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◆第16話「深夜の同盟」

 それからしばらくしてのこと。王都の夜は、相変わらず狂っていた。日付が変わっても、目抜き通りからは馬車の音と、酔っ払った成金たちのはしゃぐ声が絶えることがない。窓の外では花火が上がり、どこかの屋敷で開かれている夜会の音楽が、風に乗って微かに聞こえてくる。


 しかし、その喧騒から隔絶された工業地区の一角。廃工場のような倉庫の地下室に、三人の男が密かに集まっていた。部屋を照らすのは、古びた魔石ランプの頼りない光だけだ。


「……ひどい顔だな、鉄の王ともあろうお方が」

 藤村蓮は、向かいに座る大男――ボルドー製鉄所の社長に声をかけた。かつては鋼鉄のような覇気を纏っていたボルドーだが、今は疲労の色を隠せない。


「ふん、お互い様だろ」

 ボルドーは安酒を煽り、重い音を立ててグラスを机に叩きつけた。

「事態は予想より急速に悪化している。今日、また熟練工が三人辞めた。『溶鉱炉の前で汗をかくより、イモの仲買人になった方が一瞬で稼げる』だとさ。……止められなかったよ。俺が払える月給の三倍を出すと言われれば、止められないからな」


「うちはもっと酷いですよ」

 溜息をついたのは、仕立ての良いスーツを着崩した優男、ファビアン商会の社長ファビアンだ。

「綿花の仕入れ値が十倍になりました。農家が綿花畑を潰して、ジャガイモを植え始めたせいです。……このままじゃ、来月には工場が止まる。服を作るための布がないんです」


 鉄と繊維。この国の産業を支える二本の柱が、今まさに「イモ・バブル」という名のシロアリに食い尽くされようとしていた。彼らは経営者として優秀だ。だが、今の経済状況は経営努力でどうにかなるレベルを超えている。通貨の価値が壊れ、労働の価値が地に落ちているのだ。


 蓮は、手元の鞄を強く握りしめた。彼自身も、食品工場の従業員を守るために必死だった。だが、守っているだけでは、いずれジリ貧で押し潰される。


「……お二人に集まってもらったのは、愚痴を言い合うためじゃありません」

 蓮の声色が変わり、場の空気が張り詰めた。ボルドーとファビアンが視線を上げる。

「この狂ったバブルを、俺たちの手で殺す。その相談に来ました」


「殺す、だと?」

 ボルドーが怪訝な顔をする。

「どうやってだ。王都中の人間がイモに夢中だぞ。説教でもするか?」

「いいえ。市場マーケットのルールで殺します」


 蓮は、一枚の羊皮紙をテーブルに広げた。そこには、現在のジャガイモ価格のグラフと、蓮が計算した「適正価格」のラインが引かれている。現在の価格は、適正ラインの数倍に達していた。


「方法は『空売り(ショート)』です。今の異常な高値で『売る約束』を大量に仕掛ける。そして、市場を冷やし、パニックを誘発して価格を暴落させる。……そうすれば、人々はイモがただの野菜だと思い出し、労働者は工場へ戻り、資材の価格も元に戻ります」


 ファビアンが目を細めた。

「……理屈は分かる。でも、今の市場の勢いは買い一色ですよ。それを止めるには、巨大な土台――つまり、莫大な『証拠金』が必要です。私たちにそんな現金はありませんよ」

「ええ。手元にはない。……だから、作るんです」


 蓮は、鞄から新たな書類を取り出した。それは、藤村食品加工工場の「譲渡契約書」だった。「僕は、自分の工場を担保にして軍から金を借りるつもりです。そして、その全てを『売り弾』として投入します」


 二人が息を呑んだ。


「おい、正気か!?」

ボルドーが身を乗り出す。

「お前の工場は、お前の魂だろう!」


「それに、もし失敗したら……」

ファビアンの声が震える。

「あんたは工場を失い、一文無しだぞ」


「分かっています」

 蓮は静かに、しかし断固として言った。

「でも、誰かがやらなきゃ、この国は死にます。僕たちが汗水垂らして作った『実体経済リアル』が、『虚構バブル』に食い殺されるのを、指をくわえて見ているなんてごめんだ」


 蓮は二人を真っ直ぐに見据えた。

「お二人にもお願いしたい。僕が軍から金を借りるための保証人になって欲しいんです」


 重い沈黙が地下室を支配した。それは、経営者としての理性が「断れ」と叫ぶのと、職人としての魂が「戦え」と叫ぶ葛藤の時間だった。やがて、ボルドーがニヤリと笑い、うなずいた。

「……へっ。どうせこのままじゃ、溶鉱炉の火は消えるんだ。座して死ぬより、もがく方が性に合ってる」

「ボルドーさん……」

「勘違いするなよ。保証人になるだけで、俺の工場まで抵当にはしないぞ、若造」

「十分です。ありがとうございます」


 一方、ファビアンは、蓮に理解を示しつつも反対意見を表明した。

「蓮殿の考えは理解できるが、断る」

「えっ? でもファビアンさん、あなたの工場だって綿花の暴騰で苦しんでいるはずだ!」


 ファビアンは椅子から立ち上がり、窓際に歩み寄った。

「ああ、経営者としてはな。だがな、蓮。一人の『人間』としては……この状況を、実に愉快だと思っているんだよ」


 ファビアンは、言う。

「由緒あるダルジャン伯爵を知っているか。かつて私の父は、あそこの門前で、泥が跳ねたというだけの理由で伯爵の馬車の御者に鞭で打たれた。……だが今、その伯爵はどうなっていると思う?」

「……イモに投資していると聞きましたが」

「その通りだ。そして伯爵は先物で大損を出し、屋敷の権利書を担保に入れた。その権利書を今、誰が持っているか知っているか? ……港の労働者から成り上がった、高利貸しの男だよ」


 ファビアンは、恍惚とした表情で振り返った。

「革命だよ、これは。何百年も続いた『血筋』や『身分』という岩盤が、『イモ』というハンマーで粉々に砕かれているんだ。……見てみろ。昨日の夜会では、元農民の成金が上座に座り、借金まみれの男爵が彼に酒を注いでいたそうだ。私も、以前、さる没落貴族からワインをついでもらったことがある。今にして思えば、成金趣味の神聖ならざる喜びであったことは認めるが、爽快だった」


 ファビアンの声には、昏い熱が宿っていた。

「金は平等だ。貴族の金貨も、乞食の金貨も、平等に同じ輝きを放つ。……このバブルはね、腐りきったこの国の既得権益を、階級制度を焼き払う『浄化の炎』なんだよ。放っておけばいい。バブル崩壊も大いに結構。古い連中が全員破産して、焼け野原になった後で……実力のある奴だけが生き残る新しい国を作ればいい」


 彼は蓮の目の前に歩み寄り、冷たく問いただした。

「あんたがやろうとしていることは、その革命を止めて、またあの鼻持ちならない貴族どもを延命させることじゃないのか? ……それは『正義』なのか?」

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