15 ビターな貴女とシュガーな私
息が苦しい。呼吸をするのも、唾を飲み込むのも、何か一つでも勝手なことをしたら怒られそう。この淫莉さんは今までの怖い淫莉さんとは違う。何かもっと....
「テメェか....地球儀頭」
「まぁ!まぁ!貴女ね!?貴女なのね!?それに清音さんまで!美しいわ!清らかだわ!素敵だわ!今日という夜に」
「ガタガタうるせぇよ」
その場に似つかわしくない、酷く明るい陽気な声色が三人の鼓膜を震わせる。
狂気的な輝きを秘めた彼女を前に、千羽は驚くほどに冷静だった。
千羽は知っている。冷静さを保つ事のアドバンテージを。
五感の全てを研ぎ澄ませ、実力では敵わない眼前の敵へ警戒を強める。
「ね、ねぇ....?どうしてそんなに怖い顔をしてらっしゃるの?アイが何かしてしまったかしら?」
「怖ぇか?ちゃんと見たら綺麗な面してんだぜ」
軽い足取りで千羽の胸元へ。両の手を千羽の頬へ添えると、あら確かに、と一言。それに対し、だろ?と笑って返して見せた。
そんな不気味な馴れ合いよりも一葉が気になったのはその身長差。
およそ180弱ある千羽の胸元よりやや下に地球儀頭が居る。自分より少し大きいだけの細身の女性を相手に、すぐに動かないことが一葉には不思議でしかたがなかった。
「ねぇ?千羽さん?アイね、貴女にお願いがあるの」
「言ってみろ」
「その子、借りて行ってもいいかしら?」
「おう。勝手にしろ」
地球儀頭に指をさされて驚き、千羽の快諾を聞いてまた驚く。
文句を一言と、一葉が口を開くよりも早く千羽が言葉を発した。
「その前に、コイツらのツレ見てねぇか?」
「お友達?ええ!ええ!見たわ!見かけたわ!アイの可愛い”お星ちゃん”達が保護しているわ!」
その言葉を聞き、二人の青年達が湧き立つ。
が、千羽はまだ気を緩めない。一葉含め三人は”保護している”という単語に意識を持っていかれ、お星ちゃん達という言葉をスルーしていた。
「....じゃあ交換だな。そいつを連れてきたら一葉をやるよ」
「そうね!ええ!それがいいわ!そうしましょう!」
小さな体でぴょんぴょんと喜びを表現する地球儀頭と、尚も警戒を緩めない千羽。
それから約二十分程経過した頃、二人の少年が一人の青年を連れて現れた。
お星ちゃん達。あのガキ共の事か。
晴喜の野郎を拘束してるアレは根....チッ、花思持ちだとしたら面倒だな....
深いため息を付く千羽をよそに、青年たちは再開を喜ぶ。
「晴喜!どこ行ってたんだよ!」
「翔太!累!悪い!小便しようと思ったら便所が無くて」
「まぁ!まぁ!素敵だわ!美しいわ!友情とは何とも」
「じゃあ、渡してもらうぜ」
話を遮ってまで出した要求は意外にも通らなかった。
「ええ!そうね!でもまずは清音さんよ」
「....いや、まずはソイツだ。悪いがこれは譲れねぇ」
空気が張り詰める。少し和んだ空気が再び凍ってしまった。
息苦しく、嫌な汗が噴き出す。
「ハッ!どうするよ。奪い取ってみるか?」
「奪う?嫌だわ!嫌だわ!そんなの怖いわ!でも....どうしてもと言うなら....」
ピークに達した緊張が今、崩壊した。
地球儀頭の重く鋭い膝が千羽の腹筋を貫いた。
それと同時に二人の少年は晴喜を連れ、院内奥へ。
セメント作りの壁へ激しく叩き付けられた千羽。重い足取りで起き上がった跡には大きなクレータが。
衝撃の展開に声が出ない三人と、速攻に防御が間に合わず、立っているのもやっとな千羽。
あ゛ぁ゛........ってぇ....やっぱ無理だなコイツ。初めてヤった時から分かってた。
多分....いや、絶対だな。絶対アタシはコイツには勝てねぇ。花思を使えばワンチャンだが、使うぐらいなら負けて死んだ方がマシだな。
で、実際どうするよ。見た目通り素早いのは良い。問題は、見た目に反して一発一発が重ぇ事だ。
っ!....ってぇな....今のは折れたな....受ける事が精いっぱいってのは甘かったか。
地球儀頭の流れるような動きは反撃の隙を与えない。一つの攻撃は次の攻撃に繋がり、その攻撃もまた次に繋がる。彼女の責めを風に例えるなら、千羽は今台風の中に居るようなもの。苛烈な攻めが終わらない。
そんな中に見つけた僅かな糸口。
小指の折れた手を握りこみ、小さな体の中心を捉えた。
はずだった。大きな拳を前に、上体を後ろへ倒す事で反撃を回避。
空いた脇腹にハイキックが炸裂。
やはり重い。普通なら蹴った側がダメージを受けそうな対面。しかし、実際には、
チッ!クソ!今のは不味い!肋骨がイった!コイツはヤバいな....咲とヤり合ってるみてぇだ....
徐々に防御が間に合わなくなる。蓄積した疲労とダメージが鎖のように体に纏わりつく。
タフで有名な千羽だが無理もない。吹き飛ばされて既に三十分ほどが経過している。その間攻撃は止むこと無く千羽の体を削り続けていた。
そんな姿を前に、ただ息を飲んで見守る事しか出来なかった一葉だが、その心に秘める恐怖心と正義感の割合が変わろうとしていた。
「アンッ!デュッ!とぉわ!」
一段目の蹴りが防御を砕き、二発目の蹴りが体性を崩し、三発目の裏拳が意識を飛ばした。
ついに膝をついた千羽は、音を立てて地に伏した。
「あぁ....なんてことなの....嫌だわ!悲しいわ!辛いわ!苦しいわ!こんなの嫌よ!でもね。えぇ。でもね仕方が無いの。ビターな貴女と、シュガーなアイ。カトラリーは貴方を選んだの。月はほろ苦くてちょっぴり大人な貴女を選んだの。だからね?いや。いや、えぇ!そうよ!ここはむしろ喜ぶべきよ!そうだわ!そうしましょう!」
ぺらぺらと話し続ける女はやがて、何かを思い出したかのように視線を一葉へ。
「あぁ!そうね!そうだったわ!ごめんなさいね。お待たせして。さぁ!行きましょう!」
差し伸べられた手を前に一葉は一歩前へ出ると、こう問うた。
「貴方は誰なんですか....?」
「えぇ、そうね。アイはね、満月姫」
「満月姫....悪いけど一緒には行けないよ」
一葉は手中に編んだレイピアを姫に向けた。
戦うなと。抵抗するなと。あれほど言われた。目の前の女の圧倒的な強さを見た。それでも彼女は剣を向ける。千羽に謝罪をさせる為に。攫われた晴喜を救う為に。
「まぁ........素敵よ!素敵だわ!!貴女を選んで良かったわ!!!」
瞬きを一度行うと、姫の姿が消えていた。
足元を見ると、自分の影に別の影が重なっていた。




