23聖女と高貴な光の都
ジークハルトの手を引かれながら、ニナは再び城門を潜った。
ニナを襲ったのは、色の、音の洪水だった。行き交う人の洒落た色鮮やかな服装、活気ある呼び込みに、騒ぐ子供の声。
大通りを歩いていく。王都で一番賑やかな通りに店を構えるのだから、売っているものも選りすぐりのものなのだろう。革表紙の本、鮮やかに染められたスカーフや太陽の光を跳ね返す装飾品の小物類、そして、砂糖衣で飾られたお菓子。
店舗が途切れる場所には、移動式の露店が出ていた。子供向けに目も覚めるような色で塗られた玩具が売られていた。
「お、お祭りでもやってるの?」
「これが日常ですよ。──ニナ、あなたのお好みは?」
「こ、好み?」
「お菓子でも食事でもアクセサリーでも。お好きなものを好きなだけ」
ジークハルトは気前よく、ニナを促した。
改めて周囲を見渡すが、立ち並ぶ店も道路に面した露店も、少し眺めただけでは何があるのかもわからない。
ニナは気になる店を、目に入ったそばから冷やかした。細工菓子の店には動物の形の砂糖菓子がおかれていて、小物屋には凝った細工の小物入れがあった。それから、装飾品の店には手ごろな髪飾りも。
「全然時間が足りない……」
嘆くニナに、ジークが笑いながら言う。
「今日は王宮に行くまでの間ですが。足りなければ日を改めて案内しますよ」
「い、いいの? 本当に?」
「もちろん。フリッツに先を越されましたが……ニナ」
ジークハルトは改めてニナに向き直り、言った。
「あなたに、この街を気に入ってもらえると、とてもうれしいんです」
ニナはまるで雲の上を歩いているような心地がした。
長閑なヒューシュフルツの空気も大好きだが、ニナはまだ、年頃の少女なのだ。
王都は、流行の最先端であり、良いものが集まる街。綺麗なものも、美味しいものもニナは大好きだ。
おまけに、ニナの胸は好奇心ではちきれそうになっていた。
もっと知りたい。もっと見たい。好きなものをたくさん見つけて、胸の中を一杯にしたい。
何も知りたくないと蹲って目を閉じていたニナは、もういなかった。
ニナはふと足を止めた。道路の向こうに、揚げ菓子を売る露店が出ていた。
人の好さそうな店主が、小遣いを握りしめた子供に色とりどりの揚げ菓子を選ばせている。
(ヒューシュフルツと違う……)
子供たちが手にしているのは、紐状の生地を丸くなるように揚げ、砂糖衣をまぶした駄菓子のようなものだ。
ヒューシュフルツでもよく見かけるものだった。
でも、砂糖衣は白だけで、あんなふうにピンクや黄色に染め上げたものや飾り砂糖をつけたものは売っていなかった。
(聖モントローズ王国とも、全然違う……)
あの駄菓子は聖モントローズ王国にはなかったものだ。では、別のものを売っていたかというと、また違う。
長く魔獣の影響で疲弊した国は、王都であっても、人々の顔に暗い影さしていた。店は半ば諦め調子で開くだけ開いていて、露店はなく、裏通りで闇市のようなものが立つ始末だった。
「どうぞ」
「え?」
突然目の前にピンクの砂糖衣で彩られた揚げ菓子が差し出されて、ニナは面食らう。
「それが欲しかったんですよね」
「あ、ありがとう……」
欲しかったというより、懐かしかった。どう言おうか迷っていると、甘い匂いに誘われてニナの体が空腹を訴え始めた。
(欲しくなっちゃった……)
「食べたかったから、うれしい。ヒューシュフルツで、カリーナともよく食べたの」
「それはよかった」
ニナはそろそろと揚げ菓子を小さくかじった。さくさくした生地なので、かぶりつくと食べかすが散ってしまうのだ。
ジークハルトは、自分の分を三分の一ほど一口で食べてしまう。口の周りが食べかすで汚れたのを、手の甲で拭う。繊細な見た目と違って豪快な食べ方で、ニナは思わず見入ってしまった。
「何か?」
ニナの視線に気づいたらしいジークハルトに問われて、ニナは慌てて話題を探す。
「この街も、その、黒い霧と魔獣の影響があるのよね」
「そうですね。少しずつ広がって、今ではあちこちで出るようになりました。それが、何か?」
「聖モントローズ王国とは全然違うから」
「聖モントローズ王国では、五年前から同様の事象が発生していたのですよね」
ニナは頷く。そう聞いている。
「私が実際に、聖女として働き始めたのは三年目からだから、来年にはこの国も聖モントローズ王国みたいになるのかなって思ったんだけど……。全然想像できない」
ここまで活気があふれる街が、一年で疲弊してしまうことなんて想像できなかった。
「もちろん、国として対策は進めていますが……ただ、聖モントローズ王国がどのような状況だったのか、わからないので単純な比較はできませんが」
「あの国は、もっと疲れ切ってた。暗くて、露店はあったけど、こんな風にお菓子を売る余裕はなかった。畑も牛も羊もどんどん駄目になって……餓死するような人はまだいなかったけど、あと数年続けばそうなっていたかもって」
「そこまでひどい状況でしたか? 国としてある程度備蓄を持ったりするものですが」
「内陸国で小さい国だから農地に避ける国土も少ない。農業も限りがあるって。幸い、周りに山が多いから、雨雲や雪雲はそこで止められるから、天気が安定しているのがよかったらしい」
ニナは改めて、聖モントローズ王国のことを思い出す。
疲れ切って、日々を楽しむ余裕のない人々。疲弊しつくして、助けてくれるものにも懐疑的になる。そんな視線の中に、ニナは晒され続けていた。
「聖モントローズ王国は閉鎖的で、あまり外と交流を持たない国なんです。かといって、まるでないわけではない。国が危機にあるのなら、外に助けを求めてもいいはず。敵対関係にあるわけではないのだから、我々とて、手を差し出さないことなんてない」
ジークハルトの言葉は、ニナに説明するものから、次第にぶつぶつとした独り言へと変わっていく。
「少し、聖モントローズ王国の状況を詳しく調べてみましょう」
ニナはこくりと頷いた。去ったからと言って、知らない国ではないのだ。
黒い霧の魔獣について、嘘を言われていた事実もある。ニナはあの国が、何か隠しているような気がしてならなかった。
「さて、真面目な話はこの辺りにしましょう。楽しい時間を過ごすために来たのですから」
ジークハルトは、ニナを覗き込みながら言う。
「どこか行きたい所は? 欲しいものは? ニナの好きなものを教えてください」
「多すぎて、だんだんわからなくなってきちゃった」
綺麗なもの。美味しいもの。素敵なもの。
この王都には、何もかもがそろっているのはよくわかった。
ニナが何より引き付けられたのは、目移りするほどの物ではなかった。活気あふれる街や笑顔で走る子供達。気前のいい店主に親切な女将。この街に、この国に受け入れられたら、どれほど幸せだろう。
ジークハルトが見せてくれた景色だ。
ニナは半歩先を歩くジークハルトを見つめた。
思い返せば、ニナはジークハルトのことをほとんど知らないままだった。公爵家令息という立場があることぐらいで、家族のことも友人のことも、好きなものも嫌いなものもほとんど何も。
(ジークのことを、知りたい。もっともっと知りたい)
ニナはその気持ちがどんどん湧き上がってくるのを感じた。
ニナをここに連れてきてくれた人。素敵なものがあると教えてくれた人。
それから、ニナを信じてくれた人。寄り添ってくれた人。
「ジークの好きなものを、教えて」




