10 ストーカーさん
これは十二月六日、花形咲が財多田蔵から依頼を受け、事務所を出た後の出来事である。
「ただいま~~~!!....ってあれ?誰もいない」
人の居ない静かな事務所に戻った一葉。額の汗を拭うと、水を一杯、ソファに腰を落とした。
体力の無さがバレた一葉は、星見に運動を義務付けられていた。巻き添えになる形で古古伊も参加し、無理のない運動を毎日二人で行っていた。
疲れた体をグッと伸ばし、背を逸らすと、視界にデスクが映りこむ。
花形が仕事で使うデスクの上に一枚の紙が。いたずら心で読みに向かうと、
”二日ほど空けます。食事はカードで。店には千羽を立たせます”
”花形”
と、書かれたメモが。一枚の紙にしてはずっしり重く、裏返すとテープで張り付けられた黒いカードが。剝がしてみると、
”歯磨きを忘れずに!”
という追加のメモが。
花形の優しさと遊び心に頬を緩めつつ、汗を流す為バスルームへ向かった。
デスクに体を預け、だらだらゲームを数時間。気が付けば外は真っ暗。
短針の位置は真下に。上着を羽織り、カードを片手に食料調達へと赴いた。
事務所へ戻り鍵を開こうとしている一葉の耳に異音が入る。
ガラガラガラ!という、カートを激しく押すような音。
音の方へ視線を向けると、走りながらベビーカーを押す一人の女性が一葉の方へ向かって駆けてきた。
女性は、一葉と目が合うと一言、
「ねぇ!助けて!!」
「これ、どうぞ」
「....ありがとう」
女性は受け取った白湯を一口。落ち着く間もなく泣きじゃくる赤子をあやし始める。
一葉は女性の横に座り、ゆっくりと事情を聞きだす。
女性の名は、瀬名 春。年齢は二十六歳。
去年出産した一人娘の”凛”との買い物帰りに、後を付けられていると感じ逃げていた。
そんな時たまたま目に入った何でも屋の看板。そして、そこから顔を覗かせる一人の少女。一か八かの思いで声を掛けて今に至ると。
「ストーカー....ですよね。そんな事する人って。ちょっと見てきますね」
一葉は玄関を出て外を見渡すが人影は見当たらない。ひとまずは安心。事務所内に戻ると、鍵をしっかりと掛け、瀬名の元へ。
息切れは収まった様子だが、未だ恐怖の色は抜けず、肉体的にも精神的にも追い詰められている瀬名に一葉はどうする事も出来ず、モヤモヤとしていた。
どうしよう....こういう時どうすればいいのかな....
警察....はダメか。瀬名さんが何か被害にあった訳じゃないし動いてくれないよね....
「明日、誕生日なの。この子の」
静かに、それでいて物悲し気な声で話し始める。
「そ、そうなんですね!おめでとうございますっ!」
「でもこんなことに....なれるかしら....一歳に」
顔を見なくても分かる。瀬名は泣いている。
そんな涙を一葉は見過ごせなかった。
「瀬名さん!見て下さい!」
視線を誘うと、手中にレイピアを編み上げた。
「これで!二人を守ります!!私がストーカーを撃退しますから!!」
棒切れを振り回す子供に頼りがいなど感じられるはずも無い。
しかし瀬名には頼る相手が居ない。反対する家族と縁を切ってまで強行した結婚。妊娠の発覚と共に突きつけられた離婚届。
手を差し伸べてくれる者が一人でも居るのなら、掴まざるを得ない。
誰でもいい訳ではないが、助けてくれる人など居ない。
藁をも掴む思いで絞り出した言葉。
「そっか....じゃあ、お願いしようかな」
瀬名は分かっている。この少女に出来る事など何もないと。
「あの、帰れそうですか?それともここに泊まっていきますか?」
「いえ、流石に帰ります。この子の為にも....」
「分かりました!送ります!!」
”店には千羽を立たせる”そんな文言を思い出してか、必要であれば宿泊まで視野に入れていた一葉。
状況を見て言い出そうと考えていたが、まずは護衛。無事に二人を家まで送ることが大事だと自身に言い聞かせる。
サッと着替え、メモを残すと女性を連れ事務所を出た。
危険にいち早く気付けるよう前に立つべきか。背後からの脅威に対応出来るよう後ろに立つべきか。
うろちょろしながらも、瀬名との談笑、泣き出した赤子に変顔で対応、不意に現れた動物に二人で驚く。
など、互いに距離を縮め自宅に着く頃には既に友人になっていた。
自宅は意外にも豪勢な二階建ての一軒家。いかにもお金持ちといった内装に、思わず声が漏れる。リビングの椅子に腰を降ろすと、一葉はお願いをしてみた。
「あ、あの....赤ちゃん....触ってみても良いですか?」
「えぇ、もちろん。凛も喜ぶと思うわ」
「ほんと!?じゃあ....あっ、まず手を洗わないと!」
初めて見る少女に目を丸くする子供。柔らかで張りのある頬に指の腹をあてがってみる。
もちもちもちもち....
「いやーーー!!可愛いぃぃぃぃい!!」
小さな天使に大興奮の一葉と、この光景を永遠に見ていたい瀬名。
そんな幸せ空間をぶち壊したのは、意外にも小さな環境音だった。
キィィィィ........
