19、触手の品格
——ヘルメットを介してしばらく無言の攻防がなされたが、結局グリーンのヘルメットが頭から外れる事はなかった。
「何かの術が施されているのでしょうか……?」
少し息があがった状態で、エメはグリーンのヘルメットをコンコンと確認するようにノックした。
グリーンもはっ、はっ、と短く荒い呼吸を繰り返す。
頭がぼんやりとしてきた。くらくらする。
「ね、いちお、確認するんだけど。この粘液に毒性って……?」
「ありませんよ」
「あ、そ……ですか」
あっさり涼しい顔で言ってのけるエメに、一瞬純粋な殺意が沸いたのは言うまでも無い。
マジで何でこの触手投入してきたんだこいつ……と、グリーンは酸素が足りない脳みそで、それでも敵への怒りが燃えたぎった。
大体が不安定な体勢でずっと吊るされている。そろそろ体力の限界に近かった。
ちうちうとグリーンの肌を吸っていた細い触手。
ふとそれが目についた。
——あれは。
小さなふくらみだ。
目を凝らしてみると触手から、いくつもの小さな白い蕾のような物がついていた。
——この触手は、『生物』では無くて『植物』?
植物なら声が聞こえるはず。だって神様から……そしてパパからの祝福!
グリーンは思い立ち即座に、汗を吸う小さな触手に「ねえ」と微笑みかけた。
「あなたの声を、聞かせてくれないかな?」
ザザザとノイズ混じりの音。チャンネルが合わない?
でも微かに……耳を澄ませる。
——『……』
「さんざんあなたの事、気持ち悪いって言ってたものね。本当にごめんね?都合が良いかもしれないし、今更なんだけど。あなたの事、知りたくなっちゃったの」
——『……ナイ』
「なあに?」
——『タリナイ、エイヨウ、タリナイ』
「! そうなのね!!」
ちらりと先程の蕾達を見れば、まだ硬く閉じられたものばかり。どころか足元には蕾のまま散ってしまっているものも多くあった。
「あなたは、何を……?」
エメは不審に思い尋ねた。グリーンが独り言を言っているようだからだ。
彼女はそんな彼からの問いかけなど無視して熱心に触手に話しかけた。
「栄養って、えと私の体液……だよね?」
——栄養が足りなくて蕾が開かない。この子はオス……雄株って事かな。きっと花を沢山咲かせて、花粉か何かを飛ばしたい……んだよね?
グリーンは目を閉じる。
——ねぇ神さま。私今までだったらきっと、『せめてこの場を切り抜けたい』って考えて行動していたと思う。
でも。『もっと』を目指しなさい、欲しがりなさい……あなたがそう仰って私を導いてくれた。
だから——、
「私、今回の『もっと』決めたよ」
——この子の咲かせた花が見たいな。
瞼の裏の神は笑って頷いていた。『それでこそ、業突く張りの葦原のむすめ』そう言って。
——『さぁ籠絡たらしめ、異形も神も精霊も!』
胸の中でパキン、と音がしたような気がした。
何かの歯車と歯車が噛み合う……いや、『種が割れた音』だ。
頬に吸い付いている触手に、そっと唇で触れた。
そして囁く。
「ねぇ、もっと私とお話し、しよ?」
さんざん舐ぶられるように身体を這われ、粘液と触手の摩擦によるものだろうか?身体がほてったように上気していた。息も上がる。
正直今のグリーンは、まともにモノを判断できる状態ではなかった。
それでも。
「母星から遠いこの星に根を張るつもり?それなら私のところにいらっしゃいな」
——『……』
ちゅっと控えめなリップ音。
グリーンが触手に優しくキスをした。
「仲間から無理やり切り離されてこの星に連れて来られたのね。ひどいわ。あなた独りぼっちなんでしょう? なんて可哀想な子」
——『……ウウ』
ちゅっちゅっちゅ……
「ねぇこの拘束を解いて?……私にあなたを抱きしめさせて?」
——『……』
にゅるにゅる、ぬぞぞぞぞ……
触手が引くように動いて、グリーンの手足の拘束が解かれた。エメはその光景を信じられない物を見る目で見ていた。
「何が……!?」
グリーンはそっと触手に触れようと両手を伸ばす。
触手もそれに応えるように、にゅるにゅる……とゆるくグリーンの身体に巻き付いた。
「寂しい、悲しいね……少しだけあなたの気持ちが分かるよ。私にもパパとママがいないから……」
2人 (?)は静かにそっと寄り添った。
つうぅと頬を伝う温かい涙。グリーンのそれを触手はじゅっと吸い取った、その時。
ぽんっ!
