20 だから触るなって言っただろ!
ギギギギ……
軋んだ嫌な音を立て、扉が開いていく。
ギィはオグの頭の上へ駆け上がると、小さな口を開け、ギシャァッと咆哮する。
「何!? 何かいるの!?」
「いや、今のは絶対に『開けんな』だろ!」
「もう遅ぇよ!」
俺とシアンが同時に叫ぶ。
石と石が擦れる嫌な音を立てながら、扉がゆっくりと開いていく。扉の上に積もっていた砂埃が、ぱらぱらと落ち。
剣を構えた俺の背中に、オグがへばりつく。
「離れろ! 動けないだろ!」
「嫌だ!」
「ぎゃははは! 開けた本人が一番びびってんじゃねぇか!」
シアンは爆笑しているが、今は笑っている場合じゃないだろ。
隙間から流れ出た空気は、鳥肌が立つほど冷たく、甘ったるい。
部屋の天井は俺の身長よりも低く、向こう側の壁が見えないほど広い。遺跡の外にあったような柱が崩れ、破片が床に積もっている。そして、足首ほどの深さの浸水。
蠢くものはない。
「なんか、いかにもいそうな――――」
ピチャン
闇の奥で、何かが水中へ落ちる。
続けて、別の場所でも。
ピチャン ピチャ……ン
突然、音数が増え始める。
ピチャン ピチャンピチャピチャピチャッ
大量の何かが、水へ飛び込んでいる。
「げぇ……」
オグが呟き、静かになる。
「おい、何故黙る」
「いや、だって、これ。絶対に、いかにも……じゃん」
「今、このタイミングでそういうこと言うな」
俺が囁き返した瞬間、水中を高速で滑ってくるものが見える。
「下がれ!」
反射で叫び、オグを後ろへ突き飛ばす。シアンは舌打ちしながら、オグと反対側へ飛び退く。
水面を割り、真っ赤にぬめる細長い影が飛び出す。
「……っ!」
蛇ではない。だが目も脚もなく、細長い胴体をくねらせながら水面を滑る。先端の口だけが、不自然に大きい。
巨大な口が、丸く開く。内側には尖った歯が何層にも並び、その中心には真っ黒な空洞。
その黒い空洞の奥が、俺たちの匂いを吸い込むように、うねうねと収縮する。
「うげぇ、ヒル!? バカでっかいヒルの大群!」
オグが俺の背中にもっと強くしがみついて絶叫する。
「だから離れろって言ってるだろ!」
「嫌だ! あれは無理! 一度噛みつかれたら全身の血を吸い抜かれそうじゃん!」
オグの返しに、短剣を構えながら笑っているシアンへも、数匹が水面を割って飛び掛かる。
「笑ってる場合じゃないだろ!」
俺は剣を振る。
ブォォォンン!
