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◆第17話「軍務省との密約と、三人の誓い」

 蓮は言葉に詰まった。ファビアンの言う通りだ。バブルは、既得権益層を破壊する側面がある。それを人為的に潰すことは、旧体制を守ることにもなりかねない。しかし、蓮は脳裏に浮かぶ別の光景を思い出し、拳を握りしめた。


「いや違う。焼け野原になるのは、貴族だけじゃない」


 蓮は顔を上げ、ファビアンを真っ直ぐに見返した。

「ファビアンさん、あなたは『勝者』の視点で見ている。でも、バブルが弾けた時、一番最初に死ぬのは誰ですか? ……伯爵じゃない。その日のパンを買えなくなる、あなたの工場の『お針子』たちを初めとする貧しい庶民たちだ」


 蓮は続けた。

「貴族は屋敷を失うだけで済むかもしれない。でも、持たざる者は命を失う。……階級を壊すために、弱者を巻き添えにして飢えさせるのが、あなたの望む革命ですか!」


 ファビアンの目が僅かに見開かれた。蓮の言葉が、彼の中にある「職人の魂」――共に働く者たちへの愛情――を突き刺したのだ。


 長い沈黙の後。ファビアンはふっと自嘲気味に笑い、手元のグラスを飲み干した。

「……痛いところを突くねぇ、君は。……そうだ。あの子たちの笑顔を守るのが、私の今の願いだったな」


 彼は蓮の肩を叩いた。「目が覚めたよ。……確かに、憎むべき相手を見誤るところだった。貴族を殺すために、あの娘たちを巻き添えにするわけにはいかないな」


 ファビアンは、優雅な手つきで指輪を外し、契約書にサインをした。「私も保証人に名を連ねましょう。……流行遅れの服屋の意地、見せてやろうじゃありませんか」


「ありがとうございます……!」

 蓮は深く頭を下げた。

「必ず、勝ってみせます。この国の目を覚まさせてみせます」


「行け、藤村蓮!」

 ボルドーが叫ぶ。

「バカどもに、鉄槌を下してやれ!」


 夜明け前。三人の手は固く握られた。それは「反バブル連合軍」の結成であり、しかし、無謀な戦いの始まりだった。



 翌日、王都の喧騒から離れた軍務省の奥深く。兵站局長ガレス大佐の執務室は、タバコの煙と重苦しい沈黙に包まれていた。机を挟んで対峙するのは、藤村蓮と、徴税官長マルクス。そして、蓮の背後にはボルドーとファビアンが控えている。


「……なるほど。バブルを潰すための軍資金として、軍事予算を貸せと言うのか」

 ガレス大佐は、蓮が提示した分厚い計画書を机に放り投げた。

「正気ではないな。軍の金は国民の血税だ。一介の商人の博打には使えん」


「博打ではありません。これは『経済的な防衛戦』です」

 蓮は食い下がった。

「今のイモ価格の高騰は、国民生活を破壊し、軍の兵站コストをも圧迫しています。このままでは、次の冬、兵士に食わせる即席麺の調達すら不可能になります」


「……理屈は分かる。だが、担保はどうする? お前の信用だけで貸せる額ではないぞ」


 蓮は、懐から一枚の書類を取り出した。それは、藤村食品加工工場の『全権利譲渡書』だった。

「工場を、担保に差し入れます。もし私が相場で負け、返済不能になった場合……即座に工場の所有権、設備、特許のすべてを軍に移譲します。軍にとっては、国一番の食品工場がまるごと手に入る。悪い話ではないはずです」

「なっ…… 本気か?」


 それは、蓮にとって魂を売るに等しい提案だ。自分の城を人質に差し出す。しかし、それほどの覚悟がなければ、この狂乱は止められない。ガレスはマルクスと視線を交わし、ニヤリと笑った。

「……いいだろう。お前が勝てばインフレが収まる。負けても軍は優秀な『兵站工廠へいたんこうしょう』を手に入れる。どちらに転んでも軍に損はない」


 ガレスは金庫の鍵を開け、小切手帳を取り出して数字を書き込むと、蓮に差し出した。

「持っていけ。軍の支払い保証のついた小切手だ。ただし、失敗した時は容赦なく剥ぎ取るぞ」

「もちろんです」


「ところで……」と、マルクスがボルドーとファビアンに向かって問いかける。

「お二人は、この件にどう関わっているのですかな?」


 ファビアンが答えた。

「藤村殿だけでは信用が足りないなら、保証人として名を連ねるつもりで参りました」


 ガレスが二人を見る。

「なるほど。それは見上げた覚悟だが、担保としては藤村殿の全財産で十分だ。と、いうか、君たちが保証人についても、さっきそれに書いた金額より多くは、さすがに貸せん。追加の保証人は不要だ」

「わかりました。ありがとうございます」

 蓮は、小切手を懐にしまう。


 軍務省を出た後。夜風の中で、ボルドーが口笛を吹いた。

「まさか、軍まで巻き込むとはな。肝が座ったもんだ」

「……ギリギリです。軍の資金だけじゃ、証拠金マージンに余裕がない」


 すると、ボルドーとファビアンは、それぞれの懐から小切手を取り出し、蓮に押し付けた。「だから、俺たちの金も使え。これは『予備費バッファ』だ」「えっ……でも、工場を担保にする話は……」「軍がそれ以上貸せないというなら、俺たちが一緒にリスクを背負ってやるよ。それに、ギリギリの資金じゃ相場は張れないんだろ?」


 ファビアンが微笑む。「俺達も、あんたという人間に賭けたくなったんだよ。……最後まで、冷静に戦ってくれよな」


 三人の手が重なる。それは勝利への誓いではなく、泥沼の戦場へと共に飛び込む、覚悟の同盟だった。

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