27ブルメンタール公爵領
王都からの知らせがやって来たのは、その数日後のことだった。
ニナとジークハルトは表面上はいつも通りだった。周りを混乱させないために、そうするしかなかった。
ジークハルトは相変わらず優雅な微笑みを浮かべたままで、ニナは、それがまるで自分を突き放しているように見えたのだ。
ニナはこれまで以上に懸命だった。
やるべきことに熱中させることで、余計なことを考える自分の余白を追い出していた。
そんなニナの姿を、救済に懸命になる聖女だと言って、騎士達は一層身を引き締めて支えるようになった。
思わぬ副産物であったが、ひたむきな聖女と懸命な騎士達の一行は行く先々で歓迎され、感謝を背に次の場所へと移っていくのだった。
「ヨハンからの連絡ですね」
ニナだけでなく騎士との一致団結した取り組みのおかげで、一月を予定していた行程はその時点で半分以上が終わった。
拠点としていた街で夜を明かし、朝から次の拠点へ向かう準備を進めていた時だった。
ジークハルトの傍らに、尾の長い鳥が降り立った。ヨハンの風魔法によって透明な空気から生み出され、光の印影でのみ形を持つ鳥は、その足に書状を携えていた。
ジークハルトは、眉を顰めながら書状を読んでいたが、顔を上げるとニナに向き直った。
「ニナ、少し緊急の連絡が発生したので、近くの居城に行くことになりました。場所を貸してくれます。ヨハンも王宮を出立しているので合流しましょう。今日の夕方には到着します」
「近くの居城?」
ニナはテオパルド王国の地理に明るくなかった。王都から一度北に出て、そこから東回りでぐるりと回ってきた。
今はちょうど西側──。ニナは、はっとしてジークハルトの顔を見た。
「私の実家になりますね」
王都の西側に位置するジークハルトの実家、つまりブルメンタール公爵家の領地である。
そこからさらに半日ほど進み、ニナ達はブルメンタール公爵家の領地に入った。
ブルメンタール公爵家は、丘の上に建つ大きな屋敷だった。上に積み重ねる建築様式ではなく、低層階を横に広げて敷地を確保する。王宮と同じだった。
広大な敷地を維持することができることこそ、公爵家が安定した統治をおこなっている証拠のように見えた。
門番が門を開く。ニナとジークハルトは荷物の積み下ろしや馬を休ませる騎士達をフリッツに任せて、屋敷の中へ進んだ。
窓に廊下。扉。古いものだとわかる色合いをしているのに、埃が払われて磨き上げられている。扉の金具さえも、錆が落とされて鈍く光っているのが。公爵家が、この屋敷を心から大切にして管理しているのが伝わってくる。
廊下を進む途中、使用人が足を止め深々と頭を下げてジークハルトが通るのを待っている。
ジークハルトは、物慣れた様子ですっと顔を上げて歩いていた。
「──ジークハルト」
張りのある大きな声が廊下に響く。
向かいから、勝気な笑みを浮かべた男が足早に近づいてくるのが見えた。
彼は足を止めたジークハルトの前までやってくると、嬉しそうに声を弾ませた。
「良く帰って来た。ゆっくりしていく時間がないのが残念だが」
「ありがとうございます──兄上」
「あにうえ……?」
ニナはぼんやりと繰り返した。頭の中に徐々に混乱が生まれた。
(あれ……それなら、ジークハルトよりも高い順位の継承権があるんじゃ……)
ニナのつぶやきを聞き取って、ジークハルトの兄だという男がニナに体ごと向き直り、太い笑みを向ける。
「ご挨拶が遅れて失礼いたしました。聖女様。私はブルメンタール公爵が第一子、ガレオン・ブルメンタールと申します。聖女様をこの城にお迎え出来て光栄です」
ニナは考え事を中断し、慌てて淑女の礼をした。
「お初にお目にかかります。ニナがご挨拶申し上げます。歓迎いただき、大変ありがたく存じます」
「兄上、どうぞ彼女のことはニナと。堅苦しい呼び名が好まないとのことです」
「では遠慮なく。ニナ殿。弟がお世話になっています」
「い、いえ……! 私こそ、大変、その、お世話になっています」
型破りの挨拶を受けてしどろもどろになるニナに、ガレオンは快活に笑いかける。
ニナはその表情をまじまじと見た。ジークハルトは、どちらかと言えば線の細い印象を受ける。
一方でガレオンは上背があってがっしりとした体格をしている。濃い茶色の短髪と水色の瞳も、ジークハルトとは違う。
あまり似ていない兄弟だった。
「忙しいだろうが、今日ぐらいは歓迎の席をもうけさせて欲しい。食事を用意しよう」
「ありがたいことです」
親し気なガレオンと対象的に、ジークハルトの態度は余所余所しい。
「妹……エリィもお前を恋しがってる」
「後で顔を出します」
(妹もいるんだ……)
会話の雰囲気から、彼ら三兄妹の関係は良好なようだった。
「行きましょうか。ニナ。兄上、客間を用意していただいているんですよね」
「あぁ、ヨハンがすでに到着している。彼の風魔法は素晴らしいな」
ジークハルトは、ニナを促す。まるでこの場から早く立ち去りたいような態度だった。
部屋の確認だけをして、ジークハルトは速足で廊下を進む。いつもはニナの速度に合わせてくれるのに、ニナは小走りで追いかけなければならなかった。
(いつものジークと……違う)
何が彼をそうさせているのかわからない。不意に、ジークハルトが足を止めた。ニナははぁと大きく息を吐いて立ち止まった。
そこは、肖像画が並ぶ廊下だった。
いくつもの公爵家当主らしき人物、その妻の面影が壁を飾っている。
ジークハルトはどこか茫洋とした視線を肖像画に投げかけていた。
彼の視線の先を追うと、そこには比較的新しい肖像画が三枚並んでいた。一人の男を挟むように、女のものが二枚。
男は薄い茶色の髪に水色の瞳をしていた。女の一人は──若草色の瞳にしとやかで柔和な笑みを浮かべている。
もう一方は、濃い茶色の髪の女。その笑顔からは勝気な気象が伝わってくる。
彼らは母親によく似ているのだ。
「兄上は、父上の最初の奥様の御子なんです。奥様が亡くなった後に、母が降嫁しました」
ジークハルトは言う。
それはつまり、このままではジークハルトには公爵家を継ぐことがない、という意味でもある。
ジークハルトはこれ以上何も語りたくない様子だった。
明かしたくないことが明らかになった以上、最低限の説明しなければならない。そんな風な様子だった。
「行きましょう。ニナ、客間はあちらです。ヨハンが待っています」
ジークハルトはニナからの言葉の一切を拒んで歩き出す。
ニナは、また口を閉ざすしかなかったのだった。




