44議会
聖モントローズ国教会最高議会。通称、議会。
聖モントローズ王国において、政治と教会の意思決定はそれぞれの組織に一任されるが、聖モントローズ王国の王位継承、王族の婚姻、ローズ教の枢機卿、教皇の任命のみが、議会の中で決議される。
ローズ教を国教とし、密接な結びつきを持つ聖モントローズ王国において、双方の任命の場を共にすることで、連携をより深く、円滑に進めるためのものだとされている。
議会は、毎回王宮の離宮で開催される。アルバートが招集した議会は、十日後に開かれることになった。
アルバートが手配した馬車に揺られながら、ニナは次第に近づいて来る王宮を見て、憂鬱なため息をついた。
聖モントローズ王国の王都から、王宮まで、数えきれないほど通った道だ。
この国を離れることができたのに、再び戻ってきてしまった。
「怖いですか?」
対面に座るジークハルトに問われて、ニナは返答に迷った。
「怖くない……わけじゃない。でも……。怒ってる」
「エドウィン殿下に?」
「ううん──。もちろん、エドウィン殿下が腹立たしいのはある。でも、やっぱり自分に。あの時に戻れたとしても、きっと何もできなかったと思うけど……」
ジークハルトが身を乗り出して、ニナの手にそっと自分の手を重ねた。
「大丈夫。傍にいます。必ず」
その手の大きさ。あたたかさ。そして愛しいと思う気持ち。
「今度こそ、ニナは成し遂げることができます」
愚かで、弱かった自分自身。
今振り返って、そう思えるのは、この世界でやっと拠るべき場所を見つけたからだ。
日々を生きることで精いっぱいで、その場所を見つけられなかった幼い自分を責めることが、ニナにはできなかった。
馬車が緩やかに速度を落としていくにつれて、ニナは自分の体や心が、自分以外の誰かのものになってしまったような気がしていた。
自分では抑えの利かない強さで脈を打ち、何もしていないのに指先が冷えていく。
アルバートとジークハルトとニナ。三人で、聖モントローズ王国の最高議会に挑まなければならない。
口達者なヨハンが、所要でテオパルド王国に戻らなければならなかったことも、不安を煽っていた。
(ヨハンは、議会に間に合うように戻るとは言っていたけれど……)
間に合って欲しいと、ニナは祈るしかなかった。
馬車が止まる。
ジークハルトのエスコートに従って馬車を下りると、薄青色のドレスの裾がふわりと揺れた。
透けるほど薄い生地を何枚にも重ねたドレスに縫い付けられた小粒の水晶がちらちらと光を放っている。華やかさと清廉とした美しさを兼ね備えたもので、ニナの好みのど真ん中を見事に射抜いた。
このドレスで、ニナは戦う。聖女としてではなく、ニナとして。
「──行きましょう」
先に到着して、待っていたアルバートがニナとジークハルトの姿を認め、凛とした声で短く告げた。
ニナは片手をジークハルトに預け、アルバートに従い、離宮の門を潜った。
その部屋は、聖モントローズ王国の重要な役割を担う場所にしては飾りが少なかった。
丸天井には玻璃がはめ込まれており、太陽の光が部屋の中心に置かれた円卓を照らしている。
円卓の中心にローズ教の象徴である薔薇を掲げた始祖神の像がおかれており、飾りらしい飾りはそれだけだった。
円卓を囲むのは、枢機卿が八人と公爵・侯爵から十二人。多数決によって決議され、議長は侯爵が務めるため、投票の権利を持つ者は合計十九人。
議長と王位継承者は除外される。
その部屋に足を踏み入れた瞬間。無機質な視線が一斉にニナを射抜いた。
エドウィンは、盛装したニナを見て、顔をしかめた。
「なんだ、その恰好は。聖女ともあろう人間はみっともない」
そう言って難癖をつける。
アルバートもジークハルトも素敵だと褒めてくれたドレスだが、エドウィンにとっては似合っていてもいなくても、ニナが着ているというだけで批判の対象なのだ。
ニナは、エドウィンの侮蔑するような声を聴いて、体の芯が冷えていくのを感じた。
強くなったつもりでも、いざ目の当たりにするとこんなにも怖い。
「それに、何だ、そいつは?」
エドウィンが、ジークハルトについて尋ねる。ニナははっと我に返った。存在を主張するように、ジークハルトがニナの手を握る手にぎゅっと力を込めた。
振り仰げば、暖かな春の野の瞳がニナを見つめている。
「エドウィン様」
ニナはその瞳に背中を押され、口を開いた。
(まず、最初にすべきことは──)
「私が聖女であることを、お認め戴けますか?」
「はぁ?」
エドウィンが、不満をあらわに高圧的な声を出した。自分の質問が優先されなかったことが気に障ったようだ。
ニナは後ろに下がりそうになった足を、懸命にとどめた。
(大丈夫……。ジークハルトがいる。アルバート殿下も。ヨハンだって、きっともうすぐ来る。一人じゃないんだから)