「わぁ!きれいな花!」
ひとつの蕾から、淡い桃色がかった白い花が咲いた。桜のような可憐な花だ。
「私を慰めようとして……?ふふ、なんて優しいんだろう。あなただって……ううん、あなたの方が辛いのに」
そうして顔を寄せて、また優しくキスの雨を降らせるグリーン。
「ね、私のところへいらっしゃい。優しくて可愛らしい、愛しい子。私で良ければ毎日栄養を分けてあげれる。それにこの星で1番あなたを理解できるのは私だよ。私ならあなたの言葉が分かる、あなたのこころに触れられるんだよ……」
触手から了承の返事を貰えたのだろうか。
グリーンは「嬉しい!」と言って触手を一層強く抱きしめた。
そしてたった今綻んだ花と、呆然と立ちつくしているエメとを交互に見つめ、
「でも本当は……この花を仲間や未来の連れ合いに見せたかったんだよね。咲き誇る大輪の花を、あなたの輝かしい生を!」
そして——、そっと囁く。
まるで誘うように。
「ねぇそれらを奪ったアイツに、ちょっと意地悪しちゃおうよ?」
最後にペロンと『可愛い子』をひと舐めして。微笑む。
それはまるで女神のような神々しさで。
***
レッドはこの触手による拘束が、害の無い物だと判じて以降、そのまま囚われの身である事を選んで現在に至る。
突如、足に巻きついていた触手がしゅるりと解けた。
どうやらもう束縛する意志が無いらしい。
その直後だった。
ゴゴゴゴゴ……と激しい揺れと地鳴りが鳴り響いたのは。
「お? グリーン、頑張ったかぁ」
感心感心、とよっこらせと立ち上がる。
引率指導係も難しいな、とバキバキに固まってしまった身体をほぐしながら嘆息をついたその時、足元がぐらついた。パラパラ……と床も崩れ落ちる。
「……思ったより崩壊が早いな。地上からどれ位の高さにいるんだろうな。さっさと脱出するか」
***
崩落寸前に、エメは地上に降り立った。
グリーンもほぼ同時に地上へ。
数本の触手はまるでブランコのようになってグリーンを地上までゆっくり運ぶ。
崩壊した触手のジャングルは、姿形を保てずに地面に倒れては灰のようにボロボロと崩れ落ち、宙に溶けるように舞い散っていった。
アメと地上で戦っていたピンクはギョッとして。
一時休戦をすると慌ててグリーンに駆け寄る。
「グリーン!これは一体……?!大丈夫ですの!?」
「栄養が足りなくてね、あの巨大な姿は維持出来ないんだって」
「いや、触手の心配はしてなくってね……っ!?」
ふとグリーンの背後を見れば、にゅにゅにゅるん〜と。
人の背丈程の触手5.6本がひと束になって控えていた。
それを目視確認したピンクは思わず「ひぃ!」と短い悲鳴をあげる。
時折大型犬のように、グリーンが「よしよし」と撫でたり、彼女の顔に擦り寄るようにして甘えている光景は、ピンクにとっては中々衝撃的な画であった。
「な、何故、仲良くなって……?」
「とても良い子なんだよ。それより……」
グリーンの視線の先には、エメとアメがいた。
アメが「魔女が……」と忌々しげに呟いたのを、グリーンは聞き逃さなかった。くすりと笑う。
「違うよ。にんげん、だよ。あなた達風に言うなら『人族』ね?」
ふふふ、と喉を鳴らす。
不愉快な気分なのに笑いが込み上がるのってなんだろう。疲れているんだろうな、とグリーンはどこか他人事のように自身の感情を処理した。
「私ねこの子の気持ちに寄り添っただけ。良心のある『人間』だから。優しい気持ちで接したら、心を開いてくれたんだよ。魔女だから、じゃない」
——この子の声を『聞こえる』ようにしてもらった。
でも他には特別な事はしていないんだ。
「この子にね、一緒に復讐しちゃおうよって誘ったんだよ。でもこの子はね、もういいんだって。『復讐からは何も生まれない。憎しみの連鎖を断ち切るが定めとそれを終生、己に課す。相手を憎悪で貶めたら自分の品位品格も落ちるから』……って。そう言って私を止めたんだよ」
「……触手が?」
「……触手が」
「触手、が……」
エメとアメはそれきり黙り込んでしまった。
ついでにピンクも「触手が……?」と触手をガン見せずにはいられなかった。
いやおまえ……何でそんな高尚なのにじゃああの時の亀甲縛りは一体……?とピンクの思考回路はショート寸前であった。
そんな周囲の反応などお構いなしに、グリーンは「だからね」と続ける。
「今日はこの子に免じて許してあげる。でもね、覚えておいて。この子は故郷で仲間と一緒に暮らしたかった。母星で愛する者を見つけて花を咲かせ、種を残したかったんだよ。そうやって自分の命を輝かせ生を謳歌したかったの」
グリーンが一歩、また一歩とエメの方に歩みを進める。誰もその行為を止めず、その場が凍りついたように動く者はいなかった。
「花がどこで咲きたいのか。花の気持ちを知ろうともせずに手折る行為は、侵略者の行動原理そのもの。野卑で野蛮で唾棄すべき行為」
彼女が鼻先にまで近い距離にまで来て、やっとエメがたじろぐ様に後退しようとした……ところを、その動きをやんわりとグリーンが止めた。
エメの頬を両手で包み込んで。
「手折る花はよく選ばないと。ねえ、あなたにこの意味が分かるかな?」
「……っ!」
エメの脳裏に彼女が浮かんだ。
綻ぶような、はにかむような笑みの。美しい黒髪を持つあの人が。
「あなたは、誰だ……?」
「何で今それ? ……そんなの、内緒だよ?」
あまりにもかけ離れている。『あの人』に。
淫靡で傲慢で魔性……それでいて苛烈。全て『あの人』を形作る要素では無い。『あの人』の要素たらしめる物が無いはずなのだ。ひとつたりて。
……それなのに、目の前のグリーンから目が離せない、背けられないでいた。どうしても惹かれてしまう。
その事実をエメは噛み締めていた。打ちひしがれるような。震えるような気持ちで。
一方のグリーンは、仮面越しでもエメの顔色が変わるのが分かって満足した。やはり想い人に関しては表情に出やすく分かりやすいと。
「……もしこれだけ言ってもあなたが凶行を止めないと言うならば。私が、このグリーンがあなたを倒す。だから覚悟しておいてね」
——もう地獄に落ちろ、なんて願わないよ。
叩き落とす、この手で。必ず。
そう言ってグリーンは咲った。




