22聖女の凱旋
ニナ達が王宮に戻ってこれたのは、結局六日後のことだった。
ベッカー村にこれ以上の魔獣が出ないことを確認し、王都に戻る準備をしている時、王宮から連絡が届いた。
知らせを足に括り付けてやって来た鳥は、透明な体に渦巻く風を宿していた。ヨハンの風魔法なのだそうだ。
曰く──滞在している街から北側に半日進んだ場所にある湖畔の町に、黒い霧の魔獣が出たのだと言う。
ニナ達は急遽予定を変更して、再び魔獣の討伐にあたり、王都へと戻って来たのだった。
「ニナ様、お疲れでしょう」
そう声をかけてきたのは、ジークハルトではない別の騎士だった。
彼は、見た目こそ大柄で強面だが、可愛い小動物が好きなのだと旅の間にニナは知った。
「ううん。大丈夫。私は馬車に座ってただけだし」
「ニナ様は逞しい。あれだけの聖魔法を使って、『座っていただけ』とは」
別の騎士が話題に入る。
彼には、東の地方に家族がいる。子供が二人いて、どちらも女の子で可愛いのだけれど時々肩身が狭くなると言っていた。
「私からすれば、ずっと馬に乗って剣で戦う皆のほうがよっぽど逞しいんだけど……」
「なら、お互い様ですね」
予想以上に長くかかった遠征だが、悪いことばかりではなかった。
騎士達との距離は近くなり、こうして雑談をできるようになった。騎士達のことを知って、ニナのことを知ってもらうにつれて、ニナは自分が受け入れられたのだという実感を得た。
馬車は王都に入り、郊外を抜けて中心地へ向かう。城壁が迫ってくると、そこは市民達が暮らす一番の繁華街だった。
大通りを進んでいく途中、ニナは違和感に気づいた。
なにやらちらちらと街の人たちが馬車へ視線を送っているのだ。
カーテンを半開きにして、見るともなしに外の景色を見ていたニナは、何かあったのかと思い、カーテンを全開にした。
その時だった。予想もしない声が、ニナの耳に飛び込んできた。
「あ! やっぱり!」
騎士が率いる馬車に乗る女の姿を認めた市民が、めいめい指さしながら声を上げた。
「聖女様!」
「へ?」
「聖女様だ! 王都にお戻りだ!」
声は声を呼び寄せる。店に商品を陳列していた婦人は手を止め、飲食店からはフライパンを片手に下げたままの男が出てきた。往来を急ぎ足で歩いていたはずの人は、足を止めて馬車の方を眺めていた。
「えぇぇ──!」
その視線はいずれも、ニナへと向かっている。
「何で? どうして?」
ニナはあまりの出来事に腰が抜けるほど驚いてしまった。座面から滑り落ち、馬車の床に無様に尻もちをついたのだった。
「ジーク!」
ニナは叫んだ。その叫びも、聖女を呼ぶ民衆の声にかき消され駆けてしまう。
「ジーク! ジークってば!」
だが、ニナが信頼する騎士は、きちんとニナの声を拾い上げた。馬を寄せ、窓から中を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、ニナ」
「どうして? どういうこと?」
「ベッカー村の取引先はここ王都アルブレヒトですから」
ジークハルトに驚いた様子はなかった。
「村人から話が伝わったのでしょう。原因不明、対処不能の魔獣についての被害は長く続いているので、聖女が現れたのなら、市民は喜びますね」
いかにも、当然な風に言われる。
「笑顔で手を振って差し上げればいかがですか?」
「無理! 絶対無理!」
笑い含みの声に、ニナは首を何度も横に振った。
(そんな、いかにも聖女らしいこと、できるはずがない!)
