48 終幕
「わが国のみならず、世界を襲う危機を乗り越えるに至った立役者を紹介しよう」
テオパルド王国王宮の大広間に、国王陛下の深くも堂々とした声が響く。
ニナは、落ち着かない気持ちで隣に立つジークハルトを見上げた。どこまでも穏やかな若草色の目を細め、安心させるようにニナの手を握る。
そしてその手を、自分の肘へと導いた。
ニナは、お気に入りの薄青色のドレスを纏っていた。
戦闘服だと意気込み選んだ日は、もはや半年以上も前のことだ。
「偉大なる聖魔法使いニナを。そして我が甥っ子、ジークハルトを」
この国では、公の場でニナを聖女と呼ばない。徹底された気遣いに、いつもありがたい気持ちになる。
歓声と拍手が巻き起こる。ニナとジークハルトは国王陛下の紹介に従い、客前へと出て、一礼した。
洗練された淑女の礼に、ほうとどこからともなく息がこぼれるのが聞こえた。
「皆が知っている通り、黒い霧や魔獣の脅威は去った。そして、もう一人我が孫が生まれた。こうして宮廷舞踏会を開き、良きことを皆で分かち合うことが出来て、嬉しく思う」
国王陛下の隣には、第一王子と王女の手をつなぐ王太子、第二王子を抱いた王太子妃の姿があった。
赤子の成長は早い。首も座り、まもなくお座りができようかという第二王子は抱かれていることが不満なようで、王太子妃の細い腕の中で背を仰け反らせていた。
ニナがジークハルトを始めとした討伐部隊と共に、テオパルド王国に残った魔獣の討伐のために遠征に赴いたのは、まだあの第二王子の目も明かぬ頃だったはずだ。
黒い霧の大半は、聖モントローズ王国に流れていた。それまでの遠征で、テオパルド王国の魔獣の多くは討伐していたが、まだ、全て討伐には至っていなかった。
特に王都から離れた町や都市ではそうだ。
そこで、再び遠征へと赴くことになったのだ。王都から距離こそ離れていたが、魔獣の討伐は予想以上の速度で進んで、解決へと至ったのだった。
「そして、聖モントローズ王国と我が国は正式に国交を結ぶことになった」
聖モントローズ王国は、あの後、病床にあった国王陛下が正式に譲位の意志を示した。
テオパルド王国のみならずオリオール公国や周辺諸国の後押しを受けて、アルバート第二王子が玉座に付いた。
まだまだ王国は混乱の中にあると聞く。根強く残る第一王子派との権力争いの真っただ中なのだとか。
だが、アルバートを支持する民も貴族も多い。
テオパルド王国からは優秀な官吏がアルバートの側近候補として何人か派遣されている。
きっと、アルバートはこの混乱を乗り切ってくれるはずだ。
そして、聖モントローズ王国も今までよりも諸国に開かれていくのだろう。魔獣の被害を広げるのとは違う方法で、豊かになっていくはずだ。
エドウィンは、王位継承権を剥奪された後、南にあるイェイツ男子修道院へと送られたのだと聞いた。
厳格さにおいては、ランデルにある女子修道院と並ぶ場所だ。
もう、二度と世俗と交わることはないと言われている。
「そして、この場で、皆に更に素晴らしい報告がある」
もったいぶった様子で、国王陛下が言う。
「ジークハルトの願いを受け、王家直轄地の一部と隣接するブルメンタール公爵地の一部を割譲し、新たにガーランドと名付けた。この新たな地をジークハルトに与える。これより後、ガーランド伯爵を名乗るのを許そう」
「ありがたき幸せにございます」
波のように押し寄せてくる拍手に応える様に、ジークハルトが胸に手を当て頭を下げた。
通常、序爵は最も位の低い男爵からだ。それを飛ばし、伯爵位を授けられたと言うことは、ジークハルトの功績が十分に評価された結果だということがわかる。
ニナは、掌が痛くなるほどの拍手を送りながら、ジークハルトを見た。
ニナもまた、誇らしさで一杯だった。ニナに色々なものを与えてくれた人に、やっと自分からも返すことが出来た。
隣に立つジークハルトが、紅潮した頬を隠すように俯いている。その姿を微笑ましく思う。
(照れ隠し。こんな風な顔をするんだ)
あれほど一緒にいたのに、まだまだ新しいジークハルトを知ることが出来る。
ニナは、幸せだった。
愛する人がいる。人を愛して、愛を返されて。その人のために自分にできることがあった。そして、これから先にも、幸せは、この先も続いていくのだ。
遠征の合間、ジークハルトはニナを近場の観光地や買い物、馬での遠乗りに連れ出してくれた。
ニナが楽しい、美しいと言うたびに、ジークハルトは優しく目を細めて言うのだ。
「また、来年も、再来年も来ましょう。一緒に」
今はまだ、思いを伝えあっただけ。
だが、この先に確かなつながりが生まれればいいと、ニナは思い始めていた。
(そうして、本当に私も、この世界に根を下ろすことが出来る気がする)
ジークハルトが自分の地と家を望んだ気持ちが、ニナにも痛い程わかるのだ。
