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◆第44話「豊穣の中の飢餓と、最後の貸し手」

 藤村蓮は一歩前に進み出た。

「おっしゃる通りです。彼らは万死に値します。……ですが、今は感情論で動いている場合ではありません」


 蓮は必死に訴えた。

「銀行は経済の『心臓』なんです。心臓が止まったままでは、手足である商店や工場まで壊死してしまいます。現に、物流は止まり、街では物々交換しかできなくなっている。……このままでは、国全体が機能不全で死にます!」


「……僕のいた世界でも、かつて同じことが起きました。『世界恐慌』と呼ばれる現象です」


 蓮は静かに、しかし力強く語り始めた。

「その時、僕の世界の人々は、銀行を救うことを躊躇しました。不道徳な経営者を罰するべきだと考え、市場の原理に任せて放置したんです。その結果、何が起きたと思いますか?」


 蓮は会議室を見渡した。

「……『豊穣の中の飢餓』です」


「豊穣の中の……飢餓?」

 国王が怪訝そうに眉をひそめた。


「はい。農村では、売れなくなった作物が山のように余り、廃棄されていました。今のこの国と同じように、食べ物は腐るほどあったんです。けれど、都市部では何千、何万人もの人々が餓死しました」


 大臣の一人が声を上げた。

「馬鹿な! 食料があるのに、なぜ餓死するんだ! 運べばいいだろう!」


「運べないんです!」

 蓮は叫んだ。

「運送業者に払う現金がないから。パン屋が小麦を買う現金がないから。……『お金』という血液が止まったせいで、目の前に食べ物があるのに、それを手に入れる手段だけが消滅した。それが恐慌の正体です!」


 蓮の脳裏に、教科書で見た写真が浮かんでいた。牛乳を川に捨てる農夫、買い手のいない砂糖が海に捨てられる光景、スープの炊き出しに並ぶ長い行列。物が不足しているのではない。「交換する機能」だけが死んでいるのだ。


「陛下。この国は今、史上最も豊かな食料在庫を持っています。ジャガイモは国民全員を養って余りあるほどある。……それなのに、銀行を閉じたままにすれば、近いうちに大量の餓死者が出ます。そんな馬鹿げた悲劇を、許していいんですか!?」


 蓮の悲痛な叫びに、玉座の国王が静かに口を開いた。

「……藤村よ。国が死ぬ、と申したな」

「はい、陛下」

「それは、民が飢え死にするということか?」


 鋭い問いだった。蓮は一瞬言葉に詰まり、そして正直に答えざるを得なかった。

「……いえ。幸いにして、ジャガイモは十分にあります。すぐに餓死者が出ることはないでしょう」

「ならばよいではないか」


 国王の言葉に、蓮は耳を疑った。

「へ…… 陛下、何を……」

「民の腹を満たす食料はある。ならば、国は滅びぬ」


 国王は厳かに言い放った。

「パンがなくとも、イモを食えばよい。贅沢ができなくとも、清貧に甘んじればよい。……それは、強欲に踊った我々が受けるべき『みそぎ』であろう」


 国王は立ち上がり、マルクスの提案書を指差した。

「だが、悪徳銀行家を救うことは、国家としての『魂』を売るに等しい。真面目な農夫が汗水垂らして納めた税を、博打打ちにくれてやるなど……余にはできぬ。それは王道ではない」


「陛下! お待ちください!」

 蓮は食い下がった。

「食料だけあってもダメなんです! 塩も、薬も、薪も買えない! 騎士団への給料も払えない! それでは社会が維持できません!」


「騎士たちは余に忠誠を誓っている。イモがあれば、彼らも耐えてくれよう」

 国王の瞳には、一点の曇りもない「正義」が宿っていた。


「余は決めた。銀行の救済は行わぬ。市場の原理とやらに任せ、潰れるべきものは潰せ。……その痛みを乗り越えてこそ、健全な国に戻れるはずだ」


「陛下……!」

「ならん! これ以上、汚れた金の話は聞きたくない。下がれ!」


 取り付く島もなかった。国王の決定は絶対だ。ケネー卿をはじめとする大臣たちは、「陛下の英断万歳!」「正義は守られた!」と快哉を叫んだ。



 会議室を出た廊下で、蓮は壁に背を預けて崩れ落ちた。

「……終わった。一番最悪のパターンだ」

「ええ。道徳家というのは、時に悪人よりもたちが悪い」


 マルクスは表情一つ変えず、却下された提案書を鞄にしまった。

「陛下は『経済』を『家計』の延長でしか捉えていない。『食えれば死なない』『借金は本人が返すべき』……個人の道徳としては立派ですが、国家運営としては致命的だ」


「マルクスさん……どうなる?」

「あなたの予言通りになりますよ。心臓を止めたまま、患者に『気合いで生きろ』と言ったのですから」


 マルクスは窓の外、静まり返った王都を見下ろした。

「見ていなさい。明日から、本当の地獄が始まります。……人々は知るでしょう。『パン(イモ)のみにて人は生きるにあらず』という言葉の、本当の恐ろしさを」

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