聖女としての成果を取り上げられ続けたニナである。手放しでの賞賛に、どう応えたらいいかなんて、わからない。
「われらの聖女様は、恥ずかしがり屋だ」
強面の騎士が言う。どっと笑う声が聞こえた。
あまりにも恥ずかしい。ニナは顔を真っ赤にしたままカーテンの裾を握って、そのまま馬車の床に蹲るしかなかった。
ともかく、ニナにとって拷問のような時間は、城壁を潜ればひとまず収まった。貴族や富裕層の居住地域になるため、市民の声は届きにくいのだ。
聖女を呼ぶ声が聞こえなくなり、ニナはそろそろと窓から顔を出した。
「わ……!」
目の前に広がった光景に、ニナは声を上げる。
くすんだ灰色の石畳は、この道が作られてから長いのだということがわかる。
古いながらも石畳は崩れている所がない。丁寧に整備されているのだ。
広い通りの両側には、鈍色の柵で区切られた区画がいくつも並んでいる。その中に、広々とした屋敷と庭がある。建物はいずれも二階建て程度で見通しが良い。
いずれの庭も趣向を凝らし、手入れされていた。
ある庭は、蔓薔薇を巻き付けたアーチや大きな日傘の下にテーブルや椅子を置いている。
あの場所で、家族がお茶を飲む姿が想像できた。
別の庭には、生垣の迷路が出来ていた。子供があそこを駆け回るのは楽しいだろう。
そして、ニナ達が進む大きく長く、そして古い通りは王宮へと続いている。
国民へと地続きになりながらも、華美なものに頼らなず、無駄を削ぎ落した佇まいは、まさしくこの国の姿勢を示しているように感じられた。
ニナは馬車の窓から身を乗り出して、城壁を振り返った。門の向こうにある街は、静かで整然とした旧市街地とはまるで違う。ごちゃごちゃしていて、にぎやかで、なんて──。
(楽しそう……)
初めてこの城壁を潜った時、ニナは馬車の中で縮こまっているばかりだった。
(こんなに、凄いなんて……)
見惚れて言葉にならないニナに、ジークハルトが囁く。
「外に出てみたいですか?」
「うん……」
ニナは頷いた。
ジークハルトの問いが、初めてこの王都に来た時と同じものであることに、気づきもしないで。
「では、行きましょうか」
「え?」
「馬車を止めて!」
号令に従い、馬車が止まる。慌てるニナの目の端で、ジークハルトが鎧を外すのが見えた。
外したものを傍からフリッツが受け取って荷馬車の中に片づけていく。
「でも、王宮に行くんじゃ……」
ニナは、ようやく状況を察して慌てた。
ジークハルトは騎士の制服から袖を抜きながら荷馬車に足をかけた。男性の着替えを目の当たりにして、ニナはひゃっと短く悲鳴を上げて馬車の中に引っ込んだ。
「少しくらい構わないでしょう」
声が近くから聞こえる。
恐る恐る窓から顔を出したニナの前には、軽装に着替えたジークハルトが立っていた。素晴らしく早着替えである。
「隊長、ニナ様とデートですか」
「いいですねぇ」
「どうぞ楽しんで」
「護衛は必要ですよね? 俺も一緒に行って構いませんか」
騎士達の冷やかしに、ジークハルトは余裕の笑みで応えた
「野暮なことを。護衛は私一人いれば十分でしょう。──先ぶれをお願いします」
ジークハルトはフリッツから護身用らしき短剣を受け取り、懐に仕舞いながら言う。
「ニナと街をまわって、昼過ぎに到着するようにします」
「承知しました」
「本当に? このまま街に行くの?」
驚きと嬉しいのが半分半分のニナに、にやりとした笑みをよこしたのはフリッツだった。
「ニナがこの街を、この国を気に入ってくれると、嬉しい」
「ニナが行きたいというのなら、止める理由はないんです」
馬車の扉が開く。目の前に手が差し出されて、ニナはおっかなびっくりその手を取った。
「行きましょう!」
「うわぁ!」
ぐん、とそのまま手を引かれる。
浮くような感覚に、ニナは声を上げた。




