第1章 新しい目標と、不穏な現実
室内に流した音楽にあわせて、時折鏡に視線を向けながら身体の動きを連動させ、激しい振り付けを踊る。そして、片足をあげて勢いよく振り回すと、残った軸足で床を蹴って飛び上がる。1回転して着地、その足で半回転、こらえて次の振りにつなげる。
「こんなもんかな」
今のはまぁまぁ手応えがあって、理央は、ふぅっと息をついた。
そのタイミングで後ろからぱちぱちと手を叩く音が聞こえる。
「お見事です。ずいぶん上達されましたね」
「まあねー」
理央は腰に手を当てながら振り返り、声の主、玲佳に笑みを向ける。
「動きのタイミングもすごく良いですが、何より姿勢と手足を綺麗に見せられているのが素晴らしいと思います。身長も、手足の長さもかなり変わっていますから、ファンの方にも努力されたのが伝わると思いますよ」
嫌味なく褒める玲佳に、理央は照れ笑いを返す。
「こんなに急に成長期迎えると思わなかったけどね。ここまで変わると同じ振りでも別物になるから、最終的なダンスの見栄えは気にするよ」
結成当時140cm程であった理央の身長は、3年足らずで160cm弱まで伸びていた。
理央は椅子に掛けたタオルを手に取って、顔を拭くと、水筒のスポーツドリンクを口に含んだ。
「玲佳も、居残りで個人練習?」
「はい。と言っても、私自身は少しだけ。残りは沙紀につき合っていました」
「へー、沙紀も残ってたんだ。まぁ、気合は入るよね」
口角を上げる理央に、玲佳も頷きを返す。
2時間ほど前、グループでのダンスレッスン後に理央たちの前に現れた羽村は開口一番こう言った。
「3周年ライブの日程と場所、決まったぞ」
いきなりすぎて、ぽかんとする理央たちを尻目に、羽村は続ける。
「日時は3か月後の11月10日18時。場所は、東京ベイアリーナだ」
東京ベイアリーナ。収容観客人数、約1万人。理央としては、ついに、という感覚が強い。
最初に出演したJIP Fes.以降着実にファンを増やしていって、昨年の2周年ライブは8000人。そこから1万人の箱でのライブは、直近の現実的な夢だった。
「同意します。どうしたって気合は入ってしまいますね」
玲佳はくすりと微笑んだが、すぐに気遣わしげな視線を理央に投げる。
「理央さんは……昨年などはかなり悩んでいらしたようですが、最近はそういう様子が見られませんね。ご解決されたのですか?」
その問いかけに、理央は苦笑で返す。
「まぁ、さすがにね。昔奏とも話したことがあったんだけど、あたしは一人一人の顔を見て、パフォーマンスを届けたいって思うからさ」
理解している、とばかりに玲佳はかすかに頷いて目を伏せる。
「最近は大体数千人単位のキャパの会場でやるでしょ? ここまで来るとさすがに顔覚えられなくてストレスになった日もある。ましてや今回は1万人だからさ。その頃のままだったら、確かにあたしは絶望していたかも」
「でも、それを乗り越えられた?」
「うん。今なら、まぁ何とかなるかなって思ってる。あたしにとってゆずれないところはどこだろうって、頭の中を整理して、少しずつ納得しはじめているから」
玲佳は興味深そうに、右手を口元に当てる。
「その答えを伺っても?――いえ、やめておきましょう。まだ整理中ということであれば、無理に言葉にすることではありませんね」
「うん、そうだね。確かにまだ考えてること全部を言語化するのは難しいよ。道半ばって感じ」
同意するように、理央は首を縦に振った。
「ま、ちゃんとまとまったら玲佳には一番に話すよ。どう思うか、聞かせて欲しいな」
「喜んで」
目を細める玲佳に、理央も満足げに笑みを見せる。
「さて、と。あたし、もうちょっと練習していくから」
そう言って、理央はタオルを椅子に掛けなおす。
「ああ、そうですね。お邪魔立てして申し訳ありません。私も沙紀がそろそろシャワーを上がる頃だと思いますので、おいとましますね」
目礼して、玲佳はドアノブを手に取った。
「ねえ」
しかし、不意に理央が玲佳に呼びかける。
理央の脳裏に、羽村から発表があった際の玲佳の反応が思い浮かぶ。
ついに1万人か、と玲佳に話しかけた時、玲佳はそれに反応せず、俯いて、何かを深く考え込んでいた。東京ベイアリーナ、と短く一言だけ囁いて。
「今日、さ。あんたちょっと変じゃなかった? 確かに3周年ライブが決まって興奮するのは分かるんだけど、それだけじゃなくて……」
「そうですか?」
言葉が出ずにもどかしげな理央に、玲佳は否定のセリフを被せる。
いつになく圧力を感じる言葉に、
「……ま、いいけど」
理央は肩をすくめた。
