29誰がための聖女
夕方の出立では目的地にたどり着けず、川辺で野営をすることになった。
ニナは自分の天幕に急ごしらえの寝台が作られているのを見て、心苦しくなった。
川辺は、水辺が近くて見晴らしが良いが、森の中と比べると石がごつごつしていて寝心地がいいとは言えない。
自分の我儘のせいで、騎士達に不便を強いることになったことを改めて自覚して、ニナは清潔に整えられた天幕の中でうなだれたのだった。
ニナが冷静になれたのは、天幕を見たからだけではない。
ニナは夜半、自分の天幕を出た。
床についても眠れない。悶々としていると、外から押し殺した足音が聞こえてきたのだった。
予感があったが、まさかと思いながら顔をのぞかせると、見知った後ろ姿が、獣除けのために残された火の傍に座っているのが見えた。
「ジーク……」
「眠れないんですか? ニナ」
振り向いたその顔。笑顔を取り繕う直前の無の表情に、ニナの胸は痛んだ。
「その、ジーク……ごめんなさい」
「何を謝っているのかわかりませんが」
「勝手を言って、騎士の皆に無理を押し付けた」
「ニナが我が国を救うために力を貸してくれると言う。それも、今すぐにと。喜び勇んで馳せることはあれど、迷惑だと思う理由はありません」
「でも、ジークは怒ってる」
「怒っていません」
取り付く島もなかった。ニナは躊躇いながら、もう一度言う。
「怒ってるでしょ。今までと全然違うもの」
謝りたいのに、怒っていると認めてくれないと対処のしようがない。
「ニナに怒っているわけではないんです。ただ、自分が情けないと」
ニナのしつこさに、ジークハルトが折れた。
ニナはジークハルトの隣に腰を下ろし、長い話を聞く姿勢になった。
「情けない? どうして?」
「ニナが抱えているものを打ち明けるに足る人間だと、判断してもらえるほどの相手になれなかった」
「それは……別に、ジークのせいじゃない」
「いいえ。自覚はあるんです」
ジークハルトは自嘲じみた笑みを浮かべた。
「自分が卑怯なことは自分がよくわかっている。ニナの目は誤魔化せなかったということです」
「卑怯……?」
ジークハルトが言っている意味がわからなかった。
初めて会った時から、ジークハルトはニナに対して優しく誠実だった。
「私がニナに初めて会った時、思ったんです。とても幸運だと」
「騎士として当然のことでしょう?」
国の危機を救う手立てを見つけた。それは、喜んで然るべきことだ。
「いいえ、私は真っ先にこう思ったんです。『これで手柄があげられる』と」
ジークハルトは目だけで、ニナに問いかける。言葉は無いのに、軽蔑するか、と聞かれているのだとわかった。
ニナはしかと目を合わせながら首を横に振る。
ジークハルトが、自分の利益だけを追う人間ではないことは、わかっているつもりだった。
何よりジークハルトが打ち明けようとするその心のうちを、まだ少ししか聞いていない。
「手柄を上げれば、爵位を賜って家を興すことができるんです。小さいながら領地を得ることができる」
「ジークは、自分の領地が欲しかったの? 公爵家を継ぎたかった?」
いいえ、とジークハルトは即座に否定する。
「やがて失われる王位継承権も、私には興味がない。でも、万が一の場合を想定した中で生きてきた。私は、貴族の男の生き方しか知らないんです。土地を治め人民を治める。治めるものもないのに、覚悟と準備だけはしてきた」
持て余すように、ジークハルトは小枝を火の中に放り込んだ。頼りない枝は、ぱちぱちと音を立ててあっけなく形を失ってしまう。
「領地を持つ娘を妻に迎えることができますが、それは自分のものではない。一生妻や義父の顔色を窺って生きるのもぞっとしない。そこまでしても、その領地は自分のものではなく、妻のものです」
ジークハルトは、ちらりと口の端に笑みを上らせた。
