25二度目の遠征
王宮に到着すると、ニナはまた侍女に預けられて、旅の汚れを落とすことになった。
広々とした浴場で湯を使い、侍女に着替えや身支度を任せる。
今回、侍女が用意したのは、淡いクリーム色のドレスだった。飾りらしい飾りはなく、一見質素に見えるが、光の当たり具合で薔薇の模様が浮き上がってくる。胸の下を細帯で締める意匠で、細帯の全面には金色で刺繍が施されていた。
「よくお似合いですよ。ニナ」
着替えが終わった頃、ジークハルトが迎えに来た。
ジークハルトは、防具をつけていない騎士服姿だった。普段と同じものということは、謁見は無いのだろう。
「……ありがとう」
ニナは、ジークハルトの態度があまりにもいつも通りだったので、拍子抜けする一方、悲しくなる。
勇気を振り絞った言葉を、無かったことにされたように思えたのだ。
「行きましょうか。ヨハンがすでに待っています」
物事が流れるように進んで行く。
ジークハルトはエスコートのための手を差し出した。何度も繰り返された仕草だった。
馬車に乗る時、降りる時、王宮を歩く時、ジークハルトは常にニナの傍らにいて寄り添ってくれた。
その手に、ニナは一瞬手を預けるのを迷ってしまった。
ほんの数秒──否、数拍だけ。
いつもの調子から外れた指先は、ジークハルトの掌に触れた瞬間どちらともなくびくりと震えた。
「え?」
ニナは自分の指の震えだと思った。ニナの頭にはジークハルトとのやり取りを気まずく思う気持ちが残っていたのだ。
だが、直後、ジークハルトがニナの指先をきゅっと握った。まるで誤魔化すような仕草だった。
ジークハルトもまた、気まずく思っているのだろうか。
ニナは歩き出したジークハルトの横顔を見つめた。いつも通りの穏やかな笑み。ニナは変わらないその表情が、まるで鉄仮面の無表情と同じように思えた。
「ニナ! お疲れ様!」
応接室では、すでにヨハンとフリッツが待機していた。
フリッツは部屋の壁を背にたたずみ、ヨハンはニナを認めると表情を明るくして立ち上がった。
まるで握手か抱擁を求めるかのように、腕を持ち上げ、ニナに近づいてきた。
「先に報告を受けたんだけど、本当に素晴らしいよ! ニナ!」
「えぇ!? えーっと……!」
抱擁か。握手か。ニナはヨハンの行動を見極めようと目を凝らした。
「ヨハン。ニナが困ってます」
結局、そのどちらかになる前に、ヨハンはジークハルトに押し返されて、席に戻った。
「いやぁ、嬉しくて。ニナもジークも、街の様子を見てきただろう?」
「大喝采でしたね。噂が広がるのが、予想以上に速い」
「勿論、聖女様への期待が高い証拠だっていうのもある」
ヨハンは興奮しているようで早口で言う。
「めずらしく、いい話題が続いてる。聖女様が現れたのもそうだし、王太子妃殿下の出産も間近なんだ。国民はいい話題に飢えてるんだ」
「あぁ、そういえば、そろそろ生まれるのでは? まだ生まれる気配はないんですか?」
「あぁちょっと遅れてるみたいだ」
ニナは、どこかひやりとした心地を味わいながら、ジークハルトをそろりと眺めた。
臨月だという王太子妃殿下。男の子が生まれれば、ジークハルトは王位継承権を失うことになる。
そのことをどう思っているのか、ジークハルトの表情からはわからない。
ニナは膝の上でぎゅっと手を握った。
(私……本当にジークのことを、何も知らない……)
「国民の顔がずいぶん明るい。騎士の士気も高まっています。とても良い調子だと思います」
ジークは、ニナがそんな風に悩んでいることなど気づきもしない。
「ニナ達が不在の間、魔法研究所を中心に各地方の騎士駐屯所、領主お抱えの騎士と連絡を取り合って、黒い霧の魔獣の被害状況を最新のものに更新した。討伐の間、連携もできるように話を通してる。戦力は各段に上がる」
