26騎士の拒絶
その日の行程を終えた頃には、日はどっぷりと沈んでいた。
討伐対象は、風切鷲だった。
空中を縄張りとし、素早い行動で周囲を魔獣相手に、地上を離れることのできない騎士達は手こずっていた。
風属性魔法か火属性魔法を使うものがいれば、対処のしようがあっただろうが、今この部隊に配属されているのは、草魔法のジークハルトと合流した部隊の副隊長の土魔法だけだった。
結局、ニナが聖魔力を広範囲に展開することで事を収めたのだった。
「ニナ、疲れはありませんか?」
「うん。魔力は使ったけど、そこまで疲れてないから」
勿論、その分魔力は消耗するが、ニナにはまだ余力はあった。
聖モントローズ王国では、この後さらにエドウィンの慈悲の代行をさせられたのだ。この程度のこと何ともなかった。
「今日は街に戻れない。野営になります」
「大丈夫! 聖モントローズ王国でも野営はあったから」
申し訳なさそうなジークハルトに、ニナは明るく答えた。
この国での遠征が始まり、一週間が経った。
行程は順調すぎるほど順調で、当初の討伐予定よりも早く進んでいた。
基本的には街道沿いの街に拠点を構えて宿で寝泊まりしていたから、野営は初めてだった。
野営地には、すでにいくつかの天幕が用意されている。火が熾され、温められた空気と橙色の光に安心できる場所に帰ってきたような心地がした。
「この天幕を使ってください」
ジークハルトが案内してくれた天幕の中を覗き込んで、ニナはわぁと声を上げた。
狭いが精一杯整えられていた。火を入れたランタンがうっすらと中を照らしている。
防水処理された敷布の上に木箱を寄せ集めた簡易的な寝台が作られていた。通常、敷布の上に上着を敷いて毛布にくるまっての雑魚寝になる。地面の固さと冷たさは、布越しでも伝わってくる。
「すごい! 寝台がある!」
野営と聞いて、懐かしさすら感じていたニナは、騎士達の気遣いを目の当たりにして頬を紅潮させた。
「いいの? 私が使っていいの?」
「宿の寝台と比べれば、寝心地は悪いとは思いますが、どうぞ。部下たちが少しでもニナに心地よく休んでほしいと思って準備したようです」
「本当に? ジークが使うんじゃないの?」
聖モントローズ王国では、遠征の際、組み立て式の寝台が一つだけ積み込まれていて、エドウィンだけが使っていた。
毛布こそ多めにもらえたが、ニナも地面に横になっていたのだ。
「これでも騎士の端くれなので、野営には慣れています」
「本当にいいんだ……。うれしい……」
ニナは寝台に近づくと、毛布に触れた。
木箱の凹凸や固さは感じるが、冷えが伝わらない分、寝心地は抜群に言い。
「寝心地の悪い寝台にそこまで喜ぶのはニナぐらいですよ」
ジークハルトは、少し呆れた調子で言う。
「むしろ、我々の手際が悪いことを責める権利がある。風魔法の魔法師の配備が間に合わなかった、いっそ見送りに来たヨハンを積んで来ればよかった」
「そんなことない。無事に順調にここまで来れたのは、騎士の皆の力なのに」
「……ありがとうございます」
ジークハルトは目を細めた。
「明日は一旦街に戻って休みましょう。予定は幸い繰り上げで進んでいます。一日ぐらい予定を中止したところで問題はない」
「私は平気。早く終わらせる方がいいんじゃないのかな」
ジークハルトが、唖然とした顔でニナを見た。
そうか、とニナは考えを改めた。この討伐に加わっているのはニナだけではない。
「あ、でも、そうね。騎士の方は獣の相手をしてるんだから、私よりずっと疲れてるよね」
ニナは、何か自分にできることはないかと考えた。
「私が、聖魔法で回復の手助けをしてみたら……。でも気が休まらないか」
「いいえ、騎士達は問題ないのですが……」
ジークハルトが呆気にとられた様子で呟き、くすりと笑った。
「ニナは、すごいですね」
「え?」
「初めて会った時、あなたはひどく心細そうだった。聖女と呼ばれることを拒絶し、泣きそうな顔で怒鳴っていた。それが、今や堂々たる聖女様だ」
あなたがそう言われるのを嫌っているのは知っていますが、とジークハルトは控えめに付け足した。
「惚れ惚れするほどです」
「あ……」
ジークハルトは笑う。心の底からの賞賛を感じられる。晴れ晴れとした笑みだった。
ニナは真正面からその表情を受け止めて──受け止めきれなくて俯いた。
大きく動き出した心臓をなだめようと呼吸をおいて、またそろそろと視線を上げる。
「幸せにする手伝いをすると大きなことを言った割に、何もできない自分が恥ずかしいぐらいです」
ジークハルトはニナが視線を上げるのを待っていた。ニナの落ち付かない眼差しを受け止めながら、そう言うのだった。
「そんなことない」
ニナは前のめりになって言った。決して、ニナが一人で決断できたわけではないのだ。
「ジークが私の言うことを受け止めてくれたから、幸せになれるよう手伝うって言ってくれたから──信じてみようって思ったの。実そうでなきゃ、私はきっと決断できなかった」
一人だったのなら、ニナは何も決められなかった。隠れて逃げて、逃げられなくなれば、嫌だと引きずられながら聖女を務めて、いつまでも馬車の中で縮こまっていたに違いない。
「ジークのおかげだよ」
「ニナ──」
ニナは、自分の内からあたたかな気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
(私は──ジークのことを知りたい。ジークのために、何かしたい)
ジークは何が好きなのだろう、何を大切にしているのだろう。
もし、それを打ち明けてもらって、一緒に大切にして行けたのなら、嬉しい。
(あぁ、そうか──)
ニナは自分を満たしていく気持ちの正体が何なのかに、ようやく気付いた。
(私、ジークに惹かれている──)
「私、まだ知りたい。ジークのこと。ジークが大切にしているものも」
ニナは精一杯の笑顔を作った。少しでも気持ちが伝わりますようにと願いながら。
好きだと、口にすることもできず、ニナは違う言葉に置き換えるしかなかった。
ニナは、知りたい、分け合いたいと願うばかりで、相手が動くのを待っている。自分自身が隠したいものはそのまましまい込んだまま。
ニナに、そんな自分にジークハルトを慕う気持ちを口にする資格がないと思っていたのだ。
「私は、あなたのために何ができる?」
「──私は本当に何もできていない」
「え?」
ニナはたった今放たれた言葉が目の前のジークハルトから発せられたものだと、一瞬信じられなかった。
まるで吐き捨てるような、自嘲するような声。
「ジーク?」
ニナは恐る恐るジークハルトを覗き込んだ。聞き間違いだと思っていた。
ジークハルトは──礼儀正しくて、何より優しくて──
「ニナ、あなたにそんな風に思ってもらえるような人間ではないんです」
卑屈な言葉だった。ニナは言葉を失う。
ジークハルトがそんな風な物言いをするなんて、初めてだったのだ。




