第2章 四条玲佳
3周年記念ライブに向けて、レプリック・ドゥ・ランジュの新アルバムをリリースすることが決まった。1周年の時に制作したファーストアルバム以来の2枚目だ。
ファーストアルバム以降の既存曲以外に5つほど新曲を制作し、合計で12曲が収録される。メンバーにライブの情報が発表された翌週にはレコーディングが始まった。慣れたものでレコーディングはトントン拍子に進み、並行して着手していた振付の制作が終わった翌週には振り入れも開始した。
3週間ほどかけて新曲のフォーメーションがほぼ完成すると、ライブのセットリストに入った曲のおさらいをする。
本番の1か月前になると、東京ベイアリーナのステージの大きさに合わせて、大き目のスタジオを借りての練習も始まった。
順調にスケジュールをこなして迎えた、本番1週間前。通しリハーサルの最中に。
玲佳が倒れた。
呆然とする奏の前で、大人たちが血相を変えてバタバタと忙しなく動いている。
樋口が救急車を誘導するために部屋を出て行った。
沙紀は玲佳を楽な姿勢で寝かせながら、声をかけ続け、首元や腰の留め具を緩めている。
色んな所に電話をかけていた羽村が、奏たちの所に近寄ってくる。
「皆、今日はここで解散だ。通しリハはまた改めてスケジュールする。色々気になっているだろうけど、明日また連絡するから」
翔子と悠理は、顔を蒼白にしながらも、頷く。
奏は頭が回らず、何も反応を返すことができない。
理央はずっと何かを悔やむように唇を噛みしめていたが、
「連絡じゃなくてさ。ちゃんと皆集めて説明してよ。いつから? 来週のライブどうするの?」
と、鋭い視線を向けて要求する。
羽村は少し考え込んでいたが、
「……わかった。明日、16時に事務所に来てくれ。四条のことは全部は話せないが、ご家族と相談してできるだけ説明する」
そう言うと、樋口から呼ばれて、救急車に乗り込んでいった。
翌日、レプランメンバーが事務所に訪れると、会議室に案内された。
そして時間になると羽村と樋口が入ってきた。
緊張と悲壮感に満ちたレプランのメンバーに、まずは玲佳が意識を取り戻したこと、今日精密検査を受けて、明日には退院予定であることが告げられた。
多少、緊張が解けた空気が流れる中で、玲佳の病状が簡単に語られる。根治が難しい珍しい病気であること、発作が起きない限りは普通に歌って踊れること、最近発作の頻度が高くなっていること。それを聞いて、奏たちに再び重々しい空気が流れる。
「その病気、いつから罹っているんですか?」
「詳しいことは聞いていないが、子供の頃からと聞いている」
奏の質問に、羽村が答える。
「悠理の時の反省、活かせてないな。私、どうして気づいてあげられないんだろう」
「そういう問題じゃないでしょ」
奏の自責に、理央が怒りの色を混ぜて吐き捨てる。
「羽村さんたちが隠すからじゃん。どうしてこういうの、あたしたちに黙ってるわけ?」
理央の強い視線を受け止めて、羽村が口を開く。
「一つは『レプリック・ドゥ・ランジュ』への個々のメンバーの関わり方や意欲に、変なバイアスをかけたくないからだ。何らかのチャレンジをする際に、四条の病気が心配、なんていう余計な停滞や遠慮の口実にして欲しくないというのがあった」
それを聞いてむっとした表情を浮かべる理央に、
「もう一つは四条本人の希望だ。彼女はずっと、自分を対等なメンバーとして扱って欲しいから、とメンバーにもファンにも隠し通すことを望んでいた」
羽村は別の回答も提示する。
理央はなおも何かを言おうとして、目を伏せて、言葉を飲み込んだ。
「来週のライブは予定通り行う。四条の参加は当日までの状況を見て、彼女の主治医やご家族と相談の上、判断する」
「参加の可能性、まだ考慮する必要ある?」
理央の言葉に、今度は沙紀が何かを言おうとして、やはり思いとどまる。
「さっきも説明しただろう。発作が起きなければ普通にパフォーマンスできるんだ。今までと何も変わらない。ファンがいる限り、最初から不参加を決めつけることはしないよ」
羽村の説明に、理央は不承不承といった様子で、引き下がった。
その後、今の6人用の振り付けを見直す必要があるかどうかについても議論があったが、当日までに全曲を5人用の振り付けに作り直すのは現実的でないし、本番で混乱が出る可能性もあるということで、一部の致命的に影響が大きいところのみ見直す方針となった。
