8、堕ちる
「神子って……あの葦原の?」
「ええ」
翠玉は短く肯定した。
「彼が最後に低頭した際、その場の精霊が一斉に動いた。……間違いありません」
「いやいやいや……っ!待ってください、だって……アレですよ!?あんな品性のカケラもない……おかしいじゃないですか!」
あまりにも信じ難き事柄に、紫水は思わず身を乗り出して反論する。
「気持ちは分かります。私もその時はまさかと……」
だが翠玉は、彼とアイシールド越しに視線を交わして感じた。
認識阻害がされているだろう装備の向こう側から、あの力強い眼差しを。
何色かもわからないはずの瞳の。その時は確かに虹彩の色さえはっきり感じ、脊髄に電流が走ったかのような衝撃を受けた。
……そして、確信した。
「あれが……あれが恐らく神懸かりだ」
本日彼はずっとこの事案に対して考察を巡らせていたんだな、と紫水は拳を固く結んだ。
そうして熟考して出した答えなのだ。だから間違いないのだろう。
「ゴットネス⭐︎ファイブは、その時その時で色が違えど、メンバーに1人は葦原の神子が存在するんですよね?」
「ええ、そう聞いています。彼らは国に住まう神の力を借りて戦う部隊なのだと。恐らくメンバーに神子がいた方が力が安定するのでしょう」
手元の資料、先程開いたページに目が止まる。
——『葦原』。
紫水はその箇所を慎重に指でなぞる。
「先代の隊は、紫が葦原の神子だった。言わずもがな、我が竜王陛下の最愛……ですね?」
「ええ」
「その前は……あぁ、白か」
ぱら……と過去の資料を紐解きながら、紫水はうーんと唸る。
「ホワイトに関する記述は少ないですけど。やはり先代も先先代も女性ですよね。勝手な想像でしたが神子というのはやはり女性が務めるものだと思っておりました」
「なんで今回だけ……」とか「しかもあんなのが……」とか。紫水の口からブツブツと漏れ出るのを聞いて、翠玉も苦笑する。
確かに自分も『葦原の神子』に対してそこはかとないロマンを感じていたのだから、紫水の気持ちは嫌でも分かってしまうのだった。
しばらくして。
紫水は「さて」と。仕切り直すようにぱん!と手を叩く。
理想や夢想との決別ができたのだろうか。
「この際グリーンが『葦原の神子』であろうとなかろうと、我々の倒すべき敵であるというのが事実!なーんだ、つまり僕達がやる事は徹頭徹尾、最初から最後まで何にも変わらないという事でしたね!」
「むしろ再確認できて良かったくらいです!」という発言自体は大変頼もしいものであったが反面、その表情は『ピンクちゃんが神子だったらハマり役だったのにぃぃ……』と言っているような。非常に未練がましい蒼い顔をしていた。
「……切り替えができたようで重畳です」
翠玉といえば彼のそんな顔色はあえて見て見ぬふりをした。
「はぁ〜やれやれ本当に。たくさん頭を使いましたから。脳に糖分が足りないですね……」
若干老け込んだ様子の紫水は、そう言いながら翠玉の皿に手を伸ばすが、その手は虚しく空を切った。
翠玉が取られまいと皿を持ち上げたのだ。
「2つは食べ過ぎですよ」
「と言ってもですね、翠玉様甘いモノは大の苦手でしょう?残したら勿体無いではないですか」
紫水の手を軽く制しながら掲げた皿を静かに置き、翠玉はフォークを手にした。
「……頂きますよ。先程、野々原さんも『美味しい』と勧めていましたしね」
「えっ!?本格的にどうしちゃったんですか??あ、翠玉様も『葦原の神子』のくだりでよほどかショックを受けて……?これはいけない、脳やら味覚やらに異常をきたしているのでは!?」
「大げさです。ここで働く方が勧めるのですから。どれほど美味しいのかと少し興味が出ただけで……」
紫水は「絶対ウソですよね!?」と頭をブンブンと横に勢いよく振る。
「お国ではあれほど……誰がどんなに勧めたとて、甘味だけは固辞してきたでしょう!それがなにゆえ、あの店員のたった一声で!?おかしくないですか!?」
