23 勇者、液体を生む
「オグ、そいつともう一匹だ!」
俺たちは水没遺跡を出て、来た道を戻っている最中だ。
ググリ町の近くを通った時、昨日のグリーンオークの残党と出くわしてしまった。一匹だけだと思っていたが、もう一匹も少し離れた場所を歩いている。
止めるよりも先に、オグは鬱憤を晴らすように、自分からオークへ向かって走っていく。
タン タタン
巨大なオークの腕を駆け上がり、一気に頭まで跳躍する。
「なんで俺がじゃんけんで負けるんだよぉ!」
相変わらず情けない悲鳴を上げている。だが、やっていることはまったく情けなくない。
勢いの乗った動作で、オークの首を躊躇なく捻る。嫌な音がして、首が弾けた。
「……一発かよ……。オークが、一発」
シアンが少し驚いた声で呟く。
意外なことだが、確かに怒ったオグは強い。普段の情けなさが際立っているだけで。
先ほども教えてもらった『じゃんけん』という勝負で、誰が石を持つかを決めた。一戦で決まったのに、オグはとても不服そうだ。
もう一匹のオークが怒りに叫び、突進してくる。
フグァアアアアア!
俺は愛剣を真横に振る。
低い風切り音とともに、オークの太腿に細い線が走る。シアンは背後からナイフを両脇に挿し、すぐに飛び退く。
「俺がじゃんけんを教えたのにぃぃぃぃぃ!」
オグの叫び声がした、その瞬間。
木の枝にぶら下がったオグが体を揺らし、そのままオークへ飛びつく。勢いのまま、肘を頭部に叩き込む。
俺はその隙に、剣をオークの腹へ突き刺す。
ドォォォォン
大きな音を立てて、モンスターが倒れる。
「いっ……てぇ、尻……が……」
スライム装備で尻は守られているとはいえ、姿勢の負担による痛みまでは防げない。
「ユーイ、顔、青いぞ」
少し笑っているシアンを睨む。
二匹のオークはほぼ瞬殺だった。もちろん俺とシアンの援護もあるが、ほとんどは勇者一人の働きだ。
――なんで、こんな動きができて元の世界で喧嘩に負けたんだ? 人間は皆、強いのか?
「あれ、ねぇ、ユーイ。これってオークだよね?」
「ああ。オークだ」
「ふふ、……ふふふふふ。オーク脂が手に入った!」
相変わらず切り替えの早いオグは、もう嬉しそうに倒れたオークの腹を触っている。
「これ、脂だよね!? 豚バラと同じ感じかな!?」
「……ぅえ」
さすがに二足歩行するモンスターは、正直食べたくない。というか、食べないだろ、普通は。
だがオグは嬉しそうに腹を撫で回し、タプタプと音を鳴らして揺らしている。
「ねぇ、シアン! これ、捌いてよ!」
「今かぁ? 王都に急ぐんじゃねぇのかよ?」
「いや、あの石を冷凍庫に入れてから、なんかもうどうでもよくなって」
「どうでもいいのかよ!?」
あんなに騒いでいたのに。
俺の怒声に、オグは首を竦める。
「なんで怒鳴られてるのか分からない。ちょっと不満だよ、この関係」
「俺は猛烈に不満だ」
シアンはそんな俺たちを無視して、オークの体を道端へ引っ張っていく。
「おめぇ、まさかマジでこんなん食うつもりかよ? つうか、重ぇぞ、こいつ。おめぇも手伝え」
「ユーイ、おねがい! もちろん、食べる! あと、脂はできるだけ綺麗に取ってくれない?」
「なんでそんなに脂にこだわるんだ?」
嫌々シアンの横に行ってオークの巨体を引きずり始める。
俺の質問に、オグがきらきらした目でこちらを見る。
「おい、その表情やめろよ」
「石鹸を作る」
――やっぱり得体の知れない発明かぁぁぁ!