そして、3周年ライブの当日を迎えた。
沢城晃はJIP Fes.以降、都合が合う限りレプリック・ドゥ・ランジュのライブに参加している。たまに他のファンから声をかけられて会話をすることもあるが、晃はどちらかと言うと皆で盛り上がりながら応援するよりも、自分のペースで応援したい方なので大体は一人で申し込む。が、大き目のライブだと少し語り合いたくなって、気の知れた仲間が欲しくなる。集合場所にいる晃に、近藤祐希が手を挙げて走り寄ってくるのは、そういう理由だ。
「祐希、悪いな。付き合わせて」
「全然問題ないぜ。就職も決まったし、卒業論文も、まぁまだ根詰める段階じゃないし。むしろこの期間にアイドルのライブたくさん行きたいから、渡りに船だったさ。それに晃だって俺の行きたいライブに付き合ってくれるんだから、お互い様だろ」
確かに、晃は祐希から声をかけられて『BYTH』や『シンシアリィ』のライブに一緒に行ったことが何度かある。自分から積極的にチケットを手配しようとかはそこまで思わないが、それでもいつも見るライブとは全然違って面白いなと思うし、純粋に楽しい。祐希もレプランのライブをそういう風に感じてくれているようで、有難いな、と思う。
待ち合わせ場所から移動し、入場時に本人認証を済ませて、指定席につく。
「悪くない席じゃん」
席はアリーナ正面の中ほどやや後ろより。祐希の言葉通り、前に極端に背の大きな人が座らない限り、ステージは良く見えそうで、良い位置だった。
席に座って祐希と雑談をしていると、アナウンスが流れてきた。
『本日は、ご来場まことにありがとうございます。開演に先立ちまして、皆様へ連絡がございます。本日、レプリック・ドゥ・ランジュのメンバー、レイカは体調の問題で出演する演目を限定させていただきます。ご承知おきのほど、よろしくお願いいたします』
晃と祐希は顔を見合わせる。
「全曲は出ないってことか。体調不良なら仕方ないけど、休んでなくて大丈夫かな。他のアイドルのライブでもこういうことってあるのか?」
晃が祐希に聞くと、祐希は首を捻る。
「どうかな。普通は体調不良のメンバーはその日一日休ませると思うけど。でも今日は確かに特別なライブだし、ギリギリの所でこういう判断になったのかもな」
「なるほど。あり得るな」
祐希の説明に、晃も同意をする。
それから登場曲が流れてステージの幕が上がる。
1曲目の『レプリカ』。フォーメーションを組むメンバーの中に、レイカの姿は――あった。
「なんだ、普通に踊れてるな」
祐希が少しほっとしたような表情で言う。
それに対して晃も頷きを返すが、何か、ほんの少しだけ、何かが違うように感じて不安げに眉をひそめた。
「玲佳さん」
1曲目の披露と最初のMCを終えて裏に回るとすぐに、奏は耐えられずに声をかけてしまう。
「観客席、見ました? 1万人びっしり埋まってましたよ。皆が私たちの名前を呼んで、ペンライトで照らしてくれた。私たちがずっと夢見てた、光景だった。だから、だから――」
「だから、これで満足しろと、おっしゃりたいのですよね?」
奏の意図を正確に読み取って、玲佳は悲し気に微笑む。
「ですが、その話はもう終えたはずです。3曲やるというのは、主治医や家族、羽村さんたちと相談の上で合意しました。確かにあの光景自体は嬉しいものでしたが、まだ私が求めているものではありません。それを得るには、本来なら全曲をやり切って、ライブを全うすべきでした。けれど、今の私にそれが難しいのは間違いありません。だから、せめてこれだけはと、最初のこの曲と、本編の最後の曲、アンコールの1曲に絞ったのです。ここだけは、本当に譲れないから」
強い意志が込められたその答えに、奏は悲壮感の漂う表情を浮かべて、俯く。
「分かったから。とりあえず玲佳は早く休んで。自覚ないのかわからないけど、あんたの身体の状態、傍から見ててほんと痛々しいよ。奏も、すぐにステージ戻るんだから表情戻して」
理央が険しい表情でそう言って、移動する。そして、羽村とすれ違いざまに、
「わかってるよね、羽村さん。もう玲佳部屋に閉じ込めて。出しちゃ駄目だよ」
小声でささやく。
「おい、豊口。それは、」
羽村の返答など聞く耳持たない、と言いたげに。リオはステージに戻っていく。
「それができれば苦労しないんだって」
思わず、泣き言が小さく羽村の口からこぼれ落ちた。
「玲佳、起きてる?」