「そういえばそうだったな……」と翠玉はどこか他人事のように過去の己を振り返る。
翠玉の甘味嫌いは国でもそこそこ知られていた。故郷にいた頃など、誰かに甘いものを勧められることなど、とっくになくなっていたほどだ。
正直なところ——今でも甘味は苦手だった。
しかし彼女が。このケーキが美味しいとそう言った。
花が綻ぶようなあの顔が脳裏に焼き付いている。
彼女が好むものがどんな味か知りたいと単純にそう思ったまでなのだが。
だがこの心情の変化を、目の前の彼に何と言えば伝わるのだろうか。
「今日はたまさかそういう気分になっただけですよ」
少し考えたが結局半ばヤケクソのような、苦しい言い訳じみたことを言ってしまった。
自分で言っておいて何だが……これは無理があるな、とも思う。
だがこの心の内を上手く言語化出来ないでいた。そんな自身に戸惑っているのだ。
やはり紫水は追及するようなジト目でこちらを見ている。
その追求の視線から逃れるように、窓の外へ目を向けたら、ふと飛び込んできた光景に目を疑った。
——水色と白ストライプ模様のシャツワンピースに身を包んだ女性がいた。
先程の店員——『野々原』さんだ。きっと仕事終わりで帰宅するところだったのだろう。
彼女はスマホを片手に持ちながら、前方の何かに気づき、ぶんぶんと勢いよく手を振った。
彼女が笑いながら駆け寄って行く相手——青年だ。
背が高くくすんだ桃色の髪をした……男性にしては華奢で細身の。彼女と同じ年頃にみえる。
仕事終わりに待ち合わせをしていたのだろうか。
彼女は青年に「お疲れ」とでも言われているように、頭をポンポンと軽く叩かれて、またあの花のような笑みを見せていた。
随分と打ち解けている雰囲気で、他人の目から見てもとても仲が良さそうだった。
無意識に、手をついていた窓ガラスに爪を立ててしまったいたらしい。キィ、と小さな音を立てる。
「翠玉様?何を見て……あー?」
窓の外を凝視している翠玉を不審に思った紫水が声をかける。
「んんー?彼女は先程の……えーと野々原さん?と誰ですかね、あの男」
ピシン……!
何かが弾けひび割れる音を、翠玉はこの時確かに聞いた。
「あー!あれはさては恋人ですね!」
そしてミシリミシリ、と歪む。深く深く抉るように。
もうきっとこれで後戻りができないのだと。
その軋みをどこか遠くに聞きながらぼんやりと感じた。
「いやぁ青春 青春!お似合いですね……って、ええっ!?翠玉さまぁ!!?」
紫水がほっこりしながら振り向くと、何故か翠玉が爪を立てている箇所のガラスに、蜘蛛の巣状の大きなヒビが入っていた。
なおもガラスはピシピシ……と音を立てて亀裂を伸ばしている。
「そうか、よく理解しました。……身をもって」
一瞬にして『堕ちた』のだ。知らずに堕とされていたとも。
——眼前の光景が自分の感情をこうも揺らす。黒く塗りつぶす。
「いや何が『そうか』ですか!早くガラスから手を離して下さいよっ!!」
聞いているんだかいないんだか分からない上司の手を(多分全く聞いていない!)、無理やりガラスから引き剥がして、とりあえず店員を呼ぶ為に紫水は声をあげた。
「つい先程までも神に祈っていたというに。まるで呪いかのように我が身に降りかかる」
「何の話ですか!?というか一体今日はどうしちゃったんですか?!僕が気づかなかっただけでどこか悪くてらっしゃる?!」
「そう悪い。最悪ですね。……最悪な気分だ」
「はい?気分??」
「ええ……」
翠玉の視線の先には、ひび割れたガラス越しに笑い合う男女の姿があった。
「でも本当に最悪なのは。やはり人族は一目会うても……こちらを番と認識できないらしい」
——それをまざまざと実感させられた。堕ちるのは自分だけなのだと。
この後喫茶店オーナーに誠意ある謝罪と賠償を行い、2人は出禁を免れました。




