人とも憔悴した表情を浮かべていたが、樋口が部屋に入るとすぐに顔を向けてきた。
「今から、羽村さん来て説明してくれるって」
そう言うと、それぞれに強張った表情を浮かべ、手を握り合う。
それからさらに30分ほどすると、会議室の中に、羽村、沙紀、そして和成が入ってきた。
何人かの視線が和成に向いているのを見て、
「四条のお父様だ」
羽村がまずその説明をする。
そして、全員を見回して、重々しく息を吐き出した後。
「今日の明け方、四条が、息を引き取った」
「――え?」
思わず、間抜けな声が理央の口から洩れる。
どう見ても、体調がおかしいのは分かっていた。重い病気なのだろうと、覚悟はしていた。でも。
「いや、嘘でしょ。人が、そんなに簡単に亡くなるはず——」
理央は今までの人生で、知り合いが命を落とした経験がない。具合が悪くなって倒れた人はいたが、数週間後にはすっかり元気になっていた。
だから、そういう概念が、あまりにも実感がなくて、作り話のように感じてしまう。
「そもそも、ライブだって3曲なら大丈夫って話だったんでしょ? 2曲しかしてないのに、そんな……」
「いや、違う。四条の主治医の見立ては『1曲だって難しい』だった。だから、『3曲なら大丈夫』ではなくて……『どうしても、3曲はやりたい』だったんだ」
「何、それ」
理央はかすれた声を吐き出す。
「じゃあ3曲なんて無謀でしかないじゃん! 何でもっと強く止めてくれなかったの?」
激高しかけながらも、急速に言葉のトーンが落ちる。あの時、自分も玲佳を止められなかった時点で同罪だと気づいてしまったから。
そして羽村たちが止められなかった理由も分かっている。
理央もあの時、思ってしまったからだ。玲佳が、夢を叶える瞬間を、見たいと。
羽村たちも同じなのだと、分かる。分かってしまう。
だから、それ以上追及ができなくて。
感情の行き場所をなくして、ただただうめき声をあげながらうずくまることしか、できなかった。
「それについては、私からも補足したいんだが、」
和成が、そう発言して、ぼろぼろと涙を流す理央、翔子と、それさえもできない奏と悠理をゆっくりと見回す。
「その前に、まずは皆さんに感謝を述べたい。玲佳からいつも聞いていたよ。本当に信頼できる仲間に出会えた。彼女たちとなら、夢を叶えることができると思うし、そうならなかったとしても、彼女たちに出会えたことだけでも、私の人生には意味があった、とそう言っていた」
そして和成はゆっくりと頭を下げる。
「昨日のライブに玲佳を立たせることを、最終的に許可したのは私だ。羽村さんは最後まで悩んでいたよ。だから、あまり羽村さんを責めないでやって欲しい」
いや、それは、と言いかけた羽村を、和成は手で制する。
「そもそもだが、玲佳をレプリック・ドゥ・ランジュに参加させて欲しいというのは、私から強く羽村さんにお願いしたことなんだ。私は芸能プロダクションの社長なんて肩書を持っていてね、羽村さんからすれば断りにくいことだったと思うよ」
「それは絶対に違いますよ! 俺はアルカディアプロジェクトには絶対に玲佳さんが必要だと思ったんです。逆に四条さんにやっぱりなかったことに、と言われたとしても、必死で説得していたと思います」
強い調子で羽村が反論する。
「そうかい? それはありがとう。でもね、やっぱり実際にレプリック・ドゥ・ランジュにこんなリスクを背負わせたのは、私と、玲佳なんだ」
そう言って、和成は奏たちに罪を告白するかのような面持ちを見せる。
「少し、昔話をしてもいいかな。玲佳が幼い頃、妻を亡くしてね。使用人に任せきりで放っておくのも忍びなくて、たまに私の仕事場に連れて行ったりしていたんだ。色んなタレントが玲佳に優しくしてくれて、彼女もなついたりしていた。そんなときに、彼女は自分の夢を見つけた。これは本人から聞いていた人もいるかもしれないね」
