◆第41話「信頼 ~労働金庫の長い列~」
王都の大手銀行が次々とシャッターを下ろす中、工場地帯の片隅にある小さな金融機関――『イモ工場労働金庫』にも、破滅の波は押し寄せていた。
「俺の金を返せ!」
「預金を全額引き出すんだ!」
早朝から、労金の前には数百人の労働者たちが詰めかけていた。彼らの目は血走り、手には通帳が握りしめられている。普段は温厚な彼らをここまで駆り立てたのは、「自分たちの金庫も危ないらしい」という噂だった。
支店長のサイラスは、窓口で必死に叫んでいた。
「落ち着いてください! 当金庫は堅実な運用をしています! 大手銀行とは違うんです!」
「嘘をつけ!」
最前列にいたラクリオが、充血した目で通帳を振り回した。その通帳の残高は、以前の彼なら見向きもしないような端金だったが、今の彼には、当座の生活費をまかなうための全てだった。
「俺は知ってるぞ! お前らが貸した『住宅ローン』、あれの多くが焦げ付いてるってな! 俺みたいな奴が使い込んだからだ! どうせ回収不能で潰れるんだろ!? なら、俺の普通預金口座に残ってるこの金だけでも今すぐよこせ!!」
借金は返せないが預金は返せとは、とんでもない言いぐさである。しかし、ラクリオの言葉に群衆がざわめいた。皮肉にも、裏切り者であるラクリオ自身の告白が、労金の危機的状況を証明してしまったのだ。事実、労金の貸付残高の三割は、使途を偽って投機に流用され、バブル崩壊と共に回収不能となっていた。
「金がないんだろ! やっぱり潰れるんだ!」
「暴れろ! 金庫をこじ開けろ!」
暴徒と化した労働者たちが、カウンターを乗り越えようとする。もはや理屈ではない。恐怖が人を野獣に変えていた。
その時。ドンッ!!入り口の扉が乱暴に開かれ、二人の人物が入ってきた。藤村蓮と、アンナだ。蓮は、大きな麻袋を引きずっている。
「引くな! 一歩も引くんじゃない!」
蓮は叫びながら、群衆をかき分けてカウンターの前に立った。そして、麻袋を逆さにし、中身をぶちまけた。
ジャララララッ……!!
カウンターの上に、黄金の山が築かれた。本物の金貨だ。その輝きに、暴徒たちの動きがピタリと止まる。
「……金ならある。見たか、この山を!」
蓮は肩で息をしながら叫んだ。ラクリオが呆然と呟く。
「ぼ、ボス……? あんた、全財産を失ったんじゃ……。なんでこんな大金が……」
「ああ、俺の金じゃない。俺はスッカラカンだ」
蓮は、カウンターの上の金貨を鷲掴みにした。
「これはな、今朝一番で俺が頭を下げて借りてきた金だ。……軍務省のガレス大佐、鉄の王ボルドー、そして繊維の王ファビアン。彼らからふんだくってきた!」
労働者たちがざわめく。
「軍? ボルドー?」
「あの雲の上の人たちが、なんで俺たちのために?」
「彼らは知ってるからだ!」
蓮の声が響く。
「投機にうつつを抜かしていた連中が死んでも国は回る。だが、お前たち労働者が死んだら、国が止まるってことをな!」
蓮は金貨を労働者たちに見せつけた。
「俺は彼らに言った。『労働金庫を潰せば、工員たちは路頭に迷い、暴動が起き、工場は止まる。そうなればあんた等の損害はこんな金貨の比じゃないぞ』とな。……彼らは投資家じゃない、経営者だ。だから、お前らという『現場』を守るために、なけなしの運転資金を出してくれたんだ!」
それは、蓮の嘘ではないが、真実のすべてでもない。蓮が土下座せんばかりの勢いで頼み込み、彼らの個人的な信用を担保に、無理やり引き出した「連帯保証」の結晶だった。
「この金貨は、お前らの腕に対する信用だ! 大手銀行が金持ちのためにあるなら、ここは汗を流して働くお前らのためにある。……投機に狂った馬鹿もいたが、真面目にコツコツ働いてきた仲間もいるんだ。そいつらの未来まで、道連れにしてたまるか!」
蓮はラクリオを睨みつけた。
「俺が責任を持って、この金で窓口を開ける。……だから、信じてくれ。今すぐ金が必要な奴は持って行け。でも、もし『俺たちの金庫を守りたい』と思うなら……預けたままでいてくれ」
長い沈黙が流れた。やがて、一人の老工員が、握りしめていた通帳をポケットにしまった。
「……お偉いさん方が、俺たちの腕を信じてくれたってのか」
「なら、俺たちが自分で自分の首を絞めるわけにはいかねえな」
「悪かったな、サイラスさん」
一人、また一人と、列から離れていく。彼らは思い出したのだ。この金貨が、単なる通貨ではなく、「労働への敬意」であることを。
最後に残ったラクリオは、カウンターの上の金貨と、蓮の顔を交互に見た。そして、地面に崩れ落ちて泣いた。
「……すまねぇ……すまねぇ……!」
彼は全てを失った。だが、一文無しの蓮が、信用一つで金を集めてきた姿を見て、自分が何を捨ててしまったのかを、痛いほど理解したのだ。
取り付け騒ぎは鎮火した。蓮の奔走によって、労働金庫は奇跡的に生き残った。それは、数字上の信用ではなく、「現場への信頼」が経済恐慌に勝った、数少ない瞬間だった。




