47 聖女ニナ
その場所に立った時、ニナの胸には懐かしさが押し寄せて来た。
故郷を偲ぶような愛しさではなく、苦しい記憶を覗き込む痛みを伴う記憶。
(あぁ、そうか──)
ニナはこの場所を、間違いなく知っていた。
(ここに、召喚された)
石造りの床、壁を照らす松明の橙色の光。
何もない空間に、幼いニナは座り込んでいた。故郷から切り離され、見知らぬ人に囲まれ、暴力に怯え、恐怖の中で祈った。
どうか、誰か助けてくれますように。
「──ニナ」
ニナは、引き寄せられるように一歩踏み出した。
つながれていた手が、ピンと伸びる。振り向けば、ここまで付き添ってくれたジークハルトが心配そうな目でニナを見ていた。
ニナは、硬い表情のまま頷く。ここが、聖地。聖モントローズ王国の中心。
ニナでなければ成し遂げることのできないことが、ある。
ジークハルトの手から、ニナの手がするりと抜け出る。
聖女らしからぬと罵られた薄青のドレスの裾を引きながら、ニナは聖地たる場所の真ん中へと歩んでいった。
息遣いが、反響する。ニナは自分の息が荒くなったように感じた。
緊張からか、恐怖からか。
ニナは再び振り向いた。そこには、自分を見つける若草色の瞳があった。
大丈夫。心配ない。きっと成し遂げる。
声にならない言葉を乗せた眼差しを受けた瞬間、ニナの呼吸は穏やかになる。
(できない──なんてことはない。きっと大丈夫)
ニナは冷たい床の上に膝をつく。手を組み、首を垂れた。
(どうか──助けて)
私ではなく、この国で魔獣に脅かされる人を。
ニナはそう願いながら、自分の中の魔力を整え、練り上げていく。体の中に満たされた力が、これまでにない速度で、一気に膨れがある。はちきれんばかりになった魔力に、ニナは魔力だまりの意味を思い知った。
息苦しい程の魔力に、内側から翻弄される。
ニナは、顔をゆがめながらうっすらと目を開いた。
その瞬間、ニナの目に移ったのは、宙を縦横無尽に走る光の粒だった。自分の魔力であることは、すぐに分かった。
(これが、魔力だまり。聖地が聖地である理由)
魔力だまりの後押しを受け、ニナの魔力が氾濫している。目に見えないはずのものが、形を得て、走り回り、ぶつかり合う。
だが、目に見える形になった瞬間、ニナは魔力の流れが手に取るようにわかるようになった。
こんがらがった結び目を解くように、ニナは魔力に秩序を与えていく。竜巻に漂う落ち葉の様に乱れ、漂うだけだった魔力が、渦の流れに沿って動き始めた。
こうなれば、全てニナの思い通りだった。
右へと祈ればくるくると踊るように煌めきながら右へ、左へと願えば、ふわふわと漂いながら左へ。
ニナは段々面白くなってくる。
この光が、聖モントローズ王国を満たせば、とても美しくて、とても楽しいに違いない。
ニナはその一心で、自分の魔力を高め、光の粒子へと変えていく。
後ろで感嘆したような息がこぼれたのが分かった。ジークハルトも驚いている。喜んでいる。
そう思うと、ますます楽しくなった。
やがてニナの魔力を聖地を埋め尽くし──空へと広がり、聖モントローズへと降り注いだ。
黒い霧は立ちどころに消え、魔獣たちは正気に戻り、山谷へ帰る。緑の息吹きが、大地を巡った。
国を包む奇跡の光。光の雨。
後の世で、聖女ニナを称える代名詞と呼ばれることになるのを、この時のニナが知る由もなかった。