重い風切り音と、ヌチャッと嫌な手応え。切断された赤い胴体が、水面をくねり回る。
ビチャビチャビチャビチャ
「げぇ!? 増えてない!?」
「斬ると寄ってくるのか!?」
「匂いだ!」
シアンが叫ぶ。
水面で真っ赤な胴体をくねらせ、数百匹が俺たちへと迫ってくる。跳ねた一匹が、俺の腕に飛びつく。
「うぉっ、飛んだ!」
ギィも毛を逆立ててびびっている。
吸いついたヒルから、ぺキュッと音がする。剣で引き剥がそうとするが、しっかりと吸い付いている。
「剥がれねぇ!」
「ユーイ、無理に取らない方がいい! 口が残ったら炎症する!」
「なんで知ってるんだよ!?」
「普通のヒルはそうだから!」
「だからなんで嫌がってるくせにそんな珍知識だけ豊富なんだよ、お前は!」
「山サバイバル常識! でも俺は見た目がキモいのは生理的に拒否する!」
「生理的嫌悪はサバイバル心でさっさと克服しろ! ギィ、ゲップ!」
強制的なゲップを要求され、ギィは絶望の表情で俺を睨む。
それを無視し、俺はそのちっちゃな口の前に腕を突き付けた。
グゥゥウェエエ
ギィの無理矢理出した黒い炎のゲップで、ヒルがスライムのように縮む。強烈に吸い付いていた口が外れ、枝のように長細く干からびたヒルが落ちる。
猛烈な熱が腕を舐める。
「あっちぃぃぃいい!」
俺は腕を水面に沈めて冷やす。横に少しよろけたせいで、砕けた柱の一つにぶつかる。
「シアン、今、斬れ!」
シアンはギィの黒い炎を避けながら、ヒルを斬りつける。小さな黒炎と、周りに浮かぶヒルの萎れた体が、辺りを地獄絵図へと変えていく。
ボッチャン
部屋のずっと奥の方からだ。
今までのヒルよりも、ずっと重い音。
水面が、ゆっくりと盛り上がっていく。
まず鼻を殴ったのはあの甘ったるい臭い。
巨大なヒルの頭が水面を滑り、俺たちを見る。真っ赤にぬめる表面は脈打つように波打ち、そして巨大な円形の口が開く。
「うぎゃぁぁあああ! 大きすぎ!」
それこそ大きすぎるオグの悲鳴に顔を顰め、彼に怒鳴る。
「静かにしろ! 集まってくるだろうが!」
「もう全員集合しちゃってるって!」
オグは泣きそうな表情で、俺の腰袋を漁り出す。
「お前は何をしているんだ⁉」
「もう嫌だ! 虫もデカヒルも、気持ち悪いものなんか嫌い!」
オグは目の前の巨大なヒルに向かって、手にしていたスライム布を投げ広げる。そして俺の火道具の小石を一つ取り出し、激しく擦る。
チリチリッ ゴォォォオオオオオ!
着いた小さな火種が、すぐにスライム布へと燃え移る。巻き付いていたヒルまで一気に燃え上がり、赤黒い肉がのたうつ。
キィィィィィッ!
耳をつんざく甲高い悲鳴を上げ、巨大ヒルが頭を振り回す。
「こんなラスボスなんか大っ嫌いだぁぁぁ!」
止める間もない。
オグは俺の腕を駆け上がると、そのまま横倒しになった崩れ柱を蹴って跳んだ。
まっすぐ、燃え盛る巨大ヒルへ。
「オグ!」
スピードと体重の乗った片膝が、ヒルの頭部へ叩き込まれる。
ヒルの頭へ手をつき、反動でくるりと身を翻す。
「おめぇ、火傷――――!」
シアンの焦った声で、オグの手を見る。
あのダサい粒々の防火手袋をちゃっかり装着している。
火を撒き散らし、オグは燃え広がる水面の上を駆ける。
別の柱を蹴り、巨大ヒルの頭部へ踵を叩き落とす。
巨体が大きく仰け反る。
「ユーイ!」
「おう!」
シアンが渾身の蹴りを、ひび割れた柱へ叩き込む。
俺も狙いを合わせ、勢いよく足を振り上げる。
ドゴン!
