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◆第35話「白い花の海と、屋敷を埋める『泥の爆弾』」

 5月の下旬。ロザリンド王女がジャガイモの髪飾りを身につけてから1年が過ぎた。王都はかつてない美しい光景に包まれていた。見渡す限り、どこもかしこも白や薄紫の可憐な花が咲き乱れている。ジャガイモの花だ。農地だけではない。貴族の庭園、市民のベランダ、街路樹の根元、さらには王宮のバラ園までが掘り返され、イモで埋め尽くされていたからだ。


「なんて美しい景色だ。これが我々の富の象徴か」

 詩人たちはそう歌い、画家たちはキャンバスに向かった。しかし、市場の片隅で、ある老練な商人がポツリと漏らした一言が、風に乗って少しずつ広がっていった。


「……おい。これほどアホみたいに花が咲いているということは、だ」

 商人は青ざめた顔で呟いた。

「もうすぐ、『捨て場に困るほどの芋』ができるということじゃないか?」


 バブルの源泉は「希少性」だった。しかし、目の前の景色は、ジャガイモが雑草並みにありふれた存在になったことを、残酷なまでに証明していた。



 そして、7月になると運命の日がやってきた。先物取引の「決済日(満期日)」である。本来、投機家たちは満期が来る前に「反対売買(売り戻し)」を行い、差額の現金だけを受け取るはずだった。しかし、あまりにも強気で「買い持ち(ロング)」を続け、さらに「PPP(トリプルP)」などの複雑な商品にうつつを抜かしていた結果、多くの貴族や商人が、致命的なミスを犯していた。


 「決済処理(転売)を忘れたまま、満期を迎えてしまった」のだ。ジャガイモを買ったのだから、それを売り忘れたならジャガイモが届くのは当たり前の話である。


 朝、優雅にモーニングコーヒーを飲んでいた公爵の屋敷の前に、地響きのような音が迫ってきた。ズズズズズ……。窓から見下ろすと、百台はあろうという荷馬車が、地平線の彼方まで列をなしている。荷台には、掘り出されたばかりの泥だらけのジャガイモが、山のように積まれている。


「お、お届け物でーす!!」

 御者の大声が響く。公爵は慌ててバルコニーに出た。

「な、なんだこれは!? 何の嫌がらせだ!」


「嫌がらせじゃありませんよ! 『6月末に収穫の男爵イモ・200トン』の買い契約の現物納品です!」

 御者は契約書をヒラヒラさせた。

「さあ、どこに降ろしましょう? 倉庫がない? じゃあ、玄関ホールでいいですね!」


「いらん! 私は証券が欲しかったのであって、芋そのものが欲しいわけではない!」

 公爵は叫んだが、契約は絶対だ。御者たちは「サインさえもらえればいいんだ」と、荷台を傾けた。


 ドドドドーーッ!!


 大理石の玄関ホールに、最高級のペルシャ絨毯の上に、容赦なくジャガイモの濁流が流れ込んだ。泥が跳ね、土埃が舞い、優雅な香水の匂いは瞬く間にカビ臭い土の臭いに塗り替えられた。


「ひぃぃっ! やめろ! 私の美術品が!」

「奥様! お逃げください! イモに埋もれます!」


 王都中の資産家の屋敷で、同じ悲劇が起きていた。美しいサロンが土臭い倉庫に変わり、ドレスを着た貴婦人が転がってきたメイクイーンに足を取られて悲鳴を上げる。物理的な「量」の暴力が、彼らを襲った。



 パニックが始まった。屋敷を埋め尽くす大量のジャガイモを処分するため、貴族たちは半狂乱になった。保管倉庫など持っていない彼らは、今すぐ手放さなければ生活ができない。


「誰か、この芋を持っていってくれ!」

「市場価格の半値? いや、9割引でいい!」

「タダでいいから持っていけ! 二度と私の目の前に芋を見せるな!」


 市場には、王都中の貴族から放出された、山のようなジャガイモが溢れかえった。供給過多。大暴落。昨日まで「金貨一枚」だったジャガイモが、昼には「銅貨一枚」になり、夕方には「道端に転がっている石ころ」と同等の扱いになった。


 市場の黒板に書かれた「現物価格」が、垂直落下のようにゼロに近づいていく。それを見た金融街の顔色が、青を通り越して土気色になった。


「おい……待てよ」

 誰かが震える声で言った。

「現物の値段がゴミ同然になったということは……それを担保に計算されている『先物』も、『開墾ローン』の評価額も、あの『PPPポテト・ボンド』も……」


 沈黙が流れる。そして、誰かが絶叫した。


「すべて、ゴミ屑以下ということか!?」


 美しいジャガイモの花畑の向こうで、数千億の富が瞬時に蒸発する音が聞こえた気がした。王都の空は明るく晴れ渡っていたが、経済という名の天気は大嵐へと急変していた。泥だらけのジャガイモが、輝ける金融帝国を、物理的に押し潰した瞬間だった。

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