28第一王子からの書状
「ニナ、ジーク!」
ヨハンはすでに客間でニナ達を待っていた。
豪華な部屋だった。赤と金をメインに据えた装飾は、目にも華やかだ。
ヨハンの前にはすでに紅茶が用意されている。湯気がなく、半分以上が減っていた。
「相変わらず早いですね。ヨハン」
「風魔法は移動に有利なので。それに、俺の馬は優秀だからね」
風魔法を使えば、馬を疲弊させることなく長距離を速く駆けることができる。通信や伝達の部門で重宝される魔法だ。
ヨハンは、姿勢を正すと口調を改めた。
「ジーク、無事にニナ様をお守りした上での活躍。お手柄だ。陛下も大変お悦びだった」
ヨハンの顔は明るかった。 続いて彼は、ニナへ慇懃な礼をした。
「ニナ様、ご活躍は王都にまで届いております」
「それは──どうも」
この切り替えの上手さ。ニナはヨハンの調子の変わり方に、相変わらず戸惑ってしまうのだった。
「緊急の連絡とは? 王宮に戻るのも待てないのですか? ブルメンタール領の方が近いのは確かですが、三日もあれば王宮に戻れます」
言い換えれば、本来三日かかる距離を、ヨハンは一日程度で駆け抜けたということだ。
その熟練度合にニナは舌を巻いた。
「待てないわけじゃない。でも先に耳に入れておくべきだと判断した」
ヨハンは、真剣な面持ちでニナを見つめた
「ニナ、聖モントローズ王国から聖女を返還するように書状が届いている」
「は……?」
「これだけ派手に活動していれば、気づかないほうがおかしいのだけれど……書状にはこう書いてあった」
ヨハンは、口調を改めた。 すべらかに堅苦しい文章を暗唱してみせた。
「昨今、貴国で活躍がささやかれている聖女は、ローズ教の敬虔なる修道女であり、高貴なる聖女である。聖モントローズ王国に降り立った聖女を、如何なる理由があろうとも貴国が恣にすることは許されることではない。ゆえに、即刻聖女の返還を求める、とのこと」
「言いたいことがありすぎますね」
ジークハルトは苛立った様子だった。珍しく、露骨に顔をしかめてみせた。
「そもそも、ニナは修道院を疎んじてテオパルド王国にやって来たんですよ」
「聖モントローズ王国が言うには、聖女は不慮の事故で行方不明になったと思いずっと探していた。テオパルド王国で聖女として働かせているには、テオパルド王国の陰謀だと」
「私達が、ニナを拉致したとでも?」
「そんなはずない!」
ニナは声を荒げた。
「私が川に飛び込むのを、あの修道院の皆が見てるのに!」
「真実はどうでもいいんだろうね。ただ、難癖付けて聖女を返せと言いたいだけ」
「王宮からは何と返答を?」
「状況のまま返した。後ろめたいことはないから」
ヨハンは、ニナとジークハルトの怒りや混乱を受け流すようにひょいと肩をすくめた。
「慈悲深くまた自由を愛する聖女様は、テオパルド王国遊覧中に我が国の危機を目の当たりにし、大変心を痛められた。わが国に聖女様の意志を妨げる理由はありません、って」
「まぁ、間違いではないんですが……」
「勿論、こちらとしても今ニナに出て行っていかれては困る。まだ一月も立っていないのに、魔獣の被害は一気に激減した。国内を安定するのに、一年もかからないかもしれないって、陛下は安堵されている」
ヨハンはニナをなだめる様に言う。
「それは無理でしょう……これから社交シーズンなんだから」
「社交?」
「聖モントローズ王国では、二年以上かかったの。社交界の間は遠征できないからって。それに教会の礼拝もあって……」
ヨハンは馬鹿馬鹿しいというように鼻で笑った。
「テオパルド王国では、国難と認定して、舞踏会も軒並み中止になってるのに」
「でも、問題解決に貴族の団結を図るために舞踏会は必要なんでしょう?」
ニナは食い下がる。ヨハンがまるでニナをもの知らずのように思っているように見えたのだ。
実際、聖モントローズ王国では、そういう名目で社交シーズンでは遠征を中断していたのだ。教会の重要な礼拝も欠かすことが出来ず、結局それだけの月日がかかった。
