31夜とワルツを
ニナに割り当てられた部屋は、凝った調度がそろった立派な部屋だった。
猫足のテーブルや、花柄の絨毯、柔らかなベッドには、絹のカバーが掛けられたクッションまでおかれている。ガレオンが気を使ってくれたのだろう。そもそも、宿もかなり大きなものなのだ。
ニナは、部屋を堪能する間もなく、猫足のテーブルに突っ伏しながら唸った。
(歩きながら考え事したいけど……外の空気を吸いたいけど……駄目だよね)
気を揉むことが多すぎる。
もたらされた情報が嘘なのだという。なら、目的は何なのだ。
悪戯で済めばいいのだが、悪意があるのなら、この先何か良くないことが起こる可能性があるのだろう。
調査は、同行している騎士や遠征の具体的な内容を指示したヨハン、あるいはガレオンの領分である。
何もできないまま、起こるか起こらないかすらわからない沙汰を待ち続けるのは、気持ちが疲弊していく。
「ニナ、起きてますか?」
「はい!」
ノックと共に声が掛けられ、ニナはベッドからがばりと体を起こした。
身だしなみを整えながらドアに向かう。
ドアノブを掴もうとして、髪がまだ乱れているような気がして、ニナはしつこく手櫛で整えた。
ドアを開ければ、ジークハルトがいた。鎧は外していたものの、騎士服のままの姿だった。
ニナはジークハルトの姿を見てほほ笑んだ。自然と甘い表情がこぼれてしまうのだ。
「外に行きたいんじゃないかと思って。落ち着かないですよね」
「どうしてわかったの?」
ニナは目を丸くした。
「初めて会った時もそうでしたから」
ジークハルトは、驚くニナに笑いかける。
「外に散歩に行こうとして、フリッツとにらめっこをしていた」
「思い出すと、ちょっと恥ずかしい……」
ニナは顔を両手で覆った。
あの時は、フリッツとのお互いの印象は最悪だった。どんな顔をしていたのか思い出せないが、きっと不細工な表情を作っていたに違いない。
「本当に外に出ていいの?」
ニナは、指の間からそろそろとジークハルトを伺った。
「中庭を囲む回廊があります。そこまでならお供しますよ。私が外側を歩くので、それでよければ」
その状態であれば、眺めは遮られるが、安全は確保できる。
「お手をどうぞ。ニナ」
ジークハルトは柔らかく促す。
ニナはゆっくりとエスコートに応じるように手を差し出した。
その指先を、ジークハルトはきゅっと握る。同じだけの強さで、ニナは心臓が握られたように感じて息苦しくなった。
宿の庭は、いつか、ジークハルトと散歩をしたヒューシュフルツの宿の中庭と比べれば、こじんまりとしていた。正方形に区切られた場所は三階建ての建物で囲まれていて、出口が一か所しかない。開けているのに窮屈な場所だった。
小さな四阿と花が咲く花壇。椅子とテーブルが、狭い中庭にぎゅっと配置されていて窮屈に見える。
昼であれば太陽の光が注いで明るく開放的に見えたかもしれない。
あの席でお茶会をすればきっと心地よいだろう。
だが、夜闇の中ではただ重たく沈んで見える。
その様子に、ニナは胸がざわつくのを感じた。庭が陰鬱な様子だからだけではない。
「脅すようなことを言ったから、心配になってしまったんですね」
「少し……」
「言ったでしょう、ニナ」
ジークハルトはニナの顔を覗き込む。その距離の近さに、ニナは思わず顔を仰け反らせてしまった。
「私はあなたの騎士です。ニナ。何があっても守ります」
「ジーク、あの……!」
距離の近さに緊張してうまく喋れなくなる。ニナの返事を待たずに、ジークハルトは言った。
「起こっていないことを気にしても仕方ありません。何か楽しいことを考えましょう。ニナ」
「え?」
「魔獣の件が解決したら、やってみたいことはありますか?」
ニナは、唐突に外れた話題の矛先に翻弄されて、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「言いましたよね。ニナ。私はニナが幸せを見つける手伝いをするのだと」
