39渦の中
「聖女の書記に書いてあったことは、おおむね大司教の言ったことと一致しました」
ニナは返事ができない。うつむいたまま、身動きすら取れなかった。
「ごめんなさい」
どうにか言えたのはそれだけだった。
ジークハルト一人に謝ったところで何の足しにもならないが、最も迷惑を被ったのはこの人なのは間違いがない。
ニナに期待して、危険に身をさらして、戦って、守って──。
「なぜ謝るのです?」
「私のせいだった……」
その結果、わかったことはというと、そもそもの元凶がニナだということだった。
「私のせいだったの。この国に黒い霧が出てきて、魔獣が増えて、皆がつらい目にあって」
花冠をもらう資格なんてなかった。街の人に笑顔で迎えられて、その気になっていた自分が、今はただひたすらに恥ずかしかった。
「ニナが悪いだなんて、誰も思っていません」
ジークハルトはニナの傍らに腰を下ろした。なだめる様に、ニナの手を軽く叩いた。
力が入りすぎて、指先が白くなった手を。
「ヨハンも、殿下も憤っていましたよ。聖モントローズ王国がニナを利用したことを」
ジークハルトはニナの手をとる。握りしめた拳から、丁寧に指を解していく。
「ニナに嘘半分の説明をしたことといい、聖モントローズ王国の状況といい、何かおかしいと思っていました」
「え……? な、何が……」
「国難に舞踏会など開いている余裕などないはずなんです」
それは、いつかヨハンと口論になりかけた話題だった。
「聖モントローズ王国はテオパルドよりも狭い。この国でのニナの働きを見るに、鎮静化に二年近くもかかるとは考えにくい。そして、ニナを召喚してから実際に聖女として活動を始めるまで、時間が空きすぎている。聖女としての訓練が必要。それは確かでしょうが」
いいですか、とジークハルトはニナに言い含める。
「完璧な淑女の礼儀作法を教え込ませる必要はないんです。自覚はないのでしょうが。あなたのカーテシーは貴族の令嬢と遜色ないぐらいに美しいし、受け答えもそつがない」
ジークハルトの説明は流れるようだった。
彼は、ずっと胸の内で違和感を整理し続けていたのだろうか。
「エドウィン第一王子殿下は、全て計算の内だったのではないでしょうか」
「殿下が?」
「民に苦渋を舐めさせ、追い詰める。そこに華々しく聖女を従えた自分が登場すれば、民衆の支持も集まるに違いない。余計な慈悲まで見せ、ニナに代行させる。それすらも自分の手柄にした」
エドウィンは王位に固執していたが、そこまでするものなのだろうか。
救済を求めて聖女を召喚した。
そこに、民のためという大義があったのだと、ニナは思いたかった。
「そして今、ニナに偽りを吹き込み、周辺の国へ災いをまき、弱らせようとしている」
「戦争をしたいってこと?」
ニナは驚愕した。他国を害することまで、エドウィンが考えていたのだろうか。
「いいえ、戦争をしなくても構わない。テオパルド王国が弱れば、魔力は循環に乗って次の場所へ。聖モントローズ王国に戻ってきても、ニナがいる。聖女を派遣し恩を売り、自分の国で一度災いを引き受けてみせてもいい」
エドウィンはニナに結婚を許さず、修道院に閉じ込めようとした。
その事実こそ、ジークハルトの推測が当たっている証拠のようにも思えた。
ニナの行動と思考を狭い世界の中で制限し、自分の都合のいい駒として使い続けることができる。
「聖モントローズ王国は、小さく、そして常に侵略の危機にさらされています。聖地とローズ教の中心地であることで心理的な盾を持っても、いずれ、その盾を無価値なものとする君主がどこかに誕生するかもしれない」
だが、ニナの脱走で、エドウィンの目論見は失敗した。聖女なき国で、黒い霧を纏う魔獣の被害が再び広がり始めている。
「どうすればいいの? 聖モントローズ王国に行って魔獣の討伐をすればいいの?」
聖モントローズ王国を救いたいという純粋な気持ちではなかった。自分の不始末の結果があるということが耐えられなかったのだ。
言いながらも、ニナは迷っていた。
聖モントローズ王国に戻ることに抵抗がある。あの国で、再びエドウィン指揮の部隊に加わるのもそうだし、どうすれば黒い霧を消せるのかそもそも知らないのだ。
「聖女の手記に、前回の時の災いをいかに沈めたかの記載はありました」
「本当?」
ニナは、すがるような目でジークハルトを見た。
「単純な話です。聖女の圧倒的な聖魔力で、今度こそ魔力そのものを完全に鎮静化するのです。つまり、余剰の魔力を消し去ることになります」
「そんなの……できない」
言葉で言うのは簡単だ。けれど、ニナはそれがいかに難しいことなのか知っている。
「なぜ?」
「やったことない」
実に単純だ。ニナは鎮静化して霧散させることはしてきたが、消しきることはしていない。
「そんなはずはない」
だが、シークハルトはどこに自信があるのか、きっぱりと言い切った。
「ニナは、相手の魔力を消したじゃないですか」
「え?」
「自覚はなかったのですか? 廃教会で、私を助ける時」
そう言えばと思い返す。盗賊の男と相対していた時、ジークハルトの魔法は暴発じみた威力を見せる一方、相手の火は完全に消えていた。
ニナははっきりとした記憶があった。消えろと願い、相手の魔力に自分の魔力をまとわりつかせた。
(あれが、魔力を消す、ということ……)
その感覚も、確かにニナの中に残っている。
「ニナ、あなたにできないはずはない」
「でも……」
自覚してやったことではないし、聖モントローズに戻る恐怖がある。
「ニナ、あなたが躊躇うのなら、聖モントローズに戻る必要はないと思いますよ」
「え?」
「そもそも、私達は、いかにこの被害を食い止めるかの話をしているのであって、聖モントローズ王国を救うという話をしていない」
ジークハルトは、冷酷なほど正論を言う。
確かに、ジークハルトは聖モントローズ王国の失態を語っても、救済については言及していない。
「ニナを利用し、周囲の国の弱体化を図った。それに失敗して苦難に陥っている。聖モントローズ王国の現状はそんなところです。見捨てたところで、誰もあなたを責められない」
若草色の瞳を、見たことのない温度に染めていた。まるで、硬質な宝石のようだった。
美しいのに冷たい。触れてはいけないような気がする。
「それに、あなたが我が国を救った聖女であることは間違いないのですから」
ニナが災いをもたらしたと言うのに、どうしてそう言い切れるのか。
ニナは今目の前にいるジークハルトが、別人になってしまったような気がしてならなかった。