遺跡全体が揺れ、柱が折れる。
一部の支えを失った天井が軋み、巨大な石が巨大ヒルへと崩れ落ちる。
轟音と水飛沫。
スライム布の火が消え、真っ黒な燃えカスと砕けた小石がぱらぱらと雨のように降り注ぐ。
石の下で押し潰されている真っ赤な巨体は、痙攣し、それでも這い出そうとしている。
オグがそれを踏みつける。
「くどい!」
柱から折れ落ちた長い石棒を、躊躇なく巨大ヒルの頭へ突き立てた。胴体がビクンッと大きく跳ね、水底へ沈む。
静寂が落ちる。
小型ヒルの大半はさっきの炎で焼き尽くされ、残った数匹も暗い奥へ逃げていく。
最初に口を開いたのは、オグだ。
「……おぇ」
「勝利の第一声がそれかよ」
俺は呆れて、強いのか弱いのか分からない勇者を見上げる。
オグは本気で気持ち悪そうな表情で、ヒルの上から飛び降りる。
「これも食うのか?」
シアンの問いに、オグは全力で首を横に振る。
「これは無理! 見た目も匂いも無理! サバイバル食好きでも、虫食は嫌だ」
「よかったぜ! オレもさすがにこりゃ無理だ!」
シアンが腹を抱えて笑う。
「……尻がぁ……」
俺の情けない悲鳴に、シアンはさらに爆笑し、オグは憐みの目で俺を見る。半分以上は落ちてきたこいつのせいだって、分かっているのだろうか。
ギィはさっき無理矢理黒炎を吐かされたことを根に持っているのか、わざと俺から顔を背けたままだ。
「ねぇ、これって何かに使えるかな?」
「……は?」
「……はぁ?」
俺とシアンの間抜けな声が、静かな部屋にこだまする。
「……素材回収するか?」
俺の質問に、オグがぱっと顔を輝かせる。
「おめぇ、マジか?」
「不本意ながら、本当に不本意ながら、オグの発明は役に立ったからな」
「そう! 本当にうまくいったよね!? こいつ気持ち悪いけど、もしかしたらギィみたいに何か使えるかも!」
ギィが「こんなのと一緒にするな」とでも言いたげに、不機嫌そうに尻尾を振る。
「よぉ、ここがラストの部屋っぽいよな?」
暗い遺跡の奥を見回しながら、俺はシアンの言葉に頷く。
「じゃあ、お宝探し!」
オグの能天気な声に、思わず笑いそうになる。この軽さと切り替えの早さは短所だと思っていたが、案外、とんでもない長所なのかもしれない。
「お宝だったらオレも探すぜ!」
シアンまで目を輝かせ、二人で濁った水を掻き分けながら奥へ進んでいく。
――まるっきし、ガキ二人だな
俺は笑いを噛み殺し、二人と一匹の後を追う。
部屋は確かに広い。
奥の水面が、なぜか、かすかに光っている。
「おい、こりゃ……」
「……あぁ。マジでお宝かもな」
三人で、その一点の光を呆然と見つめる。
「うん! 考えてもどうにもならない! 人間、前進あるのみ!」
言うが早いか、オグは得体の知れない水中をバシャバシャと手探りし始める。
「オグよ、オレが言うのもなんだけどよ。ちったぁ警戒ってもんを覚えろ」
「うん、分かった」
まったく分かっていない速度と軽さで、オグが笑う。
「あっ、何かあった!」
そして彼が引き上げたのは、楕円形の水色に光る石。奥から鋭い光を放つそれは、つるりとした表面に奇妙な模様が刻まれている。
「……おい、オグ……」
「当たり!? マジで当たり!?」
「……ああ。当たりだ」
俺の声に、シアンの雄叫びとオグの無邪気な歓声が重なる。
「うぉぉぉぉぉおおお!」
「お宝だぁぁぁぁあああ!」
――どう考えても、超大当たりだ
「よし! シアン、あの変なやつの使えそうな部分を捌いて!」
「オレに毎回任せるんじゃなくて、ちったぁ自分で捌けるようになりやがれ!」
「嫌だ、気持ち悪いから触りたくない」
「オレだって同じだ、こら!」
騒ぐ二人を横目に、俺はオグの手の中の石をもう一度見る。
水色の光。
刻まれた模様。
ぞわり、と肌が粟立つ。
「ユーイ?」
オグが不思議そうに振り返った、その瞬間。
オグの手の中の石が脈打つように光り、遺跡の最奥の壁一面に、同じ紋様が青白く浮かび上がる。
「……は?」
シアンの笑い声が止まる。
水が、振動する。
ピシッ ピシピシッ
石壁に一本の亀裂が走る。
ピシピシピシッ
「おい、ヤバ――――!」
次の瞬間、遺跡が崩れ始めた。