「そして、もう一つ。このことを、私から報告することができることを、心から光栄に思う」
国王陛下の声に、場が鎮まった。
おそらく、一番の報告だと、誰もが予感していた。
ニナもまた同じだった。胸を高鳴らせながら、国王陛下からの言葉を待った。
「ジークハルトとニナ。二人の婚約を、国王として承認したことを、この場で宣言する!」
ただし、それはニナについての事だったにもかかわらず、ニナは全く知らない話だったのだ。
「──はい?」
素っ頓狂な声は、この日一番の歓声にかき消された。
茫然と佇むニナとは違い、ジークハルトは手を上げ、歓声に応え、ニナの手をしっかりと握った。
「幸せにします」
妖艶なほど美しく微笑む顔もまた、初めて見る表情だった。
だが、それに見惚れている余裕は、今のニナにはなかった。
「ちょっと──!」
ニナは慌ててジークハルトの礼服の袖を引いた。
「ちょっと待って。婚約?」
「はい。婚約です」
ジークハルトは頷き、どこかうっとりとした表情を浮かべた。
「私は今、世界で一番幸せなのではないかと思います。家を興し、伴侶を迎えることが出来た。心から愛する人を」
「婚約って、私達、いつ婚約したの?」
愛を語り合ったことはある。だが、婚約した覚えがない。
喜ぶジークハルトを見るのも、心から愛すると言われるのも、喜びに違いないのに、戸惑いと驚きが先立つ。
「何をいまさら」
ジークハルトは、ニナが冗談を言っていると思ったらしく、くすくすと笑っている。
「ニナがプロポーズしてくれたじゃないですか」
「いつ!?」
ニナの記憶が正しければ、そんなことはしていないのだが、自信満々なジークハルトを見ると、自分が間違っているような気がしてくるから不思議だった。
「夜の野営地で、私に膝をついて、騎士の誓いを立てて」
あの時のことだ。
ニナが、ジークハルトに手柄を上げさせると誓った時の事。
「それは、ただ、ジークに私が本気だって知ってほしくって──」
「あんな本気で情熱的なプロポーズ、見たことがありません。女性から騎士の誓いをすることは、プロポーズの意味になるのだと、ニナも知っているでしょうに」
いや、知らない。
ニナは、呆気に取られてしまう。
真っ白になった頭に、唐突に浮かび上がるものがあった。
この国で初めて得た穏やかな幸せ。川辺の町で、初めての友人と話をしていた時のことを──。
『プロポーズも騎士の誓いも、聖モントローズ王国とは違うのね。こっちだと、プロポーズは膝をつくだけ。あっちだと、小指を絡ませたりするんだけど……』
流行りの小説の話をしていたニナとカリーナ。
ニナはそんな風に感想を言った。
その後、カリーナは何と言っただろうか。
『うん。あと、女性からプロポーズする場合の仕草もあって……』
「あ──!」
ニナはその先の話を聞かなかった。
聖モントローズ王国とテオパルド王国のプロポーズの仕方が違う、そして、テオパルド王国では男女でプロポーズの仕方もまた、違うのだ。
(知らなかった──!)
知らないまま、ニナはいかに自分が本気かを示そうと騎士の誓いをした。
ジークハルトはその仕草を見て、ニナにプロポーズをされたと思っていたのだ。
(なら、あの後、急にジークハルトが今まで以上に優しくなったのは──!)
ニナがプロポーズをしたから、ジークハルトは婚約者でいる気になっていたのだ。
とんでもない失敗。
ニナは恥ずかしさのあまり、顔を覆って蹲りたくなってしまうが、招待客の笑顔や拍手、祝福の声が許してくれない。
「ニナ? どうしました?」
赤くなったり青くなったり、白くなったり。
顔色をころころ変えるニナに、ジークハルトが心底心配そうに尋ねた。
その顔。まさか拒絶されるとは微塵も思っていない。
(でも、考えようによっては──)
ジークハルトとのこの先の未来をと望んだのは自分自身ではないか。
ジークハルトと確かなつながりが欲しい。来年も、再来年も一緒にと願ったのも。
なら、このまま進んで行っても、行きつくところは同じなのではないか。
「私と、結婚してくれるの? 本当に?」
ニナは恐る恐るジークハルトに聞いた。
「えぇ──。結婚するんですよね」
逆に不思議そうに聞き返される。
彼にとって、ニナとの結婚が当たり前の事になっている事実に気づき、ニナはようやく喜びが胸に湧き上がってくるのを感じた。
あの時から──ニナよりもずっと早くから、ジークハルトはニナと将来を歩むことを心に決めていたのだ。
「します! 私、あなたと結婚します!」
ニナは、心のままに、ジークハルトの首筋に、飛びつくような勢いで抱き着いた。
淑女らしからぬ行動だろうが、どうでもよかった。
しっかりと抱きとめてくれる腕を感じながら、ニナは、ようやく自分の帰る場所を見つけだしたのだった。