「自分の土地を治め、民を守り、妻を迎え一家を興す──私はやっとそこに根を下ろせる気がする」
「公爵家じゃなく、自分で家を興したいの? 公爵家は」
嫌い、と聞きかけて、ニナは考え直す。嫌い、ではないのだろう。
「居心地が悪い?」
「そう、なのかもしれません」
少なくともジークハルトの兄と妹は、彼を受け入れて慕っていたのだから。
「父は兄の母とは幼馴染で、貴族社会にしては珍しく恋をして結ばれたのです」
それは、ある夫婦の昔話だった。
「同じ身分同士の者が入れられる籠の中で出会い、結婚し、兄が生まれた。とても幸せなことなのだと思います。早くに肺を患って亡くなるまでは」
ジークハルトはぽつぽつと語り出す。
「後妻として降嫁した私の母とは、典型的な貴族の政略結婚です。父にとって母は王女で、母にとって父は臣下に過ぎない。二人とも貴族の義務はよく心得ているから、私が生まれ、母は役目を終えた。妹は、母にとって人生のご褒美なのです。自分の分身のように育てて、飾って、愛でる」
ニナはジークハルトの身の置き場のなさに気づいた。公爵の関心は兄へ、母の関心は妹へ。ジークハルトは義務が果たされた結果でしかない。
「私は兄や従弟を敬愛しています。彼らを差し置いてその座に座りたいとは思わない。でも、代替品として生まれ、育った私に、あらぬ想像をする人間は山といる。だから、騎士になったんです。自ら危険に身を置けば、潔白を証明することになる、と」
ニナはジークハルトの兄への態度の意味をようやく理解した。
つかず離れず。
その距離が最も無難なのだ。ただ、それはあまりにも寂しい。
ニナはジークハルトが持つ貴族としての願いの裏にある、本当の願いに気が付いた。
(だから、焦ってたんだ……。成果もないまま、私を国王陛下に謁見させて。聖女を見つけたのが、ジークが初めて得た手柄だから)
「ジークは……自分の家が欲しいんだね」
「家……」
「だって、居場所が欲しいって言っているような気がするもの」
指摘されて初めて思い至ったようだった。ジークハルトはしばらく揺れる火を見つめながら、自分の言ったことを振り返っていた。
「だから、ジークは私に嘘を言ったの? それを申し訳ないって思ってる?」
「嘘?」
ジークハルトは、まるで心当たりのないことのように聞き返す。ニナはその反応に、胸をなでおろした。
「私の幸せを見つめるのを手伝うって」
「まさか」
即答だった。ニナは涙ぐみそうになる。
少なくとも、自分がまた軽んじられ、騙されたわけではない。
「今更信じられないかもしれませんが、嘘ではないんです。心細そうにしていたあなたを、どうにか支えたいと思った。居場所を得たばかりのあなたを、そこから引きはがすことが申し訳なかった。だから、少しでも代わりになれば、気持ちを慰めることができれば、と」
『役目ばかりを求められる苦痛や寂しさに、寄り添えたら、と思ったのですよ』
そう言ったジークの声が蘇る。
聖女としてのニナ。代替品としてのジーク。役割だけを求められ、身の置き場のないような気持ちがあったのだ。
「──ただ、同じぐらい、手柄を上げて褒美を賜りたいと思っていたのです」
でも、とジークハルトは言う。ニナを落胆させることを承知で、この時に。
まぎれもない本音を。
「ニナは、一途で懸命でお人よしで。尽くされて当然のはずなのに、人に尽くすほうが多い。おまけに、私に何かしたいと言う。なたと一緒に旅をするにつれて、どんどん自分が卑屈で卑怯なような気がしてくるんです」
ジークハルトは、はっと空気を短く吐き出し、笑う。
「あなたに、そんな風に言ってもらうような人間ではないんです。私は」
「それでも私は嬉しかった! だから、ジークに何かしたいと思ったの」
ニナは、ジークハルトに訴えかける。
下心があったとしても、本物の気持ちがあった。間違いなく、ニナは励まされて、慰められた。
