◆第13話「地図にない農地」
投資先を求める狂気は「時間」だけでなく「空間」をも超越しようとしていた。取引所の別館、「地図の間」。そこには、王国の広大な地図が広げられていたが、人々が群がっているのは、王都周辺の肥沃な農地エリアではない。地図の端、あるいは「未調査地域」と書かれた空白地帯だった。
「皆様! ご注目ください!」
ロマンチストな若き公爵が、指揮棒で地図の北端――万年雪に覆われた山脈の向こう側を叩いた。
「我々の冒険心は、ついにここまで到達しました! この『北の果て』……まだ誰も足を踏み入れたことのない空白地帯です!」
聴衆がゴクリと唾を飲む。
「そ、そこでイモを作るのか?」
「作りません! ……『見つける』のです!」
公爵は夢見るような瞳で熱弁を振るった。
「未踏の地ということは、手付かずの自然があるということです。そこにはきっと、我々の想像を超える肥沃な大地と、太古の昔から自生する『黄金色の伝説のジャガイモ』が眠る理想郷があるに違いありません!」
根拠はゼロだ。そこはドラゴンの巣かもしれないし、ただの氷河かもしれない。だが、投資家たちの目は輝いた。既知の土地はもう買い尽くされた。ならば、未知に賭けるしかない。
「夢がある……! これぞ男のロマンだ!」
「もし伝説のイモが見つかれば、価格は百倍、いや千倍だ!」
「私はその『夢』を買おう! 冒険者ギルドもまだ到達していない土地だが、私の勘が『イモだ』と叫んでいる!」
こうして誕生したのが、【未開拓領域・フロンティア先物】だ。実体はおろか、土地の測量図すらない。「あるかもしれない」という妄想に値段がつき、それが転売されるたびに「きっとあるはずだ」「絶対にある」と確信に変わっていく。
市場には、次々と奇怪な商品が並んだ。【天空農園計画】「空に浮く島を見つけて、そこでイモを育てる権利」。【ダンジョン農地化債券】「地下迷宮のモンスターを殲滅し、跡地をイモ畑にするプロジェクト」。【深海イモ養殖ファンド】「水属性の魔法で、海の中で育つイモを開発する未来への投資」。
どれも実現不可能な与太話だ。だが、誰も笑わなかった。彼らは真剣だった。「誰もやっていないこと」にこそ価値がある。常識を疑え。イモの可能性を信じろ。彼らは自分たちを、コロンブスやマゼランのような「新時代の開拓者」だと信じて疑わなかった。
◆
そして、この狂乱を「学問」が正当化した。王立アカデミーの教授が、取引所の特別講義室で黒板に向かっていた。そこには、一般人には理解不能な、複雑怪奇な数式がびっしりと書き込まれている。
「静粛に! これより『ポテト・マセマティクス(芋数理学)』の講義を始める!」教授が叫ぶと、投資家たちはペンを構えた。「諸君、ジャガイモは一個植えれば、秋には十個、二十個に増える。これは生物学的真実だ。では、その増えた二十個を翌年植えればどうなる? 四百個だ。三年目は八千個。十年後には?」
教授は黒板に「∞(無限大)」の記号を叩きつけた。「天文学的数字になる! つまり、ジャガイモの潜在的価値は、時間経過とともに指数関数的に増大し、やがて無限大に発散する! これは数学的に証明された真理なのだ!」
「おおおっ……!」教室が揺れるほどの歓声と拍手。「先生! ということは、今の価格はまだ安すぎるということですね!」「その通りだ! 無限の価値を持つものが、たったの金貨百枚? タダ同然ではないか!」
誰も突っ込まなかった。「土地には限りがある」「肥料代がかかる」「そもそも誰が食うんだ」という物理的な制約を、彼らは華麗に無視した。数式が「増える」と言っているのだから、増えるのだ。数学は嘘をつかない。
中身のない箱に、綺麗な包装紙を巻き、それに「未来」や「無限」という値札をつける。王都の人々は、中身を確認することなく、その包装紙の美しさと「画期的なアイデア」に酔いしれ、我先にと金を投げ入れていた。
◆
取引所の片隅、熱狂の蚊帳の外で、その光景を見ていた藤村蓮は、吐き気をこらえるように口元を押さえた。
「……気持ち悪い」
隣にいたエリシアが、心配そうに蓮の顔を覗き込む。
「藤村殿? 顔色が……」
「見てくれよ、エリシアさん。彼らの顔を。……みんな、笑ってる。自分たちは賢い、自分たちは歴史を作っているんだって、本気で信じてる顔だ」
蓮は、取引所の中央にある巨大な黒板を見上げた。そこには、存在しない土地の、存在しないイモの価格が、天井知らずに跳ね上がっていく様子が刻まれている。
「イモは植物だ。育つには水と土と時間がいる。汗を流して世話をする人がいる。……数式や契約書だけで、勝手に増えたりしないんだ」
蓮の悲痛な呟きは、誰の耳にも届かなかった。
「買いだ! 買いだ! まだ見ぬ土地の芋を、全て買い占めろ!」
「我々は『新しい富』を発明したんだ!」
そこにあるのは、農業への冒涜と、人間の際限なき傲慢さだけだった。しかし、その傲慢さが生み出した巨大な砂上の楼閣は、あまりにも高く、あまりにも美しく輝いていたため、誰もその足元がすでに崩れ始めていることに気づけなかったのである。




