38災厄の聖女
──あなたは、災いをまき散らしたに過ぎないのですよ──
言われたことが理解できなかった。
頭が真っ白になる。
はく、とニナは口を開閉させる。言葉が出なかった。
「でも……私は、確かに……!」
「あなたは、魔力を鎮静化して、散らす方法を教えられたのではないですか?」
ニナがようやく絞り出した声は、甲高く調子はずれで擦れていた。
そこにピウス大司教の冷たい声が、重なる。
「そして、それを教えたのは、第一王子が連れてきた枢機卿でしょう」
ピウス大司教の言う通りだった。
ローズ教の枢機卿の幾人かは、優れた聖魔法の使い手だった。ニナはその中で、第一王子に近い枢機卿に魔法を教わった。魔獣が纏う黒い霧を、聖魔力で押さえ、そして──はじきとばす。
割れた硝子のように。風に煽られる霧のように。
「黒い霧は、魔力そのもの」
大司教の声は厳かだった。
「今は大平の世です。国同士の争いが途絶え十数年。人や動物が急激に増え、この世を巡る魔力が過多になり、調和が崩れた。前の聖女様が現れたのは大乱の世の中。同じく、人や動物が減りすぎ、調和が崩れた。調和が崩れ、循環の中から外れた魔力が滞り、影響を受けた動物が狂うのです」
一見して、説明の理屈は通っているように思えた。
ニナは思わず、ジークハルトとヨハンを見た。
おそらく、彼らもそう思っているのだろう。一様に神妙な顔をしていた。
「散らされた魔力がどこに向かうか考えたことはありますか?」
問いかけの形をとりながらも、彼は答えを求めていなかった。
ピウス大司教はそのまま説明を続ける。
「循環の輪に乗り、世を巡る。魔力の循環により、聖モントローズ王国からこの国に行きついた。今の回り方はそうなっているのです」
そして、とピウス大司教はニナを見据え、言った。
「この国から散らされた黒い霧が、再び聖モントローズ王国に流れ着いているのです。聖モントローズ王国は、再びの災厄に見舞われ、聖女の帰還を望んでいるのです。」
(だから……攫ってまで、私を連れ戻そうとしたのね……)
「ちょっと待て、それはおかしい」
ヨハンが割って入る。
「聖モントローズ王国から我が国に流れ着いた。それはわかる。なら、なぜ我が国から散ったものがまた、聖モントローズ王国に──」
ヨハンは、何かに気づいたように言葉を止めた。
「魔力だまり──?」
「左様です」
ピウス大司教は頷く。
「聖モントローズ王国にあるローズ教の聖地。それがなぜ聖地たるか、揺るがない信仰の対象であるか。それこそが、古から変わらない巨大な魔力だまりなのですよ」
「引き寄せられるってことか……黒い霧となった魔力は、魔力だまりから弾き飛ばされて、循環に乗る。循環の輪から再び弾き飛ばされて、再び魔力だまりにひきつけられる」
ヨハンは唸る。理解できたが納得したくない様子だった。
「枢機卿の一部で共有されている資料があります」
ピウス大司教は懐から革張りの本を取り出した。
表紙に題はない。日記帳と見間違えそうな質素な作りだった。
「先代聖女の手記の写しだそうです」
その場の全員が、はっと顔を上げ、ピウス大司教を──その手の中にあるものを注視する。
聖モントローズ王国の国宝とされたもの。王家の血筋の者でなければ、あるいは許しなしに触れることの許されないものが、なぜ、彼が持っているのか。
「この災厄に立ち向かう同士として、第一王子が認められた枢機卿に手ずからお預けになったものです。私は敬愛する枢機卿より、こちらの書物を誓いの証として預かりました」
「至れり尽くせり。いやに素直だな」
ヨハンが言う。精一杯の皮肉だった。
あまりにも準備が良かった。ピウス大司教の抜け目のなさがわかる。
自分が追い詰められる可能性も考えたのだろう。決定的になる前に、手のひらを反す。
ある意味、自分に正直だった。
そして、枢機卿になったわけではないのに、この手記を手にしているピウス大司教がいかに自分に有利になるように立ち回って来たかがわかるというものだ。
「なるほど。聖女の誘拐成功の報酬は、枢機卿への推挙だったわけだ」
王太子の言葉に、大司教は答えなかった。
「私はこの国の大司教ですから。この国に尽くし、この国の弱者を守る理由があるのです。だから、『ご配慮』いただければと思います」
そういって、きっちりと取引の念押しをするのだった。




