37大司教と聖女
ピウス大司教は背が高くやせぎすだった。
手や首筋には皺が深く刻まれていたが、背筋はしゃんと伸びている。冷酷そうな目と相まって、冷たく、威圧的な印象を人に与えた。
ピウス大司教が入室した時、その目がはっきりとニナを見た。
じっとりとした絡みつくような目。蛇に睨まれる、とはこのような心地がするのだと、ニナは思った。
長いテーブルが置かれた部屋の、短辺側に本招聘の責任者である王太子殿下が座っている。
長辺にヨハンとニナ、反対の長辺にジークハルトとヨハンの部下である研究員が一人、同席していた。
「大司教殿。この度は突然の招聘に応じていただき感謝いたします」
席を勧められた大司教が、対面側に腰を下ろすのを確認して、まず王太子が切り出した。
「いいえ。私はこのテオパルド王国のローズ教徒に仕える身。兄弟が恥ずべき行いをしたと聞いて参じないわけにはまいりません」
声までも、冷たく平坦だった。口調こそ丁寧なのが、他者を寄せ付けない空気を醸し出していた。
場慣れしていない人間であれば、この時点で気圧されてしまうだろう。
「すでにご存じのことかと思いますが、我が国へ多大なる貢献をしてくださる聖女を拉致しようとしてフィリクス司教が逮捕された」
「聞き及んでおります。なんと嘆かわしいことでしょう」
大司教が棒読みのように言う。
「同じ神の元に集いし同砲が、それも立場あるものが悪事に手を染めるなど、あってはならないことです」
「まことに」
「殿下に置かれましては、容赦なく厳罰を下されるよう、私からもお願いいたします」
ピウス大司教は殊勝な態度だった。そうして、部下を切り捨てた。
王太子は、ジークハルトに視線をやる。ジークハルトは、その後を引き継いだ。
「フィリクス司教は、ピウス大司教からの指示だったと証言しています」
「存じ上げません」
しらばっくれる大司教。想定の内だったが、あまりにも堂々とした態度に、場の空気が刺々しくなる。
「私に、聖女様を誘拐する理由はありません。この国を救ってくださるお方なのだと聞いています」
「聖モントローズ王国からの、例えばエドウィン第一王子殿下や第一王子派の枢機卿からの指示があったのではありませんか?」
踏み込んだ質問だった。フィリクス司教から、ピウス大司教には枢機卿の座を望む野心があることを聞いていた。
大司教の上、枢機卿や第一王子から次の枢機卿の座をちらつかされ、ピウス大司教は動いたのだろう。そして、空いた大司教の席はフィリクス司教へ。
そうして、自分自身ではなく、子飼のフィリクス司教に命じたあたりに、彼の姑息さや用心深さが表れている。
「私に関わりのないことです」
「私達は、聖モントローズ王国が何を企み、聖女様の返還を求めているのかを知りたい。この度の強硬手段に出た理由も」
取り付く島もない大司教に、ヨハンが重ねて問うた。
「正直に教えていただけるのなら、こちらとしても御身について最大の配慮は致しましょう」
王太子からの言葉は、暗に取引をにじませるものだった。
「それこそ、私にどうしろというのです。何も知らないと言うのに」
だが、大司教は応じる様子はない。ジークハルトとヨハンが目くばせをする。
ニナ達にあるのは、フィッリクス司教の自供と推測だけ。確固たる証拠はないのだ。取引に応じられず、知らぬ存ぜぬを通されると、勝ち目はなかった。
そのことを、ピウス大司教もわかっているのだろう。
とがった顎をすいと上げた。まるで勝ちを確信したような動作だった。
「この度の不運、そこな聖女様には残念なことです。お見舞いを申し上げましょう」
そう言って、ニナに向かって礼をする。
どこまでも他人行儀。顔を上げたピウス大司教の鉄壁の無表情が、僅かに崩れていた。喜びが滲んだ目が、間違いなくニナを捉えた。ニナはどくんと脈が大きく打つのを感じた。
余計な一言。
それが、彼の首を絞めるのだ。
「ピウス大司教」
ジークハルトの冷静な声が、敗北の空気を裂いた。
「なぜ彼女を聖女だと?」
「は?」
ピウス大司教は、何を聞かれているのかわからない様子だった。あまりにも当然のことを。そう思ったに違いない。
「そんなもの──」
見ればわかる、と言いかけたのだろう。けれど、彼は口を閉ざした。初めてその目に狼狽の色が浮かぶ。
この場にいる女性は、ニナともう一人、ヨハンの部下だ。ニナと同じ黒髪。年の頃も同じ。瞳の色こそ深い茶色だが、ピウス大司教の場所からは光の加減で黒に見えることは確認済だった。
どちらも質素なドレスに身を包んでいる。ヨハンの部下は茶色。ニナは灰色。どちらも王宮の官吏のものを借りてきた。
この場にニナと彼女がいれば、どちらが聖女か判別がつかない。それなのに、大司教はニナを聖女を断言した。
ニナの顔を知っているのだ。
「聖女様に一度お目にかかったことがありますから。聖モントローズ王国のいた頃」
「そうですか」
ジークハルトは優雅に微笑む。
「当時、聖女は修道女のヴェールをかけていて、顔をさらすことを許されなかったのですよ」
舞踏会や社交界では未亡人が纏うレースのヴェールだったが、教会関係者が社交界に現れるはずもない。
大司教は返答に窮する。
「もう一度、返答を伺います。大司教」
王太子が、再び問いかける。
「聖モントローズ王国が、何を考え、何を企んでいるのですか?」
証拠がないのは変わらない。だが、この場の全員が、大司教が墓穴を掘ったのだと知っていた。
今この場を切り抜けられても、今後、この罪は影響を及ぼして来るはずだ。要注意人物とされれば、自由に動けなくなる。
テオパルド王国王家が支持しない大司教が、いつまで大司教でいられるのか、権威を保っていられるのか。
少し考えればわかることだった。
実際、ピウス大司教が考えたのは数秒だった。
「私が直接関わったわけではなく、噂程度で聞いたものですが──」
ジークハルトとヨハン、王太子が顔を見合わせる。
取引成立だ。
王宮側は、これ以上ピウス大司教を罪に問わない。決定的な証拠は、証言しかないのだ。
分が悪いと知り保身にまわることは計算済み。妥協点だろう。
「聖女様」
爬虫類のような目が、ニナに向けられる。
ニナは首筋を冷えたものが通っていくのを感じた。嫌な予感がする。
聞きたくないと、本能的に思った。
「あなたは聖モントローズ王国を救ったつもりでしょう」
ニナは聖モントローズ王国を救ったのは事実だ。黒い霧が消えて、平和になった。
「あなたは、災いをまき散らしたに過ぎないのですよ」