『せっけん』がどういう物なのか、聞くのが怖い。
オグはせっせと火を起こし、鍋を出して準備を整えると、シアンの手元を覗き込んでいる。シアンは服の上から追加のスライムエプロンを着けていた。相当気に入っているらしい。
「何度か作ったから、大まかな作り方は覚えているし。オークは猪みたいってことは、豚でもあるよね。たしか高級石鹸になるはず」
ぶつぶつと、どうでもいい事を呟いている。シアンは脂を切り出しながら山のように積み上げていく。
「肉が混じってるのは嫌なんだよな?」
「うん、脂だけ欲しい。豚ってたしか背中が一番脂が多いんだけど、オークは腹か横なんだね。二足歩行してるからかな?」
「知らん」
だが自分の中で納得したのか、オグは感心したように何度も頷いていた。
俺は、彼がさっきから言っている『ブタ』という生物も分からない。オグは多分、それに全く気づいていない。
「ユーイ、そのへんの草、採ってきて」
「草? なんでもいいのか?」
「うん。なるべく渋そうなので」
「へ?」
俺が山菜や草を採っている間、オグはシアンから渡された脂を火にかけ、ゆっくりと溶かし始めている。
俺の採ってきた草を満足そうに眺めると、こともあろうに、それを火にくべた。
「え、ちょっ、お前、せっかく採ってきたのに、なんで燃やすんだよ!?」
「灰汁液作るから」
「灰汁液?」
そこからは、なんだか色々と手伝わされた。草を燃やした灰を水に浸したり、その上澄みを取ったり。
「はい、ユーイ。混ぜて、混ぜて! ゆっくりグルグルして」
鍋の中の溶けたオーク脂を混ぜていると、オグはその上澄み液をゆっくりと注いでくる。ずっと混ぜていろと言われ、なぜか延々と続くグルグルタイム。尾てい骨に響かない作業なので、俺は大人しく手伝うことにする。
それが終わると、薄いスライム布で内側を覆った小さな器に、次々とその液体を流し込んでいく。
「……うぇ。それ、俺は絶対に飲まないぞ」
「大丈夫、大丈夫。俺もさすがにこれは飲まないよ! これは固まったら石鹸になるからね。多分、ユーイもすごく喜ぶものだ」
オグの言う『多分』ほど、不安を煽る言葉はない。
「とりあえず、これはここに置いておこう」
無数の小さな容器に鍋の中身を流し入れると、オグはそれを一つ一つ丁寧に焚き火の周りに並べていく。
「……あ。どうせだったら、ギィのプレゼントも何か実験してみたいよね」
――あぁぁぁぁあ、そんな恐ろしいことをさらっと言うんじゃねぇ!
「よぉ、ユーイ。ギィのプレゼント、どうすりゃいいと思う?」
シアンが少し離れた場所から聞いてくる。人の苦悩を楽しむような、ねじ曲がった笑みを浮かべている。
「なんで俺に聞くんだよ……。火に強いんだろ? お湯で煮てみれば?」
「それだ!」
――だからなんでそんなに嬉しそうに素材開発するんだよ。それ、マジで勇者の仕事じゃねぇだろ
俺の思いも虚しく、オグはせっせと水を入れた鍋に、今度はギィの白玉を放り込んでいる。本当に楽しそうに実験をしている。
そして、一刻後。
「ちょっと、ユーイ! 全然変化ないじゃんか!」
そんなことを怒鳴られても困る。俺も適当に言っただけだし。
「一回砕いてみればいいんじゃねぇのか?」
シアンも適当にあしらっている。だができれば『砕く』という選択肢はやめてほしい。
「はい、ユーイ」
当然のような顔で、俺に椀と棒を押しつけてくるオグ。
「自分でやれよ」
「……ユーイ、そのスライムおしめみたいな発明、もっと作ってほしいんじゃない?」
「おい、勇者が恐喝するんじゃない」
シアンは向こうで爆笑している。
仕方なく、俺は腕を伸ばし、椀と棒を嫌々受け取る。
シアンが笑うのは分かるが、ギィにまで馬鹿にするような目で見られるのは納得いかない。俺はその小さなモンスターを睨みつけながら固い粒を擦りおろそうとする。
ゴォォォリ ゴォォォォリ ゴォォォォリ
根気よく擦っても、ほとんど変化はない。ギィの吐しゃ玉はなんでここまで固いんだ。
ゴォォォォリ
「おい。そういえば王都の前に村の近くを通るが、寄ってみたいか? 飛ばすか?」
前回のググリ町の一件もあり、無理強いはしたくない。さすがに俺もあの町民の反応は嫌な気分になった。
オグは花の匂いを嗅いだり、液体をせっけんの型に垂らし込んだりしている。ギィはその足元で毛づくろい中だ。もう真っ黒で、気持ち悪いほどぬるついている。
「んー……、寄る」
「いいのか?」
思わず声を潜める。それでもオグは首を振る。
「やっぱ、スープは飲みたい」
――そこかよ!
「マジでブレねぇな」
シアンも呆れながら手を拭き、こちらへ来る。どうやら解体は終わったらしい。
「ここだったら、ルーン村か?」
シアンの質問に頷く。
「おう。よく知ってるな」
「あそこってよぉ……」
「へぇ。さすがに詳しいな」
「いいのかよ? 絶対『行く』って言うぞ」
「ああ、言うだろうな」
「ねぇ、『あれ』って何なの!?」
ついに痺れを切らしたオグが詰め寄る。
「何って決まってるだろ」
「絶対おめぇが行きてぇって言う、」
オグは頷きながらシアンの言葉に食いついている。
「ダンジョン村」
「行く!」
鼻の穴を広げ、目をひん剥き、間髪入れずに叫ぶ。
「ぁあああ! でもちょっと待って! 石鹸って乾燥しなきゃいけないから! 乾燥してからすぐ行こう!」
「あ? どれくらいだ?」
一刻か、二刻か。だがどうせ今夜の野営後に出発だろう。
「数週間!」
「そんなに待てるかぁぁぁああ!」




