◆第26話「裏切り者の黄金と、泥沼の『夢』」
真昼のソラニア王国軍・第一食糧加工場。蒸気が吹き上がり、工員たちが汗だくになって即席麺を揚げている現場に、場違いに豪華な馬車が滑り込んできた。降りてきたのは、派手な紫色のスーツを着込み、指という指に金無垢の指輪を嵌めた男――かつてこの工場を辞めた、ラクリオだった。
「よう、みんな! 相変わらず油臭い場所で、チマチマ働いてるのかい?」
ラクリオは扇子で鼻を覆いながら、かつての同僚たちを見下ろした。その態度は、成功者特有の傲慢さに満ちている。
製造主任のカイが、不快そうに顔をしかめた。
「ラクリオ……何しに来たんだ。仕事の邪魔だぞ」
「冷たいなぁ。昔のよしみで、儲け話を持ってきてやったんだぜ?」
ラクリオは、懐から札束を取り出し、カイの顔の前でヒラヒラさせた。
「見ろよこれ。昨日の『イモ先物』の利益だ。お前らが汗水垂らして稼ぐ年収分が、たった数日で手に入った。……なぁカイ、お前もこっち側に来いよ。油まみれになって働くなんて、馬鹿のすることだ」
工場の空気が凍りつく。アンナが厳しい口調で言った。
「帰ってください。私たちは、この仕事に誇りを持っています」
「誇り? ハッ、誇りで腹が膨れるかよ!」
ラクリオは嘲笑った。
「時代は変わったんだ。これからは『賢く投資する人間』が王様で、『働く人間』は奴隷なんだよ。……ま、一生奴隷でいるといいさ!」
ラクリオは高笑いしながら馬車に乗り込み、去っていった。残された工員たちは悔しさに唇を噛んだが、蓮だけは、ラクリオの背中にまとわりつく「危うい影」を感じ取っていた。
(……あいつ、焦っているな。儲かっているはずなのに、目が笑っていなかった)
◆
その日の午後。ラクリオは王都の金融街にある高級サロンにいた。彼の目の前には、笑顔の銀行員と、一枚の契約書がある。
「ラクリオ様、素晴らしいご決断です。この『王都近郊・湿地帯開発プロジェクト』……これぞ、あなたのような選ばれた投資家にふさわしい案件です」
銀行員が勧めているのは、王都の北にある広大な湿地帯を買い取り、排水して農地にするという巨大プロジェクトの「オーナー権」だ。ラクリオの手元には、先物取引で稼いだ泡銭がある。だが、彼は満足していなかった。もっとだ。もっと増やして、あの工場の連中を、そして自分を見下してきた貴族たちを見返してやりたい。
「……本当に、イモ畑になるんだな?」
「もちろんです! すでに最新の土魔法使いを手配しています。来月には、あそこは黄金のイモ畑に変わり、地価は十倍……いや、百倍になるでしょう!」
百倍。その言葉が、ラクリオの理性を焼き切った。
「買った! 全財産……いや、借金もして、レバレッジ最大で買う!」
ラクリオは震える手でサインをした。これで自分は「大地主」だ。工場の連中など、顎で使える身分になるのだ。
◆
しかし、悪夢は一週間後に訪れた。ラクリオが視察のために、購入した「土地」を訪れた時のことだ。
「……おい、どうなってるんだ?」
目の前に広がっていたのは、黄金の畑ではなかった。見渡す限りの、ドロドロの泥沼。腐った木が浮き、蚊が大量に発生している、ただの死の沼地だ。土魔法使いの姿も、排水ポンプもない。あるのは、「立入禁止」と書かれた古びた看板だけ。
「銀行屋さん! 話が違うぞ!」
ラクリオが叫ぶと、同行していた銀行員は、急に冷ややかな顔になった。
「違いませんよ。契約書をよくご覧ください。第154条『開発の成否は天候および魔力環境に依存し、保証されるものではない』と」
「そ、そんな……! 俺は全財産を突っ込んだんだぞ! 借金だってあるんだ!」
「それは貴方の自己責任です。……ああ、それから」
銀行員は懐中時計を見た。
「今日が借金の利払い日ですね。払えますか? 払えないなら、担保に入っている貴方の屋敷と馬車、すべて没収させていただきます」
「ま、待ってくれ! 詐欺だ! こんなのありかよ!」
ラクリオは銀行員に掴みかかろうとしたが、屈強な護衛に取り押さえられ、泥沼の中に突き飛ばされた。
バシャーン!高級な紫色のスーツが、臭い泥を吸い込んで重くなる。口の中に入った泥の味は、塩辛く、そして絶望的に苦かった。
「あ、あああ……」
ラクリオは泥の中で這いつくばった。騙された。いや、欲に目が眩んで、自分から罠に飛び込んだのだ。脳裏に浮かぶのは、カイやアンナたちの顔。油にまみれ、汗をかいて働いていた彼らの姿。(……奴隷は、俺の方だったのか)実体のない「数字」に踊らされ、最後は泥の中に捨てられる。これこそが、労働を蔑んだ者へのしっぺ返しだった。
銀行員たちは馬車で去っていった。夕暮れの湿地帯に、ラクリオの嗚咽だけが響く。彼はこの後、全てを失い、ボロボロの服を着て王都を彷徨うことになる。そして、やがて来る運命の日――労働金庫の取り付け騒ぎの列に、最後の希望を求めて並ぶことになるのだ。
栄光から転落まで、わずか数日。それはバブルという魔物が見せた、あまりにも短く、虚しい一夜の夢だった。




