21、日常
他の住人の起床時刻も近いことから、触手は一旦みどりの部屋へ返した。朝から顔合わせするには少々刺激的な姿をしているので仕方がない。
本当は髪の毛に偽装してバイト先に連れて行くつもりだったみどりだが、今となってはそれも内緒である。紫子にはすぐにバレていたし。
「そういえば。紫子さんが朝ごはんにおにぎりだなんて珍しいね」
みどりは紫子が用意してくれたおにぎりを頬張りながら、何の気なしに話しかけた。
この叔母は朝はパン派であったはずだ。
紫子は「ちょうどジャムが切れたところだったから」とあっさり告げる。
「え?あぁ。あの大容量ジャム全部食べ切ったんだ。そういえばもう少しで終わりそうだったもんね」
「そうなの。うっかりしてて。ジャムの買いおきするの忘れちゃってたのよ」
洗われたジャムの空瓶(大)が水切りカゴに置いてある。
そういえば、とみどりは冷蔵庫に貼られたゴミカレンダーを確認する。
「やっぱり。今日資源ゴミの日だよ。あのジャム瓶、バイト前に出しておくね」
紫子は苦笑しながら、「出さなくていいわ」と。
「え。だってあんなに大きい瓶、邪魔じゃない?」
「毎日使ってたら愛着湧いちゃったのよね。何かに使うからいいわ。……そうねぇキャンディでも詰めようかしら」
「そう?なら良いんだけど……」
何かに再利用したいらしいが、まだリメイク方法を見出していないようだ。
何に使えるか分からないが、紫子の気の済むまでやればいいかと、みどりも切り替える。
やはり不要になったらその時点で捨てれば良いだけの話なのだから。
紫子はお茶を飲みながら「それにしても……」と呟いた。
「今みどりが戦っている敵はずいぶんな奴みたいね。女性にアレを差し向けるなんて……」
「え?あー……」
紫子があの子を『アレ』呼ばわりするのはまだ仕方がない。みどりも最初はそうであった。
見た目から来る拒否感は、初見であれば誰しもが感じるところであろう。
それは悲しいことだが……きっと遠からずあの子の魅力は徐々に伝わるであろうし、今は何より一緒に住む許しが貰えただけで重畳なのだ、とみどりも今は割り切る事にした。
——きっと紫子さんもあの子がいい子だってすぐに分かる。そうしたら自然と仲良くなれるはず。
そしてみどりは昨晩の出来事を思い出す。
エメがあの子を出した時のアメとのやり取り。それは確か……
「なんか私と直接戦っている敵の、その上司の意向だったみたいだよ。上司っていうか身内?伯父とか言ってたかな」
それを聞いて。紫子は勢いよく立ち上がった。
心なしか、顔色が悪い。
「伯父の……意向?」
「え?あ、うん。『試して欲しい』って言われたから持って来た、みたいな事をその時は言ってたけど」
そうだ。事の始まりは確かにそうであったな、とみどりも話しながら鮮明に思い出してきた。
ただしきっかけはどうであれ、エメも結局『あの子』を兵器として試用したのだ。だから彼の伯父とかという、その人物と同罪なのだけれども、と。みどりは結論づけた。
みどりの思いなどそっちのけで、紫子は自身の考えに没頭しているようだ。
やがて、ふっと自嘲気味に。
「よく分かったわ……今に目にもの見せてやるんだから」
「ゆ、紫子叔母さん?」
「みどり、待っていて。奴は私が必ずどうにかするから」
「???」
紫子は何かを固く決意するように。唇を引き結んで、静かにシンクの方を見つめていた。
***
——『緑の黒髪亭』
みどりは更衣室で、制服のエプロンの紐をギュッと結びながらため息をついた。
「今朝の紫子さん、様子おかしかったなぁ。大丈夫かなぁ……」
ロッカー扉に備え付けの小さな鏡を見ながら、前髪をちょいちょいと手で直す。
——ううむ。どういう意味か、また帰ったら聞いてみないと。
あの時は雰囲気に気圧されて何も言えなかったが。大体『奴』って誰なんだ。みどりにはまずそこから疑問だ。
そういえば紫子が現役時代の話をする時、たまにひどく顔を顰める時があるな、とふと思いつく。
——なぁんか。その事と関係ありそー。これは女の勘ってやつ、ね!
