33廃教会にて
「急いでここを離脱しなければ……。迎えはまだなのか?」
鼓膜を揺らす甲高い声に、ニナは目を覚ました。
「は、早くしなければ──王都の騎士がいるのだぞ!」
怒鳴る声。叩かれたようにびくりと体が震えた。そのまま飛び上がりそうになるのを、ニナは寸前のところで堪えた。
うっすらと目を開く。視界のぼやけを、瞬きをして振り払う。吐息をこぼせば、口元で巻き上げられた砂が、鼻にあたってくすぐったかった。
(ここ……どこ?)
意識を失う前の失態を思い返し、ニナは頭を抱えたくなった。
抱えたくても、両の手も足も後ろで拘束されていて、身動き一つとれなかったのだけれど。
なんと不用心。情けない。ジークハルトには注意されていたというのに。
せめて事態を把握したいと、ニナは視線だけをあちこちに走らせた。
目の前に、一段の段差がある。そろそろと目線をあげれば、祭壇があった。小さいながらも凝った作りだった。
そこに掲げられた像や象徴に見覚えがある。
(教会……?)
ただし、祭壇に掲げられた象徴は傾いており、木に象嵌された薔薇飾りは剥がれ落ちていた。まるで、打ち捨てられたような風貌だった。
窓板が閉じられているのか、教会の中は薄暗い。板の隙間から差し込む光が、土埃まみれの教会をわずかに照らしていた。
太陽の色からすれば、夜はすでに明けているのだろう。
「だから、急かしなさんなって」
また、別の声がする。ニナは息をひそめて、言葉と声をしかと耳に焼き付けようとする。
「そう。王都の騎士がいるから、慎重にならないといけないだろう」
大らかで余裕を感じさせる声だった。恐れ知らずな若者独特の軽さと張りがある。
「だからといって、悠長にしている時間はない!」
もう一方の声は、 上ずっていて、ところどころ裏返る。
怯えで揺らぐ声だと気づけば、その声の主が肝の小さい大人の男であることに気づくのに、時間はかからなかった。
「こんなことが知れたら……私の地位はどうなる」
「地位って」
はっと若い男が鼻で笑う。
「俺たちにあんたの地位が知れるとでも? あんたが誰かも知らないのに?」
「煩い!」
「おいおい……大声を出すと起きるぞ」
「だ、黙らないか! もし聞かれたら……」
気配が近づいてきた。ニナは目を閉じる。寝息のような深い呼吸を意識したが、吐息が震えているような気がしてならなかった。
もし、ばれたら──
「まだ寝てるじゃないか。ぐっすりだ」
ニナの心配は気鬱で終わった。若い男は、ニナを少し覗き込んだだけで判断した。
「余裕をかまして……。な、何かあったら、お前のせいだからな!」
「──何かあったら、俺もあんたも運命は同じだ。聖女様を拉致するなんて。大罪に違いない」
若い男の声は、突然、低くて深いものになる。
ニナは息をのんだ。
ほとんど同じ時に、男が言葉に詰まるのを感じた。
「急がなくても、万事整えている。行商人の一団に扮した俺の仲間がこの娘さんを連れていく。間違いなく聖女様をさらったと確認した後、あんたは何食わぬ顔でこのまま消える。俺に報酬を渡して、な。俺たちは聖モントローズ王国に行く。それだけだろう」
(──聖モントローズ王国!)
ニナはどくんと体中の血が大きくはねたように感じた。
聖モントローズ王国から、ニナを返すようにと通達があり、断ったばかりだった。
この短時間に、力技に出てくるとは思わなかった。エドウィンの指示なのか。
なんにせよ、絶対にこのまま連れていかれるわけにはいかない。
後ろ手に拘束された手のひらに汗がにじんでくる。
「報酬さえもらえれば、俺たちはきちんと仕事をこなす。罪の重さに見合う報酬が約束されているんだから」
「あ、あぁ……」
若い男の声は、ことさら柔らかくなる。緩急差に、振り回されているようだった。
若い男の方が、何倍も上手なのは明らかだった。
「旅費を兼ねて前金を半分もらうことになっている」
「それは、もちろん」
ざりざりと足音がする。室内だというのに、土を踏んでいるような音だった。
金貨がこすれる音が聞こえてきた。
「お、首飾りななんてしてるのか。いいものじゃないのか? 銀か? 何の模様だ?」
「やめないか! これは……!」
今度はもみ合うような音が聞こえてくる。布ずれの音に金属の鎖が絡みつくような音。
「あぁいや、ちがうか……ただのメッキか」
舌打ちをする音がする。
「メッキ程度で偉そうに」
「お前、これが何か知らないのか……! これだから田舎の盗賊風情は……!」
「その田舎の盗賊風情に頼ってびくびくしている身が情けないな」
「あ!」
どさっと重いものが地面に落とされた。
おそらく、若い男がもう一人を突き飛ばしたのだ。その音にまじって、もう一つ。
からん、と軽いものが地面を転がる音がした。
「そんな……。あぁ、この暗がりでは……瓦礫にまじって……」
「どうせここには人なんてこない。俺たちが行った後にゆっくり探せばいい」
男は苛立っていたが、時間をかけて失せものを探すより、このままこの場にいることの方が嫌だったらしい。
足音から、後ろ髪をひかれているのがわかる。けれど結局、男はそのまま去っていった。




