16 勇者、オークを食うと言い出す
フー フー グルルルルル
喉の奥から低く唸る声が複数聞こえてくる。荒い鼻息が空気を震わせる。
俺は一軒の家の陰に身を潜めている。オグも俺のすぐ後ろだ。村人たちには家の中に隠れてもらっている。
夕暮れの、ちょうど太陽が落ちる寸前の時間帯である。
結局、日中はずっとオグとシアン、そして俺で民家の窓を大量に作る羽目になった。村中すべての家にはまだ嵌めていないが、大半は仕上がっている。そもそもすべての民家に窓があるわけでも複数の窓があるわけでもない。そのおかげでかなりの勢い作業は進んだのだ。
フー グルルルル フー フー
モンスター特有の、喉でうがいをするような唸り声に息を詰める。ゴガットから聞いていた通り、大きく筋肉質な肉体に豚のような鼻、小さな牙。オークはオークでも、比較的大人しい菜食寄りなグリーンオークだ。
――――一、二、三、……四か? 肉食オークよりかはマシか
剣の柄をきつく握るとギシッと音が鳴る。
隣の家の屋根を見上げるとシアンが視線を送り返してくる。しなやかな身軽さで、目立たないよう身を低くしている。
オグは初めてオークを見る。カラスは問題なかったが、人型のように歩くオークをどう感じているのか気になって振り向く。
そして、すぐに後悔する。
なぜか目を輝かせながら、明らかに興奮している勇者が背後にいる。
見なかったことにしてそっと視線を前に戻す。
――――おい、おい、おい。なんで目がキラキラしてるんだよ!? まさか人型まで食欲をそそるとか言い出すんじゃないよな!?
胃が捻れたようにキリキリと痛む。
「ユーイ、ちょっと先に行ってみて」
俺は、勇者の恐ろしい笑顔を背後に感じているくらいなら、戦闘を選ぶ。
喜んで選ぶ。
無言で影から素早く踏み出す。
目標は一番近いグリーンオークだ。
地面に映る影の動きで、シアンも走り出したのが見える。
フー フー!? ブヒィィィイ!
すぐに仲間へ警戒を知らせるオークは、巨大な棍棒を背中の鞘から抜く。オグの背丈ほどある木の幹で作られた代物だ。雑な作りで、数本の細い枝がまだ所々についている。枝についた葉が振動で揺れる。
剣を素早く振り上げる。
オークが棍棒を振る前に横へ回り込み、武器を持つ太い指を切りつける。
ブヒィイイイ!? グルルルル
威嚇する唸りを上げるのを無視し、刃の角度を変えて斬る。
小さな黒い影が視界の端に入り込んだ瞬間、それは地面すれすれを滑るようにオークへ向かう。
オグがオークの膝に手をかけ、そのまま足の間を滑り抜ける。
――――遊んでいるのかよ、オグ!?
だが次の瞬間、オグはオークの背中に手をついて跳び上がり、肘をオークの脳天に叩き込む。
すかさず俺の剣で、オークの頭を落とす。
オグはそのままシアンが戦っている敵へ駆ける。
オークの背後から両足を後頭部に蹴り込み、オークが固まる。シアンは両短刀でオークの喉元を交差するように斬る。
フグァアアアアアアアア!
三体目は吠えながらオグに突進してくる。
そして棍棒を振り上げる。
「オグっ!」
オグはすぐに背後の屋根へ腕を伸ばし、跳ね上がる。
オークの棍棒が振り下ろされる。
そして、窓に激突する。
ボォォォオオオオオン!
地面を激しく揺るがす振動と共に、オークの体が宙に浮く。
ドォォオオオン
地面に叩きつけられたオークは、悶絶しながら悲鳴を上げる。
残った一体は怒りに顔を歪まる。近くにいる俺の腹をめがけ、筋肉で盛り上がった脚を蹴り込む。
――――やばいやばいやばい! 死――――
ボォォオオン!
軽い衝撃に、少し足元が浮く。
そして、尻もちをつく。
俺を蹴り殺そうとしたオークも後方へ吹き飛ばされ、地面に背中を強打する。
「……え゙」
唖然とする俺の上を飛び越え、オグは真っ直ぐに近くのオークへ駆け寄る。嫌な音がして、オークの太い首が折れる。
最後の一体は、シアンの踊るような剣さばきに沈む。
静けさが、暗くなった空気を震わせる。
「なん……だったんだ? 今のは……」
口から漏れた疑問は、僅かに震えている。
「ユーイ! すごかったね!? え、本当に最高じゃない!?」
オグは顔を真っ赤にして興奮している。シアンは刃の血を振って落としながら、複雑な表情で近づいてくる。
「……今のって、おめぇ――――」
「勇者様! ユーイ様! 素晴らしい腕前ですじゃ!」
ゴガットは走り寄り、オグの手を掴んで激しく振り回し始める。すぐに近くの民家から人が流れ出て、俺たちを囲む。うるさい歓声の合間に、シアンと目配せをする。
『黙っていようぜ』
『ああ、知られたら危険だ』
オグにも急いで目配せをしようとするが、もはや意味がない。彼は可愛い顔の女の子にはやされて、真っ赤な顔で鼻の下が伸びている。
――――勇者の弱点は女の子か
いかにも落ち着かないのに、妙に嬉しそうなオグの様子に苦笑が漏れる。
「素晴らしい戦いであった、ユーイ様! 死角だったから最後の一撃は見えなかったが、猛烈な威力だった! さすが、勇者護衛様じゃ!」
苦いものを飲み込むような気分で、とりあえず愛想笑いだけは顔に貼り付ける。
「ほれ、勝者が地べたに座り込んでいては情けのうて」
タコだらけの騎士の手を差し出され、俺はそれを掴む。立ち上がろうと下半身に力を入れた瞬間。
「……っ!? ……っ! っ!」
激しい痛みが尾てい骨を殴りつける。
「ユーイ様!?」
「だい……じょう……ぶっ」
「顔が真っ青じゃぞ!?」
「尻……が……」
「あははははははは」
シアンは俺を指差しながら爆笑している。
オグは女の子に腕を絡ませられている。
――――なんで俺だけがこんな目に遭うんだ!? 俺の健康的な尾てい骨返せぇぇえ!