待ち合わせ場所の事務所エントランスに、玲佳がいないことに気づいて、沙紀は焦り気味にレッスン室に向かう。
エントランスからエレベーターに乗りなおし、ボタンを押し、三階で降りると、周囲を見回しながら突き当たりの奥へ向かう。その途中、自販機のあるスペースに置かれた観葉植物の脇に、玲佳の姿を見つけた。
見つかってほっとする一方で、うずくまったその姿に沙紀は表情を険しくする。
「玲佳」
小さく声をかけて、玲佳の肩に手をかける。
「沙紀、ですか? ……すみません、理央さんの前で取り繕うのが精いっぱいで……。エントランスまで移動する余力がなくて」
血の気の失せた、真っ白な顔で、済まなそうに玲佳が囁く。
「分かってる。移動、しようか」
そう言うと、沙紀は玲佳の前でしゃがみ込み、背中を見せて、背負われるように促す。
「すみません。お手数をかけます」
「いいよ。そういう約束でしょ」
あえて明るめの声で言うと、玲佳の脚をわきに抱えながら立ち上がった。
玲佳の浅い呼吸を背中で感じながら、沙紀は下りのエレベーターを待つ。
そして、
「――え?」
後ろから聞こえた声に振り向くと、目を見張る理央の姿があった。
沙紀は、玲佳の部屋には何度か訪れたことがある。自室と同じ、物が少ない部屋。
とは言え、殺風景というほどでもなく、目立つのは本棚に並べられた芸能関係の書籍、机の周りに置かれたレプランの写真、それに同じく机に積まれた10冊以上ある大学ノートあたりだろうか。そういう所に視線を漂わせていると、
「沙紀」
かすれた声が、ベッドに横たわった玲佳の口からもれる。
「目、覚めた?」
沙紀が柔らかい表情を浮かべて声をかけた。
「ええ」
ゆっくりと、玲佳が身体を起こした。
「起きるまで待たずともよろしかったんですよ。律儀ですね」
玲佳はくすくすと笑う。
「うん、まあそうなんだけど」
沙紀は苦笑を浮かべながら、
「玲佳を背負ってる姿を理央ちゃんに見られちゃったから、ただ立ち眩みしただけだって伝えたよ。それを鵜呑みにして納得した表情ではなかったけど……答え方としてはそれでよかったんだよね?」
玲佳がうなずくのを見て、沙紀は複雑そうな表情を浮かべる。
「3周年、か。結構、頑張ったよね」
そこまで言って、なおも言い淀み、そして決意してその先を続ける。
「玲佳は、さ。まだ足りていないの?」
玲佳は目を伏せて、困ったように眉を寄せる。
「沙紀に言われるとは思いませんでした。逆に伺いますが、沙紀はもう満足しているのですか?」
「……言いたいことは、分かってるよ。でもさ、」
苦しげに、沙紀は表情を歪める。
「発作が出る頻度が、最近急増してるよね」
直視したくない事実を口にして、その場をしばらく沈黙が支配する。
そして、
「最近、夢を見ました」
玲佳が、ゆっくりとしゃべりだす。
「見慣れた病室の中で、身体にいくつも管をつけられ、人工呼吸器をあてられながら。テレビの中のレプランが輝いている姿を見ている夢です」
玲佳の表情が見たこともないくらいに歪む。
「おぞましかった」
分かる、と簡単に口に出したくはなかった。玲佳の執着は、きっと沙紀よりもずっと根深いものだと、理解できてしまうから。
「桐谷様」
不意に、玲佳の部屋の外から、そう声をかけられた。
「和成様が、お話ししたいと申しているのですが、よろしいでしょうか?」
沙紀は玲佳と顔を見合わせる。
「お父様から呼び出しなんて、何かしたんですか?」
からかうような玲佳の表情を見て、沙紀は苦笑を返す。
「今、行きます」
使用人に連れられて沙紀は玲佳の父、和成の書斎に通された。
「ああ、忙しい所すまない。どうか、そこにかけてくれ」
応接用のローテーブルと、その周りに置かれたアームチェアの方を手で示しながら、和成は自分も書斎机から離れてそちらに移動する。
二人、並ぶようにそれぞれアームチェアに腰かけた。
沙紀は和成と会うのはこれが初めてではないし、この書斎で話をしたこともある。最初の印象は、思ったよりも人当たりが良いというものだった。玲佳の教養や品性の高さから、もっと厳格さがにじみ出るような人格を想像していた。
和成は資産家の妻と結婚し、いわゆる入り婿となっていた。だから、玲佳の品格は母方の家の教育方針に由来しているのかもしれない。そして入り婿とはいえ、和成本人にも才覚はあったようで業界大手の芸能プロダクションの社長に就任している。
しばらく沈黙が続いた後、
「玲佳の話を、聞きたくてね」
ぽつりと、つぶやくように和成が言った。
「レプリック・ドゥ・ランジュ、かなり順調に成長しているようだが、玲佳はどうだい?」