そう女の……女……
あ、そういえば!とみどりはポーチをガサゴソ漁る。新しい色つきリップを買ってあるんだった。
「これこれ。使うの楽しみにしてたんだよね」
くるくるとリップを繰り出し、それを唇にのせる。
思った通り可愛い色だ。自然と口角が上がり、気分も浮上するように感じる。
お年頃で単純なみどりはすっかり気分を良くして、ルンルンとホールへと向かったのだった。
***
「花の妖精かと思いました、みどり」
開口一番に翠玉がそんな事を言う。
「は、花の妖精……?」
その言葉に動揺して、思わず注文のコーヒーをひっくり返しそうになった。すんでのところで事なきを得たが。
「あの。えと。ありがとう翠玉さん。そんな例え方されたの初めて。でも嬉しい、です」
「いえ。思ったまでを言っただけですから」
「お、思ったまでかぁ……。そ、そっかぁ〜」
えへへ、とはにかみ笑いをするみどり。
本日も相変わらず、大変キラキラしい翠玉である一方、
「……」
向かいに座っている紫水はといえば、無言でアイスコーヒーを飲んでいる。実に虚無である。
遠くを見つめている犬、みたいな佇まいだ。じっと一点だけ見て固まっているような。ちなみに視線の先には何もない。
翠玉はといえば、みどりのどんな表情ひとつも取りこぼさん、とばかりにじっと彼女を見つめていた。
「やはり……」
「翠玉さん?」
「全く似ていないというのに……」
「似て……?」
キョトンとするみどりに、翠玉は苦笑しながら「いえ……」と前置きをする。
「あなたが知り合いに似ていると思ったんです。……ですがただの思い違いのようです」
「そうなんですね?翠玉さんのお知り合い……ということはもしかして異星の方ですか?」
後半は声を落としてヒソヒソと。
彼らが他星出身であることは、もしかすると周囲に隠しているかもしれない内容だからだ。
「異星の方と私が似ているかもだなんて。ちょっとお会いしてみたいです、なんて」
「あぁ、いえ。この国の知り合いなんですよ」
みどりは「なるほど?」と納得した。
「人間の……しかもこの国の人でしたら。私に似ている人は何人もいると思いますよ。逆に翠玉さん達から見たら見分けもつきにくいのでは?」
海外の人にさえ、『この国の人達はみんな同じに見える!』だなんて言われるくらいだ。
自分も外で翠玉達にばったり会えば、彼らに『緑の黒髪亭のみどり』として認識されないかもしれない、なんてみどりは冗談混じりで言い放った。
翠玉はそれを聞いて、「まさか!」と反射的に席を立ち、みどりの手を取る。
「私があなたを分からないはずがない。どこで会ったとしてもあなたを誰かと見間違えるなんてことは……ッ!」
と。そこまで勢いが良かった翠玉だったが途中で。
「無い……と言いたいところなのですが」
しおしおとその勢いが目に見えてしぼむ。
みどりは「ふふ」と笑う。
多分だけど。この国で出会った『誰かさん』と私を重ねた事があるのだろうな、とみどりは苦笑した。
「そんなに落ち込まないで、翠玉さん。別に誰かと間違えたって良いんです。私は全然気にしていないですよ」
みどりは翠玉や紫水のように目立つ容姿をしているわけではない。同胞の群れに放り込まれたら埋没してしまうような見た目と個性だろうなと自認している。
まだ消沈している様子の翠玉の顔を覗き込み、「ね?」と控えめに微笑むみどりに対し、
「……やはり全然似ていない。あなたはこんなにも、花のように可憐なのに」
「う。またそういうことを……」
——全く。落ち込みながらそんな事を言うんだから。
案外調子の良い人なのかも……と。みどりは思う。
彼の中ではただの挨拶みたいな……というか、彼のそういう甘い言葉を今後はあまり真剣に、そして重く捉えるべきじゃないのかも?なんてみどりは考えた。
——何というか。翠玉さんて女性がいたら褒めて口説かないと失礼だ、みたいな文化圏出身なのかも?
だから出会ってまだ日が浅いみどりに、こんなにも甘いのだ。
うんうんきっとそうよね、とみどりは自身に納得させるように頷いた。
これ以上は心臓に悪いので、今後は何か言われても「ハイハイ」でスルーしなくては、と決意を新たにする。
するとそんな様子のみどりと翠玉のやり取りを観察していた紫水が「ううむ、これは……」と慄く。
「……ボタンを盛大に掛け違えてそうな予感。やばぁ……」
ちゅーとストローで飲んでいるアイスコーヒーの、そのなんと苦いこと。
もう1話本日更新予定




