6、竜族の番《ツガイ》
——そして時は現在に戻る。
***
「ここの喫茶店のコーヒー、やっぱり美味しいですよね」
紫水は向かい合う上司に朗らかに話しかけた。
『緑の黒髪亭』——この国に降り立ってから、翠玉と紫水が気に入ってよく通っている喫茶店の名前だ。
「そうですね」
自分の言葉に頷きながら同意しつつも、しかし上司はこちらを一瞥することもなく。
難しげな顔で前任者からの引き継ぎ書の文字を追っていた。今朝からずっとこんな感じだ。
ちなみに出されたコーヒーにまだひと口も、口をつけていない状態である。
「翠玉様、この喫茶店ってほんと当たりですよね。コーヒーも美味しいけど、雰囲気も良いですし。のんびりまったりできて」
「そうですね」
「翠玉様?折角のコーヒー、冷めてしまいますよ」
「そうですね」
「……」
集中するとこちらの声が聞こえなくなってしまう彼の性質は昔から変わらない。
幼馴染でもある紫水としては慣れている。慣れてはいるが……。
少し意地悪な気持ちが湧いてくるのも、それはそれで仕方のない事だろう。自然の摂理ってやつだ。
「翠玉様。何だか僕、コーヒーを飲んだら口が寂しくなってしまったようです。甘いモノ頼んでも良いです?勿論、あなた様の奢りで」
「そうですね」
お財布様からありがたくも了承の返事をもぎ取ったので早速、紫水は手をあげて「すみませーん」と声をあげた。
すぐに「はーい」と。店員だろう。
若い女性の声が奥から響いて、こちらに足早に近づく気配がした。
「ここの喫茶店って、ウェイトレスさんも可愛い子多いですよね」
「そうですね」
「ほら、この子なんて特に!ねぇそう思いますよね?翠玉様」
「そうですね」
「? 何のお話しですか?」
突然、目の前にいる部下以外の第三者の声が降ってきて、翠玉ははっとした。
ガバッと勢いよく声の主を降り仰ぐ。
メモを持って待機していた若い店員の女性と、ぱちんと目が合う。
その刹那、脳内に電流が走るような、ぴりりと甘く痺れるような錯覚を翠玉は覚えた。
心の臓が大きく脈打ち、熱き血潮が体内を瞬時に駆け巡るような。
「……っ、あなたは……」
「……? 翠玉様?」
何故か上司は胸を押さえ、店員女性を凝視したまま固まってしまった。「やれやれ」と紫水は呆れた。
「もう、やっぱり気づいていなかったんですね。追加オーダーですよ。僕がお呼びしたんです」
女性店員は少し困った笑みを浮かべて、コテンと首をかしげた。
「あの、ご注文は?」
「このチョコレートケーキひとつ!翠玉様は?」
「あ、ええ……、ではオリジナルブレンドのホットコーヒーを」
翠玉のオーダーを聞いてますます女性店員は首を傾げた。彼女の視線は自然と翠玉の手元——まだ並々と中身が残っている——コーヒーカップに注がれていた。
沈黙が降りる。その後の「んん!」というわざとらしい咳払い。
「いえ。……私も、彼と同じものを」
「はいっ!」
店員は口許をメモで覆い、くすりと笑いながら踵を返して行った。
長い髪が、彼女の動きに合わせてさらりと軽やかに波立つ様を、翠玉は何故か名残惜しいと感じてその背を見送った。
「緑の黒髪……」
確か、この喫茶店名にもなっている。
この国の、黒髪の艶やかな美しさをあらわす言葉だと記憶している。
「可愛いというか綺麗な子ですよね。あの人族の女の子!」
「……そうですね」
おや、と紫水は片眉を上げる。まさかこれに同意が返ってくると期待していなかったものだが。
「もうさすがに起きてますよね?」と上司の顔前で手の平をひらひらと振って、目の焦点を確かめてしまうくらいには驚いてしまった。
「珍しいこともあるものですね。あなた様がそのように女性を評するなんて。故郷では聞いたことがありませんよ」
カップを持ち上げながら、翠玉は大きなため息を落とす。
「私が国で女性を下手に褒めてごらんなさい。翌日にはその女性が妻か婚約者かに据えられるに決まってる」
故郷での女性に関わる数々の(悲惨な)思い出に浸っているだろう上司の、そのげんなりとした表情には思わず苦笑が漏れた。
きっと彼が今思い出している出来事の一端くらいは、部下兼幼馴染の自分にも覚えがあるものも含まれているのだろう。
「しかし我々種族は第一に恋愛結婚でしょう?」
「だからです。あのワガママな伯父貴は、自分の恋愛を成就させたいが為に私の結婚を急いでいるらしいですね。要は私の婚姻を重臣のガス抜きに使おうとしている」
