22 三歳児の押し付け合い
「うわっ!?」
オグが反射的に後ろへ飛び退く。
ギィはあいかわらず叫びながら四つん這いで地面を這い、虫みたいな動きで距離を取る。尻尾をぴんと立てたまま、明らかに石を警戒している。俺たちよりもずっと離れた場所に移動してからやっと静かになる。
「……おい、今の、何だ?」
シアンの声が低い。しゃがんだまま、いつでも逃げられる体勢になっているのはさすがである。
「分かんない。分かんないけど、見なかったことにしない?」
オグの欲望が丸分かりの即答だ。
そしてその案に全力で乗りたい自分がいる。
地面に置かれた石は、どこにでも転がっていそうなただの石ころに見える。黒っぽい表面。さっきまで石の奥で光っていた光も、刻まれていた模様も、今は何も見えない。
最初から、何もなかったみたいに。
だがギィは光っていた時よりも露骨に距離を取っている。
水面は静まり返っている。あれだけ暴れていたヒルも、一匹も見えない。
風もない。
遺跡の周りだけが、不自然に静かだ。
「さすがに見なかったことにはできない」
「じゃあ、水に捨てていく?」
オグがすぐに次の案を出してくる。顔に大きく「関わりたくない」と書いてある。
「ダメだ」
自分でも驚くくらいの即答だ。オグとシアンは露骨に嫌そうな顔でこちらを睨んでいる。
「だって、絶対誰かが拾ってしまうだろ」
オグが顔をしかめる。
「じゃあ、埋めればいいじゃん」
「掘り返されたら意味がない」
「遺跡に戻す!」
「さっきなんか発動していたからダメだ」
「えぇぇ……」
オグの声が次第に弱くなってくる。
「じゃあ、どうすんだよ……」
ぼやきながら、オグは足元の枯葉を一枚ずつ拾い、さりげなく石にそっと被せていく。
遊んでいるわけではない。本人は真剣だ。
「おい、それで隠したつもりか」
「見えなければ上手くいけば忘れたり……」
「俺はボケるほど年取ってない」
俺は呆れた顔で目の前の勇者を見る。
シアンが肩を震わせている。
「だって、やっぱり、呪いは嫌だ……」
オグは半泣きで石を指差す。
「絶対に、持ちたくないんだけど。人生でこんなにヤバいもの、初めて」
「奇遇だな。俺もだ」
「じゃあ、なんで俺に持たせようとするんだ!?」
「おめぇは不気味な赤ちゃんも大丈夫だったからよ、これくらい簡単だろうが」
「ああ、確かにギィも凄く不気味だな」
シアンの言葉に頷くと、俺はギィに軽く睨まれる。気のせいか、シアンにはそんな態度を取らないのに、俺にはやたらと気が強い。
シアンがにやりと笑う。
嫌な顔だ。ろくでもないことを言い出す時の顔である。
「んで、ユーイ。結局オレたちの誰かがこれを持ってくしかねぇんだろ?」
「ああ」
「で、どっちが持つの?」
オグがしれっと質問してくる。
「お前だ」
「おめぇだろ」
シアンと声が綺麗に重なる。
「なんでぇ!?」
オグの情けない悲鳴に、俺は憮然と返す。
「さっきまで持ってただろうが」
「その時は知らなかったじゃんか! 今は知っちゃってるじゃん! 怖いだろ!」
「でも持ってただろ。手遅れだ」
「そんな理不尽ある!?」
「もし呪いがあるなら、もうかかっている可能性は高い」
「やめろ! そういうこと言うなよ!」
オグが悲鳴を上げて頭を抱える。
その様子を見て、我慢しきれなかったシアンが吹き出す。
「安心しろって。強ぇ呪いなら今日で終わりだっつーの」
「何一つ安心できないよ!」
シアンの笑い声にオグが怒鳴り返している。
「で、ユーイ。これ、どこに持ってくんだ?」
シアンが面白そうに聞いてくる。
俺は長い溜息を吐いて顎をさする。
「一度王都に戻って報告だろうな。その後は鑑定になるはずだ」
「鑑定ぃ?」
シアンが露骨に顔をしかめる。
「面倒くせぇな。堅っ苦しぃのは苦手なんだよ」
「王都かぁ……」
オグまで同じ表情をする。
「シアンはともかく、なんでお前まで嫌がる」
「だって、行くと絶対言われるんだよ」
「何をだ」
オグは顔をしかめたまま呟く。
「もっと『勇者』らしくしろって」
少しだけ、言葉に詰まる。前日のあの会話を思い出し、何も言えなくなる。
ギィがいつの間にか足元まで来ていて、カリッ、と俺の足を引っ掻く。
「……なぜ俺はこれに慰められているんだ」
ギィは小さく鳴くと背を向ける。
言葉のみらず、人間の心理まで理解しているのか、このモンスターは。
だが、そんなギィが石の位置を大きく避けてオグの方へ戻っていくのを見て、やはりただの石ではないと実感する。
不気味な存在があまりにも不気味な存在を避けている。
不穏すぎるだろ。
「……よし。分かった。王都に戻ろう」
オグは一度だけ深く頷くと、ギィを掴んで肩の上に放り上げる。不意を突かれたギィはもう少しで彼の肩を通りすぎて飛んでいくところだ。
「なんだ、いやにあっさり決めたじゃねぇか」
シアンが片眉を上げる。それにオグは口をきつく結んだ表情で顔を上げる。