「聖モントローズ王国では、そうしていた、ということです。ただ、テオパルド王国では違う方針をとっています」
ジークハルトはやんわりと話をまとめる。
ニナは渋々引き下がったが、ヨハンは納得していない顔をしていた。
「ともかく──聖モントローズ王国が今更聖女を返せと言ってきた、ということですね。我が国としても、今ニナに出て行かれるのも困る」
言われなくても出ていく気はない。ニナは思う。
「ただ、聖モントローズ王国で、何かのっぴきならない事態が発生している可能性もある。わが国も聖モントローズ王国と断交しているというわけではない。正式に外交筋から依頼があり、理由が納得できるもので、もしニナが良いと言うのなら、の話になるが……」
「絶対に嫌!」
ヨハンが遠回しににじませた意図を察し、ニナはその続きを叩き落した。
冗談ではない。どんな思いでニナが川に飛び込んだと思っているのだろう。
「絶対! あの国には戻らない!」
心のままに怒鳴って、ニナはヨハンとジークハルトが驚きもあらわにニナを見ていることに気が付いた。
ニナはさっと青ざめた。
これはまるで、ニナと聖モントローズ王国の間で、問題があったと言っているようなものではないか。
「ニナ……」
ジークハルトが立ち上がり、ニナの傍らにやってくる。そっと肩に手を添えた。
いつかのようだった。ニナがジークハルトと初めて会った時。彼はニナの傍で、相槌を打ってくれた。
そのことに、どれだけ気持ちが慰められたか。
「ニナ。一体、あの国で何があったんですか」
けれど、ジークハルトは同じように慰めてはくれなかった。
「あなたが、あの国が嫌いだと、言った。その理由は何なのですか」
「私……」
ニナは緩やかに口を開こうとする。
目の前に、ヨハンがいて、ジークハルトがいる。この二人が知れば、他の騎士達も、王宮でも広がることになるだろう。
「私は──」
知られてしまえばどうなる?
聖女とは肩書ばかりでいいように扱われたこと。
暴力と暴言にさらされたこと。
野営の時、寝台を使わせてもらえなかったこと。
応接室で腰かけることすら許されなかったこと。
(もし──もしも、この国の人たちに軽んじられたなら、今度こそ耐えられない!)
ニナはぎゅっと口をつぐんだ。
「あなたのために、私は何ができますか?」
ジークハルトは言う。ニナはその若草色の瞳を見つめた。
(ずるい)
ニナは、内心でジークハルトをなじった。
(その言い方は、ずるい)
ニナが捧げた言葉だからだ。
拒絶されるのがつらいのに、ジークハルトはその言葉を使うのだ。
拒絶する方も、つらいと知っていて。
悔しくなると同時に思う。ひょっとしたら──いや、ひょっとしなくても、この人たちはニナを軽んじることはないだろう。
だから、打ち明けても大丈夫。
そう思うのに、口が開かなかった。まるで縫い留められたように。
(あぁ、そうか──)
思い出して、言葉にすれば一層鮮やかに記憶を描くことになる。
(語りたくない。思い出したくもない──)
「失礼」
ノックもそこそこに開いた扉に、思考がぷつりと切れる。同時に部屋に漂う緊張が薄れた。
「兄上」
この屋敷で、多少の無礼も許されるのは、この家の主だけだ。
ガレオンがその厳めしい顔を、さらに険しく強張らせて佇んでいた。
「ニナ殿に火急の依頼がある」
靴音を鳴らし、部屋に入ったガレオンは、テーブルの上に地図を広げた。
ブルメンタール領地の地図だ。
彼はその北側に位置する街を指さした。
「わが領地の北に位置する街で、黒い霧の魔獣が発生したとの連絡があった。霧に当てられた獣が狂暴化して、人が襲われたと。怪我人が複数出ていて、市民が恐怖に耐えかねていると。街の者が助けを請いに来た」
よほど切羽詰まった様子だったのだろう。ガレオンは領地を預かる責任を背負い、ニナを見据えた。
「聖女様。どうかお力を貸していただけないだろうか」
「わかりました」
一も二もなく、ニナは頷いた。
「すぐにでも」
「ニナ!」
「行かないといけないんでしょう。それが聖女の仕事なんでしょう?」
