第一章 死角なき設計
一度解体プランが決まれば、そこからの私の行動は迅速だった。優れた建築物が、緻密な工程表の元に寸分の狂いもなく組み上がっていくのと同じである。翌週、私は自宅のリビングに脚立を立て、天井の点検口を開けていた。二十四時間換気システムのダクトの形状を、わずかに変更するためだ。「ママ、何してるの?」リビングのソファーでゲーム機を握りしめていた小学三年生の息子、駆が、不思議そうにこちらを見上げてきた。「ああ、駆。この家の換気システムの調子を調べているの。最近、少し空気が澱んでいるような気がしてね」私は嘘は言っていない。あの女が残していった安っぽい香水の残臭という、最悪の澱みを取り除くための作業だ。「ふうん。あ、そういえばさ、パパ、最近新しいお友達ができたみたいだよ」駆がゲームの画面に目を戻しながら、無邪気につぶやいた。私の手が、一瞬だけ止まる。「お友達?」「うん。僕が学校から帰ってきたとき、たまに知らないお姉さんの車が近くに停まってるの。パパ、その車の人と楽しそうにお話ししてた」子供の観察眼というものは、時に大人の打算を軽々と飛び越える。駆にとっては他意のない日常の報告に過ぎないが、私にとっては貴重な一次データだ。「そう。教えてくれてありがとう、駆。これはママと駆の秘密にしておこうね」「うん、わかった!」駆は嬉しそうに頷き、ゲームに没頭し直した。 私が換気ダクトの奥に仕込んだのは、最新型の超小型環境センサーだった。一級建築士である私にとって、この自邸の空気の動線がどこに向かうかは、ミリ単位で把握している。私以外の人間がシャワーを浴びた際の、特有の湿度や香気成分を、私のスマートフォンへ自動で通知するシステムを構築したのだ。さらに、フローリングの継ぎ目。ダイニングテーブルからソファーへと向かう動線の床板の裏に、特定の体重の人間が通った際の踏み込みを記録するマイクを据え付けた。これで、我が家はただの住宅ではなくなった。律という被験者と、その浮気相手の生態を克明に記録するための「完璧な実験室」へとリフォームされたのだ。
その日の夜、夕食の席でのことだった。中学二年生の娘、結菜が、妙に冷めた目で父親の律を見ていることに私は気づいた。律は熱心にスマートフォンの画面を叩き、口元をだらしなく緩めている。「お父さん、それ、スープに袖が入りそうなんだけど」結菜がピシャリと言い放った。「あ、ごめんごめん。ちょっと大事な連絡が入っちゃって」律は慌ててスマートフォンを裏返したが、結菜はあからさまにため息をついた。十四歳の少女は、父親のその「大事な連絡」の正体を、すでに察しているのだろう。結菜は非常に現実的で利己的な娘だ。父親の浅はかな行動が、自分の将来の学費や、この快適な生活水準を脅かすリスクになることを嫌悪している。彼女はすでに、どちらの親の側に付くべきか、冷徹に選択を済ませているようだった。「律、明日から広島のホテル再生プロジェクトの現場に、一週間ほど張り付きになるから。子供たちのこと、よろしくね」私はパスタを口に運びながら、ごく自然なトーンで告げた。「えっ? 明日から? 一週間も?」律の声が、ああからさまに上擦った。その表情には、突然の寂しさなど微塵もない。ただ、予想だにしなかった特大のボーナスチャンスが転がり込んできたことへの、狂おしいほどの歓喜が溢れ出ていた。「ええ。仕事なんだからしっかり頑張ってきてね、って応援してくれると嬉しいわ」私はそう言って、健気な妻の笑顔を作った。愛おしいほどの、演技だ。翌朝、私は大きなキャリーケースを引き、家族に見送られて自宅を出た。もちろん、私が向かったのは広島の現場だ。今回のプロジェクトの発注元である真壁建設の令嬢、真壁香織が、私の夫の浮気相手であるという確信を持って。新幹線の中でノートパソコンを開き、自宅のサーバーへとアクセスする。画面に映し出されたのは、誰もいない我が家の静かなリビング。「さあ、お前たちのダンスを見せて頂戴」私は冷たいお茶を一口飲み、牙を剥くタイミングを計り始めた。




