40誰がための騎士
「ニナ、あなたは、いわば聖モントローズの道具でしかなかった」
嫌な言い方をしますが、と前置きをして言う。
「使い方を誤った者こそ責められても、道具が悪いという者はどれだけいるのでしょうか。包丁とて、使い方次第です」
ジークハルトは、力の抜けたニナの手に自分の手を添えた。温度を失った手のひらに、熱いほどの指が、掌が触れる。
「ニナ、あなたは自分の意志でこの国へやってきて、この国を救った。それは紛れもない事実です。ニナが成し遂げたことです」
「でも……!」
でも? ニナは自分が一体何を言おうとしているのかわからなくなった。
ジークハルトの言葉は魅力的だった。この国には、ニナを責める者はいないのだ。
「結果として、ニナは自分の復讐を果たした。聖モントローズ王国は、あなたを蔑ろにしたことを後悔するでしょう」
復讐。
意図しないものだったが、ニナは自分の幸福を追い求めた結果、相手が自滅した。
手を下さないままの復讐は、美しく清々しい──はずなのに、ニナの気は晴れない。
「この国では、ニナを大切にします。私は変わらず、あなたが幸せになる手伝いをします。それで終わりでもよいのではないですか?」
いいのだろうか? 本当に?
ニナは自問するが釈然としない。何も解決していないような気がする。
「国難はニナのおかげで乗り越えられる。宮廷舞踏会も次のシーズンには開けます。約束通りエスコートさせてください」
冷たいことをいいながらジークハルトはにこりと笑う。
ジークハルトの言葉はニナに優しく、甘い誘惑に溢れていた。このまま頷いてみて見ぬふりをすれば、ニナは心地よくいられる。
テオパルド王国は、ニナをとても大切にしてくれるだろう。軽んじられることも侮辱されることもない。
でも、それで、それだけでいいのだろうか。
(許せない。絶対に許せない)
その言葉は、ふつふつと腹の底から湧き上がってくる。
「駄目」
ニナはきっぱりと言った。
「それは駄目」
(このままでは駄目。許せないのは──)
エドウィンでも、あの国の貴族でも、人民でもない。
「私は、自分が許せないの」
ニナは自分の手を包む、ジークハルトの手を押し返した。
その宝石じみた目をまっすぐと見つめる。
「騙された自分が許せない。あの時、従うしかなかった自分が許せない。利用されたままなのも許せない」
恐怖から解放された今になって考えてみれば、何もかもジークハルトの言う通りだった。
国難に社交に精を出すのはおかしいし、いくら国教だとは言え、些細な礼拝すら欠かさないのも宗教の意味を見失っている。
そんなことに思い当たらないほど、ニナは自分を見失っていた。
「止めたいの。私が種になった災いを、全部」
だから、いいようにされたのだ。騙され、他国に災いを振りまいた。
「自分のせいだって嘆きたくない。呪いたくない」
「ニナ」
ニナは覚悟を決めた。たとえ、ジークハルトが反対しても、ニナはいかなければならない。
「私、行く。聖モントローズ王国に行く」
「わかりました」
ジークハルトがしかと言葉を受け止め、力強く頷いた。
「必ず、ニナを守ります。私の聖女様」
その言葉に、ニナは目を瞬いた。まるで賛成しているようではないか。それどころか。
「一緒に、きてくれるの?」
ニナは恐る恐る聞いた。
「勿論」
「じゃあ、なんで行かなくていいなんて言ったの……」
ニナはどっと体から力が抜けていくのを感じた。
本心では、行くべきだと思っていたのではないか。あのやり取りは何だったのか。
「行かなくていいと思っていたのは私の本音でもあります。ニナを危険にさらしたくない。でも、ニナの本音がわからなかった」
「本心……?」
「本心で嫌だと思っているのなら、私の言葉を受け入れるでしょうし、そうでないのなら拒絶するでしょう。一人だけで胸の内を整理できないことは、たくさんあります。ニナ、私達は語ってこそ胸の内を預けあったのではありませんか?」
じわじわと体の奥深くから溢れてきたものがある。
それは、目じりの集まり、熱となって一筋零れ落ちた。
「一緒に聖モントローズ王国に行きましょう。ニナ」
「行っても、ジークの手柄になるかなんてわからないよ……」
他国の問題に介入するのだ。危険が伴うのに、ジークハルトに利があると言い切れない。
「そんなこと」
ジークハルトは事も無げに言う。
「私だって、ニナを好き勝手利用した上、粗雑に扱った王子が許せないのです」
ニナの顔がくしゃりと歪む。ジークハルトの顔を見ていたいのに、瞳にたまった涙のせいで見えなかった。
もう、これ以上我慢できなかった。
この気持ちを、この人への気持ちを、胸にしまっておけない。
「ジーク」
「はい」
呼びかければ律儀な返事がある。いつだって、ジークハルトは真摯にニナの言葉を受け止めてくれた。
「好き」
ニナは両手で顔を覆いながら言う。恥ずかしくて、怖くて、でも嬉しくて。なのに涙が止まらない。
次から次へとあふれ出てくる涙を、不格好に掌で拭いながら、ニナは続けた。
好きでは足りない。愛しているだと、自分らしくない気がした。
「──大好きなの」
「はい」
ジークハルトの返答は、たった二文字がだった。その声が、踊るように弾んでいる。
「知っています」
ニナは思わずくすりと笑った。
「知ってる、の」
「とてもよく。ニナ、あなたが教えてくれたんですよ」
なんだ、知られていたのか。どれほわかりやすい態度だったのか。ニナはあまりにあっけない着地点だった。
ジークハルトは、ニナの手をそっと取り、顔から退けさせた。
笑い返すジークハルトの表情が、まるで思いがけないことにはしゃぐ少年のようだった。
ニナは、その初めての表情を、とても可愛いと思ったのだ。
これだけ好きでも、長く過ごしたつもりでも、まだまだニナの知らない顔がある。
「ニナ」
「何?」
「好きですよ。私の心は貴女のものです」
これから知っていけるのだと思うと、同じ気持ちを返されると、こんなにも幸せで、息が詰まりそうになる。




