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第八章 構造計算の不整合

 建築における構造計算とは、建物が受けるあらゆる荷重や外力に対して、安全であるかを科学的に証明する作業だ。計算に一箇所の不整合でもあれば、どれほど美しく見えようとも、その建築物は一瞬で倒壊の危機に瀕する。翌木曜日の朝、律がいつも通りに出社していった後、私は自宅の書斎で静かにその瞬間を待っていた。手元のスマートフォンが、短いバイブレーションとともに、広島の真壁建設本社に仕掛けたトラッキングプログラムの最終ログを弾き出す。午前十時。真壁建設の役員フロアのIPアドレスから、あのダミーの見積原価表のデータが、社内のプリンターへと出力された。「ついに、提出したのね」香織は、律から受け取った美咲の不正の証拠を、父親である社長や役員たちが集まる定例会議の席に持ち込んだのだ。気鋭の女性建築士を社会的に失脚させ、その夫である律を自分のものにするという、彼女自身の極めて利己的な欲望を満たすために。だが、彼女はその瞬間に、自分たちが致命的な不整合を起こしたことに気づいていない。一時間後、私のスマートフォンに、真壁建設の法務部長から直接、連絡が入った。「永瀬先生、法務の杉浦です。先ほど、社長令嬢の香織様が、取締役会の席で先生の不正原価データを告発状とともに社長へ提出いたしました。……すべて、先生のご指摘通りの動きです」電話の向こうの法務部長の声は、怒りと冷徹さに満ちていた。「お手数をおかけしました、杉浦部長。令嬢は、そのデータをどこから入手したと仰っていましたか?」「正義感ある外部の人間からの内部告発だ」と主張し、頑なにソースを明かしませんでした。しかし、御社から提供いただいたサーバーログ、およびタイムスタンプにより、そのデータが永瀬律氏の端末から香織様のプライベートアドレスへ送信されたものであることは、すでに我が社のサイバー監査チームが完全に突き止めております。何より、その原価表自体が、我が社の厳重な管理下にあるはずの営業秘密です」法務部長はため息をついた。「香織様は、自分が会社の最高機密を不倫相手の男に盗ませ、それを自ら会議に持ち込んだという事実が、どれほどの背任行為にあたるか、全く理解していらっしゃらない。社長は激怒し、即座に香織様を自宅待機処分としました。週明けには、公式な懲戒委員会が立ち上がります」「承知いたしました。では、予定通り、私の弁護士から主人の律へ、民事および刑事の双方での通知書を送付させていただきます」「よろしくお願いします。我が社の法務部も、永瀬律氏に対しては営業秘密侵害罪での刑事告訴、および巨額の損害賠償請求を行うことで、社長の決済が下りました。身内の不始末とはいえ、徹底的に対処させていただきます」



 電話が切れた後、私は静かに息を吐いた。律と香織は、互いの利害が一致していると信じ込み、完璧な協力体制を築いているつもりだったのだろう。しかし、彼らの関係は、強固な信頼の上に建てられたものではない。ただの優越感と背徳感という、脆い砂の上に建てられた違法建築だ。律は香織を利用して私を追い詰めようとし、香織は律を利用して私を社会的に解体しようとした。互いが自らの利益を最優先にした結果、二人が作った爆弾は、真壁建設という巨大な組織のコンプライアンスという防壁にぶつかり、そのまま自分たちの足元で暴発したのだ。私は書斎の窓から、雲一つない東京の空を見上げた。今頃、律は自分のオフィスで、完璧にマーケティングの業務をこなしている気でいるはずだ。今夜、彼がこの家に帰ってきたとき、私がどのような設計変更を彼に告げるか、その想像すらしていない金魚の姿が、哀れで、そしてひどく滑稽だった。


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