一葉が捉えたのはゆっくりと扉が開く音。
瞬時に鼓動のペースが上がる。
「....!?今のは....」
「え?今の?」
二人の間に緊張が走る。
瀬名は子供を抱きかかえると、レイピアを構える一葉の後ろへ。
泣きじゃくる子供をなんとかあやしながら、音のなった二階へと向かった。
一歩一歩ゆっくりと階段を上ってゆく。
切っ先に現れる恐怖心は、瀬名に背中をさすられた程度では消えない。
登り切った正面、扉が九十度に開き視界が遮られている。
腰をかがめ、僅かな隙間から覗いてみるが、影は見えない。
だから安全かと言えば、もちろん違う。しかし、だからこそ扉を開いて確認しなければならない。
「もし誰か居たらすぐに下へ」
「分かりました。でもあなたは?」
「話が出来そうなら話します。....じゃあ行きますよ」
レイピアで取っ手を手前にゆっくりと引いた。そこには誰も居ない。
扉に背を付けそっと室内を覗くも、やはり誰もいない。
その時一緒に覗いていた瀬名が声を上げた。
「あっ、窓だ」
大きな窓が開いている。この家のシンボルとも言えるような大きな窓。
時より、冷たい風が室内に吹き込む。
瀬名に追って一葉も察した。
「あー、風でドアが開いただけかぁ....もー!びっくりした!」
「うぅ....申し訳ないです。窓を閉め忘れるとはお恥ずかしい....」
「いやいや!誰もいなくてよかったですよ!」
「ははは....何かお詫びを....そうだっ!もし良ければ晩御飯食べていきませんか?」
「わっ、やった!食べたい食べたい!」
二人は一階へ。
どことなく感じる違和感。ここへ来るとき外から見えた窓は閉まっていた気がする。
結局、宿泊することになった一葉。
状況が状況なだけに強い不安で眠れない瀬名は、リビングで一人白湯を片手に不安と戦っていた。
なぜこんな目に合わなければならないのか。恨みを買った覚えはない。
いつ手を出されるのか。明日?今日?一時間後?十分後?地震の到来を予想するように考え始めたらキリがない。
それでも願いは一つだけ、それは子供が無事であればいい。それ以上は求めない。
長い夜も気が付けば冷える朝に。一睡も出来ず自身の朝食の準備に。
一葉が目を覚ましたのは十四時。ふかふかのベッドが快適すぎて気づけば昼に。
挨拶もそこそこに昼食へ。一葉は昨夜から楽しみにしていた事があった。
「凛ちゃんの誕生日ですよね!今日!」
「ふふっ、そうね。食べ終わったら買い物に行きましょうか」
三人は近くのデパートへ。誕生日プレゼント代を渡されそうになるも、これを拒否。
一葉は本屋へ向かい、昨晩から決めていた目的の物へ一直線。
あっ!、あったあった。”外髪はね子の探偵譚”。これなら喜んでくれるはず。
待ち合わせまで....まだ二十分か、漫画物色していこっと。
集合場所に到着したのは待ち合わせ時間の五分前。瀬名は既にそこに居た。
三人は買い物を楽しみ、食事も済まして帰宅すると十八時になっていた。
「ねぇ、一葉さん。依頼料っておいくらですか?」
「依頼料?....あっ、そういえば仕事だったの忘れてた!」
「この二日楽しい思いをさせてもらったし、なによりお仕事でしょう?」
「お仕事だけど....なにもできなかったし....」
先ほどまでの元気さが嘘のように、シュンと肩をすくめてしまった。
「いいえ。一葉さんは頑張ってくれたわ」
目を潤わせた一葉を優しく抱き寄せると、言葉を続ける。
「凛がこうして無事に一歳になれたのも、記念すべき誕生日がこんなにも楽しいものになったのも貴方のお陰。貴方がいたから安心して過ごせた。本当にありがとう」
落ち込んだ心を救い、優しく包み込むような温かい言葉。
母親にしか出来ない慈愛に満ちた抱擁に、ボロボロと大粒の涙を流し力いっぱい抱きしめた。
そんな一葉に呼応するように赤子も泣き始めた。
両手に子供を抱えあやすこと一時間。意外にも先に泣き止んだのは実子の凛だった。
一葉が落ち着いたのを確認すると、お楽しみのケーキタイムに。
その時、再び聞こえたのは風に押される扉の音。
キィ........キィ....
一葉は二階に向かった。窓を閉めてくる。と言い残して。
上階へ向かう一葉の足取りは軽い。音の正体は分かっている。それに、頭の中はこの後のお楽しみでいっぱいだった。
案の定扉は開いている。室内に入り、窓を閉めようとするが閉まらない。
窓の中心に何かが付いている。紐。それも長く、結んで出来た玉が等間隔に並んでいた。
一葉はこれをアニメ”魔法中年”で見たことがある。
作中では高所に上る為に使われていた道具。それも、そのほとんどが侵入のため。
今日、今季最強の寒気が一葉を襲った。
一葉「わーーん!わーーん!」
瀬名(泣き方可愛いな....)