「ヴェールがない以上、私の身元を保証できる方は、素顔を知るあなたしかいません」
「何をそんなこと……」
「お認め戴けるのであれば、この場で宣言ください」
「エドウィン第一王子の名において認める。この者は、わが国で召喚した聖女ニーナである」
話が進まないと思ったのだろう。エドウィンは実に面倒臭そうに、大げさなため息とともに言う。
「それで、なんだそいつは?」
「兄上。こちらは、テオパルド王国ブルメンタール公爵家のジークハルト殿」
ジークハルトの紹介をしたのは、アルバートだった。
「な! 他国の人間をこの場に連れてくるとはどういう了見だ。アルバート、お前はわが国の伝統を軽んじるのか」
「ジークハルト殿は、テオパルド王国にて聖女を保護してくださった方だ。今回、聖女を連れて、この国へ来てくださった。魔獣の被害の解決に力を貸してくれると仰っている」
「力を貸すも何も、聖女はもともと我が国のモノだ。テオパルド王国が奪ったのだろう!」
「彼女は、モノではありません」
ジークハルトの静かな声が、白熱し始めた兄弟に割って入る。
「彼女には、彼女の意志があります。誰もそれを邪魔することはできません。彼女は、自らの意志で我が国を救ってくださったのです」
「何を、生意気な……」
エドウィンは、舌打ちを大きく響かせる。
「その者は、異世界から来た平民の娘だ。何も知らず、何もできず、それをこの国が後ろ盾を与えてやり、教養を与え、役目を与えた。この国に尽くして当然だ。それすらわからない非常識な娘だったとは」
「私は、そんな物は欲しかったわけじゃない!」
エドウィンの非難は、アルバートやジークハルトではなく、ニナに向く。
ニナを直接罵れば、すぐに頭を垂れると思っているのだ。小さくなって、謝ってばかりで、言うことを聞くしかなかったニナ。
エドウィンに、そうさせられた。
彼はまだ、ニナが自分の思う通りの気が小さくて弱い人間だと思っているのだ。
対等に向き合おうとしないのが、その証拠だ。
「私は私を尊重して欲しかった。大切にして欲しくて、優しくして欲しかった。ただ、それだけ」
「聖女とあろうものが、何を贅沢な……」
何か、ニナがエドウィンの意志に反する言動をすれば、これだ。
聖女としてふさわしくない。淑女としてみっともない。王太子に仕えるものとしての自覚がない。そうやってニナを否定し、支配し続けてきた。
ニナには、もうその手は効かない。
尊重して欲しいと思うことは、大切にして思うと思うことは、贅沢でもなんでもないのだ。
「あなたが勝手に私を聖女にしたんじゃない!」
ニナはエドウィンを見据えた。臆することなく、真正面から。
聖モントローズ王国では、恐ろしくてできなかった。
今のニナには、守ってくれる人が、支えてくれる人がいる。何を恐れることがあるだろうか。
「私はもう、あなたの言う通りにできないし、その理由もない。私が戻って来たのは、私はあなたが私にさせたことが許せないから。それに気づかず、ただ従うだけだった自分が許せないの!」
エドウィンが、何かに気づいたように顔をこわばらせた。
すぐに苛立ちと怒りで染めた表情にもどったのだけれど、その僅かな間で、ニナは確信してしまう。
ニナ達の予想通りだ。この人は、すべて計算して行っていた。長い間、ニナをだまし、テオパルド王国へ災いを振りまいた。
「過ぎた口を利くな! ニーナ、この無礼者!」
エドウィンが激昂する。殴りつけるような声だった。そうやって、事実を覆い隠そうとしている。
あれほど恐ろしかった声だというのに、ニナはもうひるまなかった。
「無礼なのはどっちだと言うの? 私の名前はニーナじゃない!」
愛と共に与えられた名前を否定し、嘲笑い、見下してつまらないという名前を与えた。一体どちらが無礼なのだというのだ。
「私はニナ……碓井仁奈!」
決意を込めて、ニナは叫んだ。
何年も、何度も、この言葉を彼にぶつけたかった。自分の名前は、決してつまらないものではない。
「私はもう、あなたの聖女じゃない!」
この人に便利なだけの存在に、なり下がったりしない。
「エドウィン第一王子殿下」
ジークハルトが、一歩前に出た。ニナに寄り添うように、傍らに並んで立つ。
守るでも庇うでもない。彼はニナが戦おうとしている姿に敬意を払ってくれているのだ。
「ニナは、わが国の恩人です。その恩人の拉致未遂の主犯として、あなたを告発しにまいりました」
「なに、を……」
「兄上。全てわかった上で、ニーナを利用し、テオパルド王国へ被害を拡大させましたね」
エドウィンが、初めて狼狽えた。アルバートが続きを引きつぐ。
「ニーナは、いえ、ニナは、それでも我が国の魔獣の被害を抑えるために力を貸してくれると言っている」
その代わり、とアルバートは一呼吸置いた。
「兄上──いいえ、エドウィン第一王子。あなたの王位継承権放棄を求めます」