沙紀だけでなく、奏や理央も頷きを返す。
そして和成は、玲佳の話を続ける。舞台裏で夢を見つけたこと。小学生で病を患い、長い入院生活を送ったこと。高校に入って一度は良くなり、本格的にレッスンを始めたこと。この頃も今と同じくらい楽しそうで、私も幸せだった、と和成は微笑む。
そんなに小さい頃から、たくさんのお手本となるタレントを見て、目標を見つけて、挫折して、思うようにならない状況の中、欲をつのらせてきたのか。
これまでの玲佳の言動や感情と符合してきて、奏は胸を詰まらせる。
「それから……時期的には、レプリック・ドゥ・ランジュに入る半年くらい前かな。病状が急激に悪化した。子供の頃から玲佳を診てくれていた専属医に言われたよ。『わずかな寛解の可能性にすがって、入院生活を続けてリスクをおさえるか、夢があるならリスクをとってやりたいことをやるか、選ぶ時です』とね」
少しずつ、少しずつ理央にも、翔子にも、悠理にも理解が広がっていく。
「当然、父親としては悩んだ。何が彼女にとっての幸せなのか。今どうしたいか、だけじゃなくて、後から振り返ってどうだったのか、考えないといけないと思った。だけど、玲佳は言うんだ。『本当は1分1秒でも長く生きて、お父様に少しでも思い出を残してあげるのが、良い娘なのだと思います。けれど私は多分お父様が思うよりもずっとずっと我儘で、自分勝手な娘なのです。私は、「いつか」と言い聞かせて押さえてきた、私が子供の頃から抱え続けてきた熱に、もう蓋をし続けることができない。今、この時点で、その熱はどろどろとこの身を内側から溶かしています。だから、このまま病室に留まったとしても、もう手遅れなのです。夢をあきらめてただ延命するだけの身体は、私にとってすでに生きた身体ではありません。だから、お父様、どうか私の我儘を聞き届けてください』」
翔子が泣き声をこらえきれなくなって、悠理の目からも涙がこぼれ落ちた。
「そこまで言われたら、父親としては、もう背中を押すことしか、できなくなってしまったんだ」
そう言って、和成は少し笑った。
そして下を向くと、少しの間だけ無言になって、それからゆっくりと顔を上げた。
「実は羽村さんにここに連れてきてもらったことには、もう一つ理由がある」
そう言って、胸元から携帯端末を取り出した。
「玲佳から、皆さんへのメッセージを、預かっている」
奏は、息を呑んだ。
聞きたい。玲佳が最後に何を伝えようとしているのか、知りたかったから。
聞きたくない。それが本当に、お別れを実感させられそうだから。
奏は先ほどから涙を流せていない。現実を受け止められない自分が、本当に嫌になりそうだった。
怖くて震えそうになる手を、翔子がぎゅっと握った。
「病室で最後に話した時に、どうしてもと言われてね。体力的に長くしゃべることは難しくて、途切れ途切れに、何度も休みながら録ったものだ。短めにはなってしまっているが、聞いてやってほしい」
そう言って、和成はボイスメモの再生ボタンを押した。
『皆さん、聞こえていますか。四条玲佳です』
沙紀はその声を聞いて、ぐっと唇を引き結ぶ。あの状態から、こんなにしっかり声を出したのか。
『まずは、皆さんに謝罪しなければなりません。最後まで私の我儘で振り回してしまい、申し訳ありませんでした。私の罪が重いことも、それを取り返すことがもうできないことも、理解した上での行いです。許されなくて当然だと思います。でも私がどんな風に皆さんとの時間を楽しみ、大切に思っていたかを伝えたいのです』
そこまで一気にしゃべって、玲佳は苦し気に何度か呼吸をする。
それが落ち着くと、もう一度言葉を紡ぎ始める。
