24触れられない場所
「どうぞ。ここが私の一番愛する場所です」
ジークハルトがニナを案内したのは、城壁を上った場所だった。
敵から街を守るというかつての役目を果たさなくなった城壁は、今、街に暮らす人たちの憩いの場になっている。
側面の階段を上ると、見回りをする衛兵の他に、市民がおのおの家族や恋人、友人達と連れ立って歩いていた。
ジークハルトがニナを連れて行ったのは、石壁の上の通路ではなく、門を構える城塔の上だった。
一般には公開されていない場所らしく、入口には衛兵が立っていたが、ジークハルトの顔をみるなり通してくれた。
流石公爵家子息というところか、討伐隊の隊長だからなのか。
城塔の中は螺旋階段になっており、見張り窓から差し込む光が四角く石造りの壁を彩っていた。
階段は急で段数も多い。ニナは息を弾ませながら、先を行くジークハルトの背中を追いかけた。
やがて、屋上への出口が見える。ニナは太陽の光が白く輝く中に飛び込んだ。
「この場所から見る王都は最高なんですよ」
ジークハルトの言葉に、ニナは無言で頷いた。言葉にできなかった。
吹き付ける風が、活気と熱気を運んでくる。聞こえないはずの声が聞こえてくるみたいだった。
そこからは、街が一望出来た。城壁の中は王侯貴族の住まいにふさわしく整然と、城壁の外は雑多でありながらにぎにぎしく、市民が持つ活力を感じさせる。そしてそれらすべては、大通りを通じて王宮へとつながっていくのだ。
確かに、この場所から見る風景は、街は素晴らしく美しい。
「もちろん、この国に住む民はこの街の外にもいる。でも、私はこの街を、景色を守れたらと思うのです」
「だから、騎士になったの?」
「私が騎士になったのは……」
ニナの問いかけにジークハルトは口をつぐんだ。
「いいえ、つまらない話になります」
「つまらなくない」
ニナは、そう食い下がった。
「私は、ジークの話が聞いてみたい」
「なぜ?」
ジークハルトの若草色の目は、純粋な疑問を湛えている。不快に思っているわけではなさそうだった。
「う、うれしかったの」
その感情に励まされて、ニナは積極的に言葉を紡いだ。それは、とても勇気の必要なものだった。
この世界に来て、誰かに嘘偽りない自分自身の気持ちだったを打ち明けることなど、初めてのことだった。
自分のことを知ってほしい。心を打ち明けてほしい。ニナはそう願っていた。
討伐隊の騎士達とは、自分自身を開いていくことで親しくなった、受け入れられたと思う。
だから、きっとジークハルトともそうなれると、ニナは思っていた。
「幸せを探す手伝いをするって言ってくれて、優しくしてくれて。聖女の資格があるって、言ってくれて」
なにより、ニナを引き付けたのは、彼がニナを嬉しがらせるためにした行動ではない。
それはそれで嬉しかったのは間違いない。ただ、それよりも何よりも──。
「 『そうでしょうとも』って言ってくれて」
この世界に来たくて来たわけじゃない。聖女になりたかったわけじゃない。
そう叫んだニナの肩に手を添え、その気持ちを肯定してくれた。
檄するニナを落ち着かせるための口先だけの言葉だったのかもしれない。けれど、ニナはそうではないと信じている。
「そんなこと、誰も言ってくれなかったから」
「ニナ」
大切に思えるものができた。美しいと思えるものがある。
ニナはこの国に来てその気持ちを知った。
その気持ちは、川辺の町の友や小さな集落の少女にだけ向けられるものではない。
ニナを慰め、寄り添ってくれた彼にもまた、向けられているのだ。
ニナは自分のその気持ちに、気づき始めていた。
「それなら、私は貴方のことを、まだ知りたい」
若草色の瞳が、まっすぐニナを射抜く。ニナは一瞬呼吸を忘れて、身動きすらできなくなった。
胸の内が喜びに染まる。ニナの気持ちを、考えを受け入れてくれたのだと、そう思った。
「聖モントローズで何があったのか、教えてもらえませんか?」
直後、ニナは冷や水を浴びせられたような心地がした。
その返答は、ニナが期待したいたものと違ったのだ。
「あの集落で、あなたは言いましたよね。『ありがとうと言ってくれなかった』『手を握ってくれなかった』と」
忘れてはくれなかったのか。ニナの心臓が嫌な音を立てて動き出す。
「聖モントローズ王国は、聖女によって救われたと聞いています。その功労者が感謝されないことなどあり得るのですか」
あの国で、感謝の言葉はニナを素通りしてエドウィンへ向かった。ニナはその輪の中から弾き飛ばされた。
それどころか、聖女とは名ばかりの扱いだった。
(知られたくない──)
ニナはいかに自分自身が身勝手であったかに気づいた。
ジークハルトのことを知りたい、自分のことを知ってほしいと言いながらも、肝心な部分を打ち明ける覚悟をしていなかった。
自らを隠したまま、相手の何を明らかにしてほしいと望めるのだろうか。
だが、ニナはどうしても打ち明けることができなかった。
「い、言いたくない……」
ニナは、喘ぐように言う。
知られたくない。ニナを大切にしてくれる人には絶対に知られたくない。
正しい名を名乗ることすら許されず、後見人に、宮廷で軽んじられ、修道院ですら雑用婦のように扱われた。
学びたての礼儀作法を笑われた時が、ニナにはあるのだ。
あまりにも、惨めだった。
「ただ、私は……あの国が嫌い」
その言葉の真意を問うように、ジークハルトがニナを見つめている。
「嫌いなの……」
仔細を語ることはせず、ニナはただ繰り返した。
手を組み合わせ、誰に向ければいいのかわからない祈りをささげる。
どうか、この人がニナを軽んじませんように、と。
「行きましょうか──」
「え?」
「不躾な質問をしてしまいました。忘れてください」
その瞬間、ニナはジークハルトと自分の間に壁が築かれたことを知った。
「そろそろ王宮へ、行きましょうか」
ニナはそれ以上、聞くべき言葉を持たなかった。自らを語れないニナに、これ以上聞けるはずもなかった。