「下心があって、何がいけないの?」
ニナは低い声で、唸るように言う。
「私だって、ただ人を助けたいから聖女をやってるわけじゃない。私を大事にしてくれたから、返してるの。──聖モントローズ王国では、誰も私を大事にしてくれなかった」
あぁ。とうとう言ってしまった。
「召喚されて、その時はまだ幼くて、エドウィン殿下に殴ってでも言うことを聞かせた方が効率的だって思われた」
あれほど知られたくない、言いたくないと思っていたのに、ニナは自分の言葉を止められなくなった。
「エドウィン殿下は何にでも私を使うのに、誉め言葉もお礼も自分で受けて、私に聞かせてはくれなかった。遠征に行っても、最初から最後まで働かされて、人の治療の家畜や畑の快復もして、その上預けられた屋敷では平民ってバカにされて」
「そんな──まさか」
ジークが愕然としている。言葉にならないままの声が、信じられないと言っている。
「聖女として国を救っても、修道院に押し込まれて一生祈って過ごせ、世間に出てくるなって言われた」
語るうちに涙が浮かび上がってくる。
驚きの表情をしたジークハルトの顔がぼやけていく。
それが幸運だと思った。彼がどんな顔をするのか、怖くて見ていられなかった。
「聖モントローズ王国に戻りたくないのは、二度と同じ目に合いたくないから。そんな風に扱われているのを、ジークに見られたくなかったから。そうすれば、大事にしてもらえなくなるって思ったの」
下心があるのは、ジークハルトだけではない。それが恥ずべきものだと思うのなら、ニナも同じだ。
「大事にされたいって思うのは、いけないことなの? 聖女であればこんな考えは邪なの? 私は結局、自分勝手で、自分が幸せになれないと嫌なの!」
それでも、ニナは聖女を続けることにした。これもまた、自分自身のためなのだ。
「ジークが私に幸せを見せてくれたから、返したいって思ったの」
下心があって、どうしていけない。あさましいことの何が悪い。
ニナは求められたい。今、この人に頼りにされたい。この人の願いをかなえるために、何かをしたい。
「私が、ジークのために何かがしたいの」
ニナは、ジークハルトの前に膝をついた。
両の膝をそろえ、ジークハルトを見上げると、その若草色の瞳を限界までに見開いてニナを見ていた。
ニナは、ジークハルトの手を、そっと両手で包むように持ち上げた。そのまま額に押し当てる。
この国で騎士の真心を示す仕草だった。ニナは、少しでもジークハルトに伝わりますように、と願う。
そのための手段が、とにかく一つでも多く欲しかった。
「ニナ、待って。それは──」
「私は、あなたのために、何ができるの?」
ニナは再び問いかける。
今度こそ、その心を、浅ましさを、打ち明けて預けて欲しい。そう願って。
ジークハルトは、大きく息を吐いた。
ため息ではない。気持ちを静めて、心を固めるためのものだ。
「ニナ、私に手柄をくださいますか」
それは、あまりに利己的で生々しい願いだった。
「私は私の家が欲しい。帰る場所を作りたい。私であることが求められる場所を」
「わかった」
ニナは、大きく頷いた。ニナはジークハルトのための聖女になろうと決めた。
「その代わり、私を守って」
決してニナを裏切らず、欺かず、敬意をもって。
名誉を汚すことを許さず。
「ジークハルト。私の騎士として、私の名誉を守って」
ジークハルトは、ニナの肩に手を添えて立ち上がらせた。
彼は交代するようにニナの前に膝をつき。そのままに、ニナの手を取った。
手の甲に唇が落ちる。荒れた淑女らしからぬ手であることが、ニナは気になって仕方がなかった。
「必ず、あなたを守りましょう。ニナ、私の聖女様」
清く正しくなくても構わない。利用されるのだとしても、この人になら利用されても構わない。
この人の聖女になれるのなら、ニナは後悔しない。