芸能界の重鎮として、レプランの情報もかなり入ってきているはずだが、あくまで内部での玲佳の話を知りたいのだろう。
そう察した沙紀は、
「充実してそうですよ。レプランに入る前よりずっと楽しそうな表情を見せてくれるし、自分の夢が近づいている実感が、あるみたいです」
そう答える。それを聞いて和成はふっと表情を緩めると、
「そうか」
一言だけ、そう漏らした。
「でも――」
けれど、沙紀は言わなければと思って表情を陰らせる。
「分かってる。発作の間隔が短くなってるな」
和成が重々しい表情で言葉を吐き出すと、沙紀も頷きを返す。
重い沈黙が続くが、切り替えるように和成は別の話題を振る。
「ああ、いけないな。客に飲み物を出さないなんて」
そう言って立ち上がると、遠慮しようとする沙紀を手で制して、
「桐谷君、酒はいけるか? 良ければ付き合ってくれないか?」
沙紀が頷いたのを確認すると、和成は戸棚からグラスを2つ取り出して、小型のワインセラーからボトルを1本取り出す。
ローテーブルに置いたグラスにそれぞれワインを満たしながら、チェイサー用のグラスと水も用意する。
「誘っておいてなんだが、あまり無理して飲まないように」
こういう所は玲佳の親なんだな、と沙紀はつい笑みをこぼす。
和成は一杯目のワインを口に含み、香りを確かめるようにゆっくりと飲み込んだ。
「それにしても。玲佳の病状は、ステージに立つという夢を叶える面では、都合がいい側面もあるのが皮肉だな。周りの人間からするとかなりやきもきさせられるが」
「ええ、本当に」
和成も、沙紀も、同じように苦みを口元に湛える。
玲佳が小学生の頃にかかったこの病気は、自己免疫系の希少疾患と診断された。やっかいなのは、その不調が外からは見えにくいことだった。症状がない時だけを見れば、健康な人とほとんど変わらない。けれどひとたび発作が起これば、激痛や意識喪失に襲われ、まともに立つことさえ難しくなる。そして、希少疾患であるがゆえに、治療方法が確立されておらず、入院も症状の緩和と点滴が主目的で根治が非常に難しいという状況だった。
「余命も分からないと言われるものだから、もしかしたらこのまま耐え忍んでいれば、普通の人と同じような年齢まで生きられるんじゃないか、って甘い夢を抱いたりもしてしまうんだよ」
発作の時の苦しそうな様子や、その間隔がどんどん短くなっていることを見ていれば、そんなはずないと分かるのにな、と和成は自嘲気味に笑う。
「玲佳が、アイドルに憧れた理由を、知っているかな?」
「確か、一度教えてもらったことがある気がします。子どもの頃、ステージ裏からアイドルの背中越しに見た観客席の光景がとても綺麗で、自分も同じようにあの場所に立ちたい、と」
沙紀の答えに、正解とばかりに和成は首肯する。
「実はそのとき、玲佳を連れて行ったのは私でね。一時は夢を与えたことが良かったのか、それとも苦しみを助長させることになってしまったのか、と悩んだこともあった。それが今の執着につながっているからな。中学まで入院ばかりでも、一度良くなって再発した後でもぶれずに夢に向かっている姿を見ると、誇らしいと同時に痛ましいとも感じてしまうんだよ」
そこまで言った後、和成はグラスに残ったワインを一気にあおった。
「すまない。愚痴につき合わせた」
呻くように言った和成に、
「気持ちは良く分かりますから」
沙紀は本心から、そう返した。
そうか、と和成は表情を緩める。
「それにしても、君には世話になりっぱなしだな。こちらから頼んだこととはいえ、自分の時間も削っているだろう。申し訳ないな」
「いえ、これくらい。四条さんのおかげで、私はこうやって芸能活動ができているわけですから。まだ全然恩返しになっていないです」
沙紀の表情からそれが本心だと理解したのか、和成は苦笑を浮かべる。
「それは認識が不正確だな。私がやったことなど、微々たるものだ。最終的に芸能事務所に所属できたのも、今まで芸能活動を続けられたのも、全て君自身の力だよ」
それでも沙紀があまり納得いっていないような表情を浮かべているのを見て、和成は笑い声をあげた。
それがおさまると、和成は表情を改める。
「もう一つだけ。玲佳をステージ裏に連れて行った会場というのが、実は東京ベイアリーナだったんだ」
そう教えられて、沙紀は羽村の発表時の玲佳の反応を思い出す。会場の情報を聞いた瞬間、玲佳の瞳の奥に強い光が宿ったように、沙紀には感じられた。
「だから君には今回、より一層負担をかけることになるかもしれない。すまないが、よろしく頼む」
そう言って、和成は深々と頭を下げた。