ヨハンは、テーブルの上に地図を広げた。
先日、この場で見た地図と同じものだが、被害が発生した場所が上書きされていた。細かな注意書きも添えられている。
「まずは、王都の近くから、街道沿いに東回りで対処して行ってもらおうと思う。加えて、この街道には比較的大きな街が多い。街に拠点を置けるから、比較的余裕のある行程になると思う」
ヨハンは、ぐるりと地図に円を描くように指を動かした。
「そうですね。ともかく、夜に宿で休める場所があればずいぶん違います」
「ただでさえ、長期の遠征になるから、ニナの負担は大きくなるから」
ヨハンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「それは、大丈夫。聖モントローズ王国でも何度も遠征をしたから」
「聖女様は逞しい」
ヨハンが、おかしそうに喉を鳴らした。
「確かに。王都に来るまでの道中、荷馬車でも平気な顔をしていましたね」
ジークハルトまでもが笑いながら言う。ニナはその表情を見て、少し安心してしまった。
自分達の間にあるわだかまりを棚上げする理由が、ある。
ニナは相手のことを知れないと同時に、自分の知られたくないものを知られることは無くなった。
けれど、少なくともその間、ニナ達は何も変わらないでいられる。ニナにとってジークハルトはもっとも信頼する騎士のままだった。
「このまま一気に片付けよう!」
ヨハンの号令に、めいめいの明るい返事が重なって部屋に響いた。
二度目の聖女としての旅は、とても濃く、そして満ち足りたものになった。
王都を囲む街道沿いの街に拠点を置き、東回りで一周、およそ一月ほどの予定だった。
ニナは前向きで、精力的だった。
ヒューシュフルツからずっと行動を共にした面々が、中心となり護衛兼討伐で遠征を共にする。
王宮から、または付近の領主からの応援が、その時々で補充される。急ごしらえの部隊編成となったが、全員が同じ目的に向かっており、統率が取れていた。
聖モントローズ王国で、長く聖女として務めてきたニナの実力は、疑いようのないものだった。
ローズ教の神々や聖人に祈りをささげているつもりはないが、ニナは祈るような気持ちで事に臨んだ。
ニナが大切に思う人が、これから大切になる人たちが、平和でありますように、と願う。
その結果、ニナはいつでも膝をつき、手を組み合わせ頭を垂れるのだった。
「聖女様……」
そうして祈りを捧げながら聖属性魔法を使い、魔獣が纏う黒い霧を祓うニナの姿に、騎士や居合わせた市民達は誰からともなくそう呟くのだった。
「聖女様! ありがとうございます!」
感謝の声を美しい礼で受け止めながら、ニナは優雅に微笑んで見せた。
そうすることで、人々が安心すると知っていたからだ。
悔しいことに、エドウィンがそうだったからだ。
エドウィンは、その自信がどこから来るのかと疑問に思う程自分を誇っていて、堂々としていた。
身分や力ある人間が、堂々としている。その事実そのものが、不安に揺れる人々を慰めるのだ。
ニナは元来、自分が聖女としてふさわしい人間であるとは思っていなかった。
庶民の出だし、礼儀作法もいつまでたっても物慣れない。流行りものが好きで、俗っぽいものに惑わされる。やりたいことも知りたいことも山ほどある。世のため人のために尽くして祈って一生を終えることに満足できるような人間ではない。
そうだとしても、聖女としての素質があると言ってくれた人がいる。
なら、それを信じてみたいと思った。
そうすることで、救えるものがあるのなら、ニナが愛した人が、街が守れるのなら、幸せになれるのなら。
そのために、聖女らしく装うことぐらい、苦痛ではなかった。
聖モントローズ王国では、苦しくて仕方がなかったことなのに、ニナは今自分が誇らしくさえあったのだった。




