20、しょくしゅとちょうしょく
——翌朝
「おふぁよぉ〜」
みどりの声だ。まだ少し寝ぼけている声。
紫子は朝食の準備を進めながら「おはよう」と挨拶を返す。視線は現在成形中のおにぎりに固定したままで。
「今日は朝から講義?」
「ううんー。喫茶店バイト。平日のモーニングスタッフ足りないんだって」
「あらそう」と相槌を打ちながら、紫子はおにぎりに海苔を巻く。
「あんまり朝早いシフトはよしたら?ヒーローバイトだって夜遅くなる時もあるし……」
「今私も後悔してるとこ〜。ふぁ、ねむぅ……。相談してみる〜」
「そうしなさい」と紫子はおにぎりの乗った皿を食卓に並べようとして、初めてみどりと向き合う。
テーブルに突っ伏して「だるぅーい」と唸っている彼女の姿に微苦笑を漏らし……、
「……ん?」
違和感があった。
みどりの寝起きの髪。いつもよりもボリュームが……。しかも何だかウネウネと蠢いて……?
「ひぃ!な、な、な、何よこれぇぇ——!!?」
早朝から紫子の叫び声が神社一帯にこだました。
***
「ねぇねぇ飼ってもいいでしょう?紫子さぁん……」
「ダメよ。元いた場所に返して来なさい」
「それが無理なんだよ。侵略者達が他星から攫って来たんだもの。この子すごく可哀想なんだよ」
みどりの髪の毛に偽装していた触手はシュン……と心なしか項垂れている。
故郷の事を思い出しているのだろうか?その様子にみどりは胸を痛める。
「お願い叔母さん。お世話は私がちゃんとするから!」
「……」
目の前で手を合わせて熱心に頼み事をしているみどりに、知らず紫子の心が揺らぐ。
この姪がここまで何かをねだったことがあっただろうか。
姉夫婦が亡くなりこの子を引き取って以降、彼女は周りに迷惑をかけないよう、紫子の負担にならないよう、どこか遠慮して毎日を過ごしていたかのように思える。
みどりの背後にいる触手をチラリと伺い見る。にゅるにゅるぬっぷぬぷと蠢くそいつを。
——見た目が正直、公序良俗に反しすぎているのよね……。
果たしてティーン女子と掛け合わせて良いシロモノだろうかと、紫子は唸る。
「絵面的に非常に厳しい……」と渋い顔をしている叔母の横で、みどりは「ふんふん。え?まにまに?」と触手の声に耳を傾けていた。
ツンツン、と叔母の肩をつつくみどり。
「ねえ、紫子さん」
「え?」
「この子がね、『朝露の 我が身一つは 君がまにまに』だって」
「……触手が?」
「そう。触手が」
「……」
紫子は口角を引くつかせる。
——万葉集巻11(2691番歌)作者不詳……。
こめかみを揉みながら、脳内の情報処理に時間を費やし数分後。
「……みどり。あなた本当にお世話できるの?」
紫子の言葉にぱぁっと表情を明るくするみどり。
この質問は実質最終確認であり、よっぽど回答を間違えなければほぼ勝ち確では?と彼女自身も浮き足が立ってしまった。
「できるよ!できる!!この子賢いし。それにね、お水と肥料があれば良いんだよ。あとは私、この子の言葉がわかるものっ!」
傍目からも分かるはしゃいだ様子の姪の姿に、紫子は「はいはい」と少し笑いながら頷きつつ、「肥料って何をあげるの?」と素朴な疑問を呈した。
「ホームセンターで買えるものかしら?」
「……え゛?」
「ん?」
「あー、えと。ホムセンではちょっと……買えない、かも?」
途端にしどろもどろになるみどり。横にいる触手と同じくらいクネクネしている。
紫子は「みどり?」と。にーっこりと、微笑みながら。
「肥料は、何を、あげるの?」
「あ、の。その……お……お……お」
「お?」
みどりの目は泳ぎに泳ぎ。汗が滝のように流れた。
「女の人の、体液……」
***
——その後のことは正直ほとんど記憶にない、と後のみどりは語る。
「児童ポルノ」だとか「公序良俗が」とかそんな事を叫びながら、「義兄さんと真白姉さんに顔向けできるわきゃないわ、こんなもん!」と荒れ狂う紫子をどうにか宥めさせ、「汗でいい!サイズも小さくなったから少量で良いって!」と取りすがり、何とか納得して貰ったのだった。
改めて朝食の席。まるで通夜のように静まり返ってしまった。
向かい合う紫子は「はぁぁ」とこれみよがしに重いため息をついた。
「その触手は人語を解するのね?そして元はと言えばあっちが兵器として投入してきた。そういうことね?」
「……はい」
「なら、あなたが使役しなさい。……戦力として」
「! でもそれは……!」
ガタンとテーブルをついてみどりは立ち上がる。
紫子は「否やは聞かない。うちもボランティアじゃないのよ」と。視線を触手にうつす。
「境遇には同情する。でもね、現在2名の欠員が出ているわ。その中でみどりは厳しい戦いを強いられている。……あなたもみどりを失ってこの国で野良宇宙生物として討伐されたく無くば。彼女を主人と定め共に戦いなさい。……それが嫌なら今すぐ出ていってちょうだい」
——『……』
触手は紫子の方を向いて、ぺこりと会釈をするようにワサついた。
「な、なんて言っているか分かる?みどり」
「えーと、ふんふん。『己が復讐の為ではなく、彼女を守る為であらばそれこそ正道。命じられずとも義憤が我を戦地へ駆り立てるだろう。……海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ』って言ってるよ。……ありがとうね」
「……今のワサつきだけでそんな長文喋った?」
触手が詠んだ和歌は、「朝露のように儚い我が身はあなたの御心次第です。委ねます」みたいな意味あいで捉えて下さい。
下記万葉集の和歌を引用しています。
こちらは恋歌です。
「かにかくに 物は思はじ 朝露の 我が身一つは 君がまにまに」
万葉集巻11(2691番歌)に収録 作者不詳
もう一節、触手のセリフ「海行かば〜」は作者大伴家持『万葉集』巻18・4094。
長歌の一部です。海に行くなら水に漬かる死体、山に行くのなら草が生える死体になる覚悟です、後悔しないぜ!みたいに捉えて下さい。