沙紀は控室のドアをノックして開けると、奥で横になっている玲佳が微かに笑みを返した。
「ああ、しゃべらなくていいよ。様子見に来ただけだから」
「そんなに心配されなくとも、大丈夫ですよ。ちょうど、気分転換にお話ししたかったですし」
「そう?」
安心させるように、沙紀も笑顔を浮かべながら、玲佳の傍に腰を下ろす。
「今、何曲目あたりですか?」
「5曲目。ソロ曲の連続パートで、ちょうど私の曲が終わったところ」
「そうですか」
そこで会話が一時中断し、沈黙が下りる。
数分後にそれを破ったのは玲佳の方だった。
「沙紀、私ね、今日のライブ、一つだけ怖いことがあるんです」
「何? 失敗すること?」
「いいえ。成功して、良いライブだったと思うこと。良いライブだと思ったことで、次はもっと良いライブにしたいと思ってしまうこと。今、私は次なんてない、という気持ちで全身全霊をかけているから何も迷うことがない。だけど、もし欲が出てしまったら、『次』が欲しいと思ってしまったら。そう思うと、怖いのです」
それは多分、沙紀だからこそ話せた、玲佳の本音に限りなく近い一言。
「……それの何が悪いの?」
表情が崩れそうになるのを懸命にこらえて、沙紀は言葉を連ねる。
「玲佳って、夢を叶え終わって、後腐れなく死ぬなんて、あきらめの良い人じゃないでしょ? 最後の最後まで、何かを求めながら、前のめりになって足掻き続ける人だよね。ほんと、玲佳って一見冷静で合理的に見えるのに、実は愚直で欲張りで、情熱的だよね」
それを聞いて玲佳はくすくすと笑いだす。沙紀も笑顔を浮かべる。
本当に次を欲しがってくれるなら、足掻いて欲しい。そんな淡い期待を込めた言葉が空虚なものでしかないと分かっていながら、それしか言えない自分のいたらなさに、沙紀は内心で溜息をついた。
レイカが退いた2曲目からここまでの13曲は、つつがなく進んだ。準備していた5人用に振付を直した所も目立った失敗はせず、今できる最高のパフォーマンスを見せられた実感がカナデたちにもあった。
そして、本編最後の曲に入る前の衣装替えの時間。ステージ上では1年間を振り返る映像が流れているその時間に、レイカもステージ裏に姿をあらわす。
理央が強い非難の目を羽村に向けるが、仕方ないだろう、と首を振る仕草を返されて、舌打ちをする。
沙紀に先導されていた玲佳の膝が、がくりと揺れて、慌てて玲佳は沙紀の肩をつかんだ。
その姿を見て、奏はついに堪えられなくなった。
「ねえ、やっぱり考え直して! レプリック・ドゥ・ランジュは今日で終わりじゃないんだよ。私はこの先も、玲佳さんが一緒にいるレプランで、進んでいきたい」
「奏さん、それは……」
「お願い! 玲佳さんの身体が治るまで、何年でもここで待ってるから。だから今は――」
「うる、さいッッ!!」
玲佳が沙紀の肩をつかむ手に、力がこもる。が、すぐに表情をコントロール下に置く。
「大きな声を出してしまい、申し訳ありません。お恥ずかしい」
いつもの話し方に戻るが、奏も、翔子も、悠理も、硬直して言葉が出ない。けれども、
「……んだよ」
理央は怒りに満ちた視線を玲佳にむける。
「うるさいって、なんだよッ! 分かってんでしょ。無理してステージ出て、パフォーマンスの途中で倒れでもしたら、あたしたちだって、あんたのファンだって――トラウマになる」
玲佳を糾弾する言葉を放ちながら、途中で声を詰まらせて、ぎゅっと拳を握りしめる。そして、
「……心配なんだよ」
泣きそうな声で言う。
「正論ですね。二人とも」
玲佳はなんとか微笑みを浮かべた後、顔を伏せる。
「でも、奏さんも、理央さんも。その正しさのために命をかける覚悟を持ったことは、ありますか?」
玲佳が二人に向ける視線には、どこか昏い熱が籠っていた。
「私は、ある。今日だけではありません。この3年間、いつもでした。今じゃなくてもいいだなんて、一度だって思ったことはありません」
その視線に、その言葉に、奏も、理央も、そしてこの場にいる全員が理解した。
玲佳はきっと、分かっている。自分がステージで倒れれば、メンバーやファンがショックを受けるだけでは済まない。レプランも事務所も批判にさらされ、この日のために動いてきた大勢の人たちにまで、取り返しのつかない迷惑をかけることになる。
それらすべてを分かった上で、なお。
玲佳は顔を上げた。
「見たい景色が、あるの」
自らの欲を優先し、貫くことを決意していた。




