26、邪竜討伐
空に浮く物体がぐんぐんと近づいてきた。
「さぁそろそろ来るわよ〜」
パープルが存外のんびりとした口調でそんな事を言い放つ。
その時のヒーロー達は、急転直下の出来事に頭がついて行かず、揃いも揃って皆同じように空をただ眺めていた。
まるで星座観察でもしているかのように、ただ敵が来るのを見届けていたのだ。
「あ、そうそう。言っておくけど手出し不要よ。私が奴に引導を渡すんだから」
いよいよその未確認飛行物体が近づいた時——、
パープルはヒーロー達に向かってそう宣言した。
グリーンは叔母の口からちょくちょく出る『奴』なる人物がどんな人かも想像出来ないが、恐らく叔母にとっての因縁の相手のはずだ。
そしてそれはつまりすごい強敵のはずで。
——うー。でも紫子さんすごーく頑固だからなぁ。
手出し不要と言われても納得しかねるグリーンであったが……しかし脳裏にはお徳用大容量ジャム瓶を、どんなに周囲が言っても宥めても、頑なに1人で食べ遂せる在りし日の紫子の姿が浮かんだ。
「パープル。それは承服しかねる」
レッドはグリーンの葛藤などものともせず、パープルの言をきっぱりと拒絶した。グリーンの心情的には「拒絶してくれた」と言っていい。
「あなたが負傷するくらいなら、俺が参戦する」
パープルは「むぅ」と口を尖らせて不満げだったが。
「負けないし、ケガもしないわよ。でもじゃあ、危機になるまではそこで見てなさいね」
***
空に浮かぶ未確認飛行物体は、近づいてみればどうやら輿だった。
その輿を中心に、供の小さな竜が周囲を囲うように飛んでいた。輿の豪奢な造りから一目で貴人が乗るような代物だと分かる。
ふと、輿の御簾がはたと音を立てた、その瞬間。
「紫子!!」
空から一直線に竜が降りて来た。白銀の竜だ。
尾をくねらせ、パープル目がけて飛んでくる。
どうやら輿が地上に着くまでの時間が待ちきれなかったようだ。
「……久しぶりね、ギベオン」
ギベオンと呼ばれた竜は、地に降り立つと同時に竜から人へ変幻した。華美な袍を纏う白銀の長髪にエメラルドの瞳を持つ美しい男性へ。
そんな美丈夫が地に足をつけた途端、目を潤ませてパープルをひしりとかき抱くように抱き寄せる。
「あぁ、紫子!余がどれ程そなたに会いたかったか!もう離しはせぬ!!」
「……」
「苦しい日々であった、耐え難き日々であった!10年だぞ、10年!そなたが奥宮に引っ込んでしまってから余がどれほど……」
自身を抱きしめるギベオンの背に、パープルは決して手を回そうとしなかった。
ただ壊れた人形のような表情で抱き締められたまま、
「そう、10年……」
空虚な瞳にぼうっと昏い炎が宿る。
彼女の……ぐっ、と剣のつかを握り締める気配。
微かな身じろぎ。そして小刻みに震える身体。
「……紫子?」
パープルは、ドンッと力の限りその胸を押す。
ギベオンはよろめき、その場から2、3歩後退する。
「10年!おまえはただの一度も侵略をやめようとはしなかった!!」
それは悲痛な叫びだった。魂からの。
ビリビリと声が反響して震えて、聞いている者達が泣きたくなるような、膝を折りたくなるような。そんな気持ちにさせられた。
「口では私を番だとほざき、愛を語るくせに。おまえは……ッ!私の大事なものを何ひとつ大事にしてくれない、心でさえ!」
彼女は泣いていた。黒い涙が頬を伝う。
その涙と同じくらい黒く紫がかった天羽々斬の切先をギベオンに向けた。
「見なさいよ、この禍々しい剣を! 苦しい、耐え難き日々だったですって? 期待をしては裏切られまた期待して……繰り返し繰り返したこの10年。憎しみの澱はまるで竜のように身体を駆け巡り、何度も胸底から湧き上がっては私に黒い雨を降らせた!!」
ぼたぼたと黒い涙が雨のように地中に染み込む。
「紫子……」
「呼ぶな!そんな優しい声音で!!」
「私だって」と彼女は続けた。
髪を振り乱し、頑是ない子どものように首を横に激しく振る。
「何の含みも憂いも無く、その呼ぶ声に応えたかった! ……でも全部全部、あんたの所為なんだから!!」
***
——そこからは一方的な展開だった。
ただの暴力で凌虐であるといえた。
ギベオンはただ黙って紫子の攻め苦を受け入れていたのだ。
斬りつけても、ギベオンは避けなかった。
袍が裂け、白銀の髪が血に濡れる。
それでも、彼はパープルに手を伸ばそうとすらしない。
パープルが息を荒げる。
「どうして避けないのよ」
「……」
「どうして反撃しないの」
「……」
ギベオンは答えない。
ただ、悲しそうに彼女を見ている。
「……何よ」
また剣を振り上げる。
けれど、その剣先が僅かに震えた。
「これじゃあ、ただの弱い者いじめじゃない」
はぁ〜とため息をつきながら、パープルは一旦振りかざした剣先をそっと降ろした。
自身の肩に担ぐように剣を置く。
トントン……と柄で肩を軽く叩きながら、やはり呆れたように、ギベオンを見下ろす。
「おまえは本当に、私だけを見ていたんでしょうね」
「……紫子?」
「私があんたを恨もうが、憎もうが。私だけは傷つけなかった。だから自分は私を愛しているつもりだったんでしょう?」
「……」
パープルは震える手で天羽々斬をぎり……と握り直す。
ギベオンは答えない。
ただ、血に濡れた顔で彼女を見つめている。
その瞳を見つめ返しながら、パープルはふと、自分の胸の奥に残るものに気づいた。
憎くて仕方がない、敵。
それなのに……。
パープルはさながら、頭に浮かんだ考えを否定するかのように、首を横にゆっくりと振った。
「私は神子よ」
ぽつりと零れた声は、先程までの激情を乗せていない、静かな口調であった。
「この街も、人も、神も……全て大事で手放せない。それら全部を、まるっと愛してるの。……そんな私を、どうしたって私は捨てられない」
天羽々斬を握る指に、再び力がこもる。
「それを踏み潰しておいて……」
黒い涙が頬を伝う。
「なぜ、おまえは私に愛を語れよう」
声が震える。ぎゅっと唇を噛みながら、
「……いいえ。語れるのね」
自嘲するように、パープルは口元を歪めた。
「それが竜族、あんたなんだもの。自分の中で矛盾なんて持ち合わせていない。本当、勝手で傲慢な男」
一度、目を伏せる。
「どうせ私だけ抱きしめれば、愛したことになると思ってるでしょうね」
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「馬鹿馬鹿しい」
ほんの僅か、笑ったようにも見えた。
何の笑みなのか、もう彼女自身も分かっていないのかもしれない。
「……そんなあんたを愛してしまった私も」
天羽々斬を握る手が、また震える。
「馬鹿みたい」
本日もう1話更新予定です