『理央さん』
理央が肩をふるわせて、ぎゅっと拳を握る。
『いつも本気で、本音をぶつけてくれた。私たちを信頼して、むき出しの熱意を見せてくれた。他とは違う自分の意見をしっかり持って、それでも頑なすぎない。かわいらしくて、格好いい方。……ごめんなさい、約束を守れなくて。あなたの出す答えを、一番に聞かせてくれると言っていたのに。でもあなたのことだから、きっととてもあなたらしくて、素敵な答えだと、そう思っています』
漏れ出る嗚咽をこらえるように、理央は顔を伏せて身体をぎゅっと縮める。
『翔子さん』
奏と握り合った翔子の手に、ぎゅっと力がこもる。
『自分の苦手なもの、弱さから目を背けずに、向上心を持ち続けられる方。以前、「すぐ、追いついてみせるから」と言われたことを、よく覚えています。そして私たちとは別の目標を持ちながら、私たちの夢をないがしろにしなかった。本気で、アイドルに取り組んでくれていたその姿を、私はとても尊敬していました』
翔子は天を仰ぐが、それでも涙は次から次へとあふれ出て、目じりからこぼれ落ちていく。
『悠理さん』
涙の跡を残したまま、どこか人形のように固い表情だった悠理が、そっと目を閉じる。
『あなたとの約束も、果たせませんでしたね。……あなたの覚悟は私を奮い立たせてくれて、共犯関係のような不思議な連帯感も味わわせてくれました。私が嘘を貫き通せたのは、ここまでですが、あなたなら、きっと。どうか、ご自分の道を、貫かれますように』
悠理はその言葉をしまいこむように、そっとうつむいて、両手の指を組んだ。
『奏さん』
頑なに、涙をこらえる奏が、翔子の手を握り返す。
『いつだって私たちの前を歩いて、ぶれない熱を見せてくれた。あなたは私の事を「基軸」と表現してくれましたが、私の方こそ、あなたの姿を見て、私の夢を再確認していました。奏さん、レプランをお願いしますね。私がレプランの全部を壊してしまうのではないかと怖くなった時、それでもあなたがいるなら、とそんな風に無責任なことを思ってしまっていました。あなたに頑張って欲しいわけではありません。あなたがあなたのままでいてくれれば、私たちは自然に勇気が湧いてくるのです』
奏は深く溜息をつく。その溜息が一度だけ、不自然に揺れた。
『沙紀』
どこかぼんやりとした表情のままでいた沙紀が、視線を玲佳の声の出所に落とす。
『あなたには、今更ですね。言うべきことは今までに言い尽くしたと思います。今この場で言いたいことは思いつきません』
くすり、と笑ったような声が聞こえる。
しかし、玲佳の息が少し震え始めて、
『沙紀。……沙紀、沙紀。ごめんなさい。ごめんなさい。…っ、ごめん、なさい。ひっ、く、……あっ、ありが、とう。……本当に、ありがとう』
その声が聞こえた瞬間、タガが外れたように、沙紀は顔を覆ってうずくまると、激しい嗚咽を上げ始めた。
やがて玲佳の方の嗚咽が落ち着いて、しばらくの間が開いた後、
『羽村さん、樋口さんも。これまで私の我儘を聞いてくれてありがとうございました。こんなチャンスをいただけたことに、本当に感謝しかありません』
疲れ果てたような、今にも眠ってしまいそうな、か細い声。
『これで最後にします。皆さんには、もしかしたら、レプランに参加したことが私の寿命を縮めたと思わせてしまったかもしれない。ですが、私は皆さんと会わずに10年長く生きるよりも、今この時、この人生こそが最良だと、明確にそう言い切れます。それは普通の人よりも幸せなことなんじゃないかとさえ思っています。だから、本当に、ありがとうございました』
そう言って、玲佳のメッセージは終わった。
再生を終えた端末に、誰も手を伸ばせない。
そして、今頃になって、奏の目から一粒だけ、涙がこぼれ落ちた。