ジークハルトは、すっと目を細めて暗く沈んだ庭へと目線を投げかける。
ニナと同じように、太陽の光を浴びながらあの場所で過ごす時間を、想像しているのかもしれない。
(もし──あの場所でジークハルトとお茶が出来たら……)
それはとても心躍る想像だった。
「結局これまで、約束を曖昧なままにして、楽しい思い一つさせてあげていないような気がします」
「そんなことない」
ニナは強く否定した。
「一緒に街を歩くのが楽しかったし、花をもらったのは嬉しかった 。服を見るのも馬車で一緒に話すのも」
ジ
ークハルトに気持ちが向かっている今だからこそ、思い返せばどれもこれもかけがえのない時間だったように思う。
「私もニナに何かしたいのですよ。欲しいもの、行ってみたい場所、見てみたい場所、なんでも──」
ニナの胸が、忙しなく動き出す。
ニナのうぬぼれでなければ、ジークハルトはニナがこの国で聖女としての役目を終えた後のことを、約束をしようとしてくれているのだ。
この国が平和になれば、街にももっと活気が戻る。もう一度王都を一緒に歩いてみたい。
社交界だって──。
そこまで思って、はたと頭にひらめくものがある。
「……舞踏会に出てみたい」
「舞踏会?」
「おかしいよね、ごめん」
ニナの頬に体温が昇る。
「ただ、聖モントローズ王国では、一度も踊ったこともないし、料理だって食べたことないから」
段々恥ずかしくなってきて、早口になってしまう。
下世話な理由だ。
社交界は、きらびやかな見てくれに隠された、人間関係と腹の読みあいの場だ。そこに、無邪気に料理とダンス目当てで行ってみたいなんで。
「いいえ、全く。ニナもうら若い乙女ですから。華やかな場も美しいドレスも音楽も、心惹かれることでしょう」
「お、おとめ……!」
「ただ、少し意外に思っただけです。いい思い出がないようでしたから」
「いい思い出がないから、一度行ってみたい」
聖モントローズ王国で、踊ることも許されず、エドウィンの後ろで微笑みを張り付けて、佇んでいるだけだった。
花弁のように揺れるドレス。香しい匂いを放つ料理。シャンデリアの光を跳ね返す宝石。ニナには無縁だった。
行ってみたい。踊ってみたい。今度こそ、光の当たる舞踏場で。
「きっと宮廷舞踏会が開かれます。そうしたら、一緒に踊りましょうか」
「本当に?」
ニナはぱっと表情を明るくした。振り仰いだジークハルトが、目を細める。
まるで愛おしいものを見つめるような目に、ニナの体は甘く痺れた。
どうして、そんな目をするのだろう。ニナはジークハルトから目が逸らせなくなった。
愛を語り合ったわけではない。現実的で下心を打ち明けあっただけなのに。
「えぇ、きっと。ニナの最初の舞踏会の相手に立候補させていただきたいのです」
「勿論、うれしい……」
ニナの気分はすっかり上向きになっていた。
「少し気分が紛れましたか?」
「あ……!」
すっかり見透かされていたのだ。
「部屋まで送りましょう。ゆっくり休んでくださいね」
ジークハルトの見送りを受けて、夜の挨拶をして、ドアを閉めて。
部屋の中が静かになると、ニナの頬は途端に緩む。
確かワルツは──
ワルツの足取りを思い描き、部屋の中をくるくると回る。
鏡のように磨かれた床に、シャンデリアのあかりを浴びて、彼と並び立つ自分を想像して浮足立ち、同時に、そんな自分があまりにもちっぽけでみっともなく思えた。
足が止まる。その途端、夢の中の舞踏場は、板張りの床のそっけない宿の静かな部屋に戻ってしまう。
恋をしたのだと、はっきりと自覚した。
優しくされると、うれしくて、見つめられると恥ずかしくて──どうしようもなく悲しかった。
ニナは、ジークハルトにとって手柄をもたらす聖女だ。
だから、彼は大切にしてくれるだろう。
だが、それは、聖モントローズ王国と決定的に扱いが違っているのに、手駒になるという意味では根本的には同じなのだ。
自分で選んだ分、ニナの痛みは深かった。