「うわぁお。高位貴族というのは大変ですね」
「高位貴族が大変というか……。伯父貴が大変なんですよ」
この『大変』の後に続く言葉は『面倒』だとか『厄介』だとかそういうニュアンスの単語なんだろうなぁ、と目の前のコーヒーより苦々しい顔をしている上司を観察しながら紫水は嘆息をついた。
あと翠玉に無理矢理結婚させたとて、重臣のガス抜きになるかぁ?とも紫水には疑問である。
王位継承権を持つ翠玉が伴侶を得るのはめでたい事として。それはそれこれはこれ、と。
絶対『次は陛下の婚姻だ!』とオジサン達にとってはもっと張り切りそうな燃料を与えるだけのような。
「やはりこれが我々の業でしょうか。尊き青き血はまさに」
「……」
——番。
半身、魂の片割れ、唯一無二……様々に言われるが竜族が竜族であるが故の宿命であり業ともいえるのがその伴侶選びだ。
竜族は成人すれば男女問わず本能的に番を追い求める。魂が震えるような。または共鳴するような。そのような伴侶に出逢い結ばれたなら……それを番と呼び、心満たされ固い絆を結ぶ事ができるであろう。
故に竜族は基本的に一夫一妻であり、伴侶のある者はその大半が恋愛結婚だ。
しかしながらその一方で、番に巡り会わなければそのまま独り身を貫く者も数多くいる。逆に享楽に耽る者も。
庶民や下位貴族はともかく、高位貴族や王族などは竜族の本能が特に強い者も多く、よしんば政略で婚姻したとしても子を授かる事がなかなか少ないのが実情だ。
「と言ってもですねぇ。確かに深刻ですよね、王族少子化問題」
なんと言っても王族筆頭である我らが竜王陛下が、彼の国で『運命』に出会ってしまったが為に、政略結婚だとかお世継ぎ作りの一切を拒否されてしまった。
『すでに妻帯ないし子がおったら、余はアレに絶対見向きもされなくなるだろうが!』……とのこと。
「うーん、いっそ。拐かしてくれば……なあんてね?」
とは。冗談めかした口調ではあるが紫水が半ば本気で思っている事である。
「……重臣も陛下の承認を通さず何回かさらったこともあるそうですよ」
「あらら。既に実行済みでしたか」
同族同士であれば本能で互いが番である事が認識できるが、対異種族となると勝手が違う。
相手はこちらを番と認識できないのだ。
それもあって誘拐婚も、今でこそ推奨されていないが、主に異種族の番を得る為に、一昔前は竜族でも習わしとして存在していた。
「しかしおかしいかな、現在も我らが竜王陛下の妃の座は空いている。どうして上のオジサン達の悪巧みはうまくいかなかったんでしょうか?」
「……結局、陛下御自ら、拐った花嫁を毎回救出・解放してしまうそうですよ」
竜王陛下曰く。『ただでさえ無い好感度をこれ以上下げて嫌われたくない!』だそうな。……難儀である。
「え?これもう詰みですよね??だってお相手人族ですもんね?異種族であっても獣人族とかならまだしも……」
確か獣人族にも番を嗅ぎ分ける本能があるはずだ。
「それはもう……、我々としては陛下の宿願が叶うのを待つしかないのでしょう」
「陛下に限ったお話ではないですが。竜族って事が伴侶の話になると途端に頭悪くなりますよね。IQ3くらいになっちゃうんじゃありません?」
「……」
目の前の部下兼幼馴染の発言は結構というかかなり不敬な発言であったが翠玉は沈黙を守る。自分も常々そう思っているからだ。
——ある人は言う。番に出会ってしまったらもうそれで一巻の終わりなのだ、と。
始まりのようでいて終わりなのだ。番に触れていれば満たされるこの気持ちは、しかし番がそこにいなければ絶望に変わる。
目の前がぱぁっと開け明るくなるのに、目の前の半身のことしか考えられない。視野が途端に狭まるのだ。
あぁ、出会わなければ知らずに済んだものを——と。
「でも嫌ですね……。僕も番というものにそりゃ、ちょっとはロマンを感じておりましたけど。彼の方のあの御姿を拝見しますに、自分はあぁはなりたくないなぁと思っちゃいますし。せめて祈らずにはいられませんよ。『あぁ、僕の番はどうかどうか最低でも人族ではありませんように!』って!」
「……そうですね、それは、私も深く同意します」
これもかなりの不敬発言であったが……やはり責めることはできずに思わず同意してしまう翠玉であった。