聖モントローズに行きたくない。ニナはその一心だった。震える手を胸の前で組み合わせ、震えを力づくで抑えようとする。
「テオパルド王国を守るのに忙しい。だから、聖モントローズ王国には行けません」
ニナはきっぱりと言う。露骨で稚拙な言い訳だった。そして、卑怯でもあった。
そういえば、テオパルド王国で爵位を持つ彼らは、ニナを妨げる理由を持てない。
ニナはテオパルド王国を救うと言っているのだ。どうして邪魔をする必要があるというのだろう。
(あの国で、なにかあったのかもしれない。もしかしたら、何もなかったけど惜しくなったのかもしれない)
ニナには知りようのないことだ。
(でも──聖モントローズ王国に戻って、思い出したくもない。それに、見られたくない)
ニナが、ニーナという名前であざ笑われて、軽く扱われるのを、この人には。
「勿論、力を貸していただけるのはありがたい。だが、今すぐでなくとも──」
ガレオンは戸惑っていた。彼とて、今すぐニナを行かせるつもりはなかったのだろう。
今出立すれば、野営になってしまう。
せめて、一晩、ささやかながら宴をして、体を休めてから、と思っていたはずだ。
ニナはその厚意を全て無視して、きっぱりと言う。
「ジークが行かないなら、一人で行く」
子供のようなわがままだ。
だが、ニナはこれ以上、この場で聖モントローズ王国の話など、したくなかった。
はぁ、とジークハルトがため息を吐く。
「仕方がありません。『聖女様』が今すぐにでも領民を救ってくださると仰っているのです。我々が反対する理由などありません」
聖女様と呼ぶその言葉に、カチンときた。十分ジークも不満を感じているのがわかるというものだ。
ニナは険悪な目でジークハルトを見る。見返して来る目もまた、ニナが見たことのない感情の色を湛えていた。
「ニナ様。無事のおかえりをお祈りしています」
ヨハンの畏まった見送りを受け、ニナは馬車に乗り込もうとした。
片づけた荷物をそのまま積むことになった騎士達は、不満を表すどころか活気に満ちてきた。
国を守るという使命のもと集った騎士である。聖女を戴き、国の危機に立ち向かっているという事実は、彼らの自尊心を満たしていた。そんななか、聖女様が積極的にこの国を救うために赴くのだと言う。
ただでさえ士気が高まっている状態。それこそが騎士としての名誉と言わんばかりに、ニナの行動を熱烈に歓迎した。
唯一騙されてくれないのがフリッツだ。
「どういうことだ? ニナ、平気なのか?」
ニナの方に体を寄せ、こそこそと話しかけるのは、他の騎士達に聞かせないためだろう。
「ごめん……本当にごめん」
ニナは平謝りをするしかなかった。フリッツは、いつかのような迫力のある形相でニナを睨んだ。
ニナ様と呼ぶのをやめて欲しい、聖女扱いをやめて欲しいと懇願したところ、フリッツの態度は結局ジークハルト第一で、遠慮のないものに戻ってしまった。
もちろん、聖女としてニナを尊重してくれるが、こうしてジークハルトに迷惑が掛かると途端に厳しくなる。
「俺は構わんが、ジーク様にご迷惑をかけるなよ」
「それは……もう……」
かけています、とはとても言えなかった。
間もなく出立という時だった。
突如、管楽器の音色が響いた。ヨハンやジークハルト、騎士達も一斉に手を止めてブルメンタール公爵の屋敷を仰ぎ見る。
旗が翻る。国旗と、羽を広げた雄々しい鳥の旗。それが、王家の紋章なのだと、ニナは学んでいた。
正面の門が開き、一人の男が飛び出てくる。彼は両手を口元に添え、声を張り上げた。
「王宮からの至急の連絡!」
紅潮した頬と興奮気味で裏返った声をそのままに、声の限り、彼は叫ぶ。
「第二王子殿下ご誕生! 第二王子殿下ご誕生!」
伝令だ。伝令が、声の限り国の慶事を伝えている。
「テオパルド王国万歳! 第二王子殿下万歳!」
その瞬間、場が沸き立った。万歳を叫ぶ声が轟く。
歓喜の渦の中、ニナはとっさにジークハルトを見上げた。
ジークハルトは微笑みを消し、青白い頬をそのままに万歳の輪の中にたたずんでいた。
彼は今まさに、王位継承権を失ったのだ。