「ユーイ、またケツ痛めたの? 大丈夫?」
やっと俺を思い出したオグがそばに来る。まだ遠慮なく笑っているシアンと両脇からゆっくりと支えられ、立ち上がる。一度立って大人しくしているぶんには我慢できる痛みだ。踏ん張ると激痛が走る。
「だっせ、ケツ骨折ってやんの!」
それが何故かひどくツボに入ったらしく、シアンの爆笑はまだ収まらない。
「勇者様、今夜はお祝いをさせてください!」
「あ、じゃあこいつらを串焼きにしよう!」
辺りが、ものの見事に静まり返る。
「……今、その、……なんと?」
「だから、こいつら歩く猪だよね? ジビエの串焼き! 絶対に美味しいよ!」
誰も動かない。
オグだけが嬉しそうに目を輝かせている。
俺は空を仰ぎ、早くこの時間が過ぎてくれるのを願う。
シアンも、流石に人型は食べたくないのか、嫌そうに顔を歪めている。
ゴガットは青ざめ、必死にオグの言葉を理解しようとしている。
「ゆ……勇者様……オーク……、モンスター……です……じゃぞ?」
あまりにも思考が追いつかず、ゴガットの言葉遣いが変になっている。
「うん。モンスターって美味しいよね」
そしてオグの子供のような無邪気な返しに、ついに周りが反応する。
「悍ましい! 悍ましい!」
「モンスターを食べるなんて!」
「禁忌じゃぞ⁉」
「気持ち悪い!」
村人は一歩、また一歩と俺たちから後ずさる。ゴガットまでもが俺に「信じられない」という目つきを向けてくる。
「ええ、なんでそんな反応なんだよ⁉ 本当に美味しいんだよ⁉」
そして一人、また一人と、自分の家に逃げ込み始める。悲鳴を上げながら。
「……勇者殿。助けていただきありがとうございます。窓も大変素晴らしく、感謝しております。だが、モンスターを食べるという背徳的であってはならぬことに手を出す者を、町には泊められぬ。今すぐに引き取ってもらおう」
ゴガットは腕を組み、俺たちの前で仁王立ちする。
「えぇぇぇ、本当になんで?」
オグはその普通の反応こそが理解できないというようにショックを受けている。
「いや、行こう、オグ。もうこの人たちは助けたんだ。次に、行こう」
俺は静かに、隣で眉を顰めているオグに声を掛ける。シアンも無言だ。
「……分かった」
オグは人々の反応が全く理解できないという表情で頷き、すぐに町から出る道を歩き始める。
静かだ。
来た時の歓迎とは大違いだ。
少しだけ歩き、町が見えなくなると、俺たちは同時に立ち止まる。
「ねぇ、ユーイ! あれって……そのスライム布が働いたんだよね⁉」
再びオグの目に光が戻っている。
彼の切り替えの早さに感心しながら、俺は頷く。俺の胴体に巻いた、あの透明なスライム布。まさか本当に防御になるとは。透明で軽すぎて、その存在を忘れていたのに。
「ああ。尻もちをつくくらいの衝撃は感じたが、オークは完全に吹っ飛んでいた。間違いなく、この布は素晴らしい防御だ」
「窓も想像以上の威力だったよね⁉」
「ああ、素晴らしかった」
「そうだよね」
オグは非常に嬉しそうに笑っている。
「……おめぇは、いいのか。あいつらを助けてやったのに、こんな追い出し方されてよぉ」
シアンの低く怒りの滲む声に、オグは軽く微笑む。
「しょうがないよ。勇者は、押し付けられたことを、拒否できない」
その言葉は非常に重く。
重く。
オグがこの世界に来てからの、すべてを表している。
「……でもよぉ、あの窓は痛快だったよなぁ」
シアンが気を取り直して笑う。
「ねぇ、最高だっ……ぁああああ!」
突然オグが叫ぶ。
それに俺とシアンが飛び上がる。
「どうした⁉」
「オークの肉、一体分でもいいから持ってくるの忘れた!」
「それかよ⁉」
俺の怒鳴り声に、周りの鳥たちが一斉に飛び上がった。