「だって他に選択肢ないじゃん。それに俺、まだ王都をまともに歩いたことないんだよね」
「行きたい場所でもあるのか?」
俺の質問に、オグは物凄く嬉しそうな表情をする。
「ある! 肉が美味い店!」
「ブレないな」
「あと、なんでもいいけど、めちゃくちゃ並んでる店!」
「余計範囲が広がったな」
俺たちのやり取りにシアンが吹き出す。
「いいじゃねぇか。王都、オレも久し振りだしよぉ。確かに買いもんはしてぇな」
そのまま視線がこちらに流れてくる。
「ユーイ、おめぇは? 王都になんかねぇのかよ」
「ある」
「即答じゃねぇか」
「愛犬のマヌフェイスに会いたい」
一瞬、間が空く。
「犬派か」
「人間の友だ」
「猫の方が可愛いだろ」
シアンが鼻にしわを寄せる。
猫好きというよりも、シアン自体が猫みたいだとは言わない方がいいのだろう。
「まぁ、いいや。んじゃ、暗くなる前に出ちまうか」
「賛成」
「え、なんで?」
オグが一人だけ、首をひねる。
状況を読むのがここまで下手な勇者で、いいのか。
本当に、いいのか。
「オグはまたヒルとやり合いたいのか?」
「絶対にイヤだ。今すぐ行こう」
あいかわらず切り替えが早い。
俺たちは立ち上がる。
そして、三人同時に足元を見る。
石は転がったままだ。
「……で、これは?」
誰も動かない。
一瞬の沈黙。
「どうやって運ぶ?」
「決まっているだろう。手で持つ」
「俺はやだよ」
オグは再び即答だ。間髪入れず、食い気味に、全力拒否。
「ダメだ」
「『ダメだ』じゃないって! なんでそんな無慈悲に言えるの!? さっきの見ただろ!? 絶対触っちゃいけないやつじゃん、あれ!」
「だからだ。禍級をそのまま放置する方が色々と問題だろう」
「じゃ、ユーイが持てばいいじゃん!
「俺は騎士だ」
胸を張ってそういうとオグが俺の顔を指差す。
「今、関係ある!?」
オグが目を剥いている。どうでもいいが、人を指差すな。
シアンは隣で腹を抱えて爆笑している。
「いや、むしろ関係ありすぎるだろ。勇者が持つ方が格好いいじゃないか」
「俺は別にカッコよくなくっていい!」
「そこは黙っていいって言え」
「だったら俺じゃなくってユーイが持てばいいじゃん!」
「格好いい男だと女がきゃあきゃあ言うぞ」
オグの鼻の穴が面白いほど広がる。
――よし、女路線だな!
「呪いだと分かりゃ、きゃあきゃあじゃなくてぎゃあぎゃあだろうけどな」
オグの少しうれしそうな表情がすぐにしぼむ。俺はシアンを睨むが、本人はどこ吹く風で爆笑している。
シアンは俺と視線が合うと、少し咳ばらいをして、神妙な表情をする。だが目元はまだ笑っている。
「触らずに運べば問題ねぇんだろ?」
「そう!」
オグが食いつく。
「スライム袋とかに突っ込むのはどうだ?」
俺がそう言うとシアンは頭を振る。
「袋ごと呪われそうじゃねぇか」
「じゃあ、ポケットに入れる!」
「誰のポケットなんだ?」
「……」
一瞬で詰む。
シアンが吹き出す。
「その顔、最高」
「シアンも笑ってないで考えろって!」
「考えてるって。ほらよ、これでも使いやがれ」
シアンは枝を二本拾い、オグの手に無理やり握らせる。
「あんなうっすいスライム刺身を挟んでいたじゃねぇか。石くらい、いけるだろ」
「えぇぇぇ!? いや、無理! 重すぎて落ちるって!」
「じゃ、落とすんじゃねぇよ」
「そういうシアンがやってみろって!」
枝を持たされたまま、オグの腕がぷるぷると震える。絶対に触れないという強い意志を感じる腰が思いきり引けた距離だ。
「おめぇしかその『箸』とやらは使えねぇって」
明らかに近づきたくないのに、シアンにじりじりと石の方へ押し出されていく。彼は、俺よりも容赦ない。
「ほら、シアンもそう言っているんだ。諦めろ」
「行かない!」
「格好いい勇者なんだろ?」
「こういう時だけ勇者扱いするな!」
「持てって」
「やだ!」
「持て」
「いやだぁ!」
完全に三歳児レベルの押し問答である。
シアンは腹を抱えて笑い転げている。
「あははははははは! ……おめぇら、マジでいいコンビだぞ!」
「どこがだ!?」
俺とオグの抗議がぴったりと重なる。
オグが勢いよく怒鳴った拍子に、枝の一本が手から飛んでいく。
「あ」
全員の視線がその枝を追う。
カ ラン
乾いた音を立て、枝が離れた地面に落ちる。
「……やっぱり箸は無理だって」
オグが呟く。
「他の案はないのか」
「だから、ユーイが持てばいいんだってば!」
「だから俺は騎士だ。無理」
「それ、理由になってないだろぉぉぉ!」
しばらくの沈黙。
誰も動かない。あいかわらず、その石だけがその存在を主張している。
「……で、結局どうすりゃいいんだよ」
「決まっているだろう」
俺はシアンの言葉に溜息を吐く。
「オグが持つ」
「やだ!」
「持て」
「やだぁ!」
そのくだらない言い合いは、オグの冷凍庫に石を突っ込むということで決着がついた。一時間後の話である。




