第7話 過去からの使者
深い森に存在する開けた空間。
盛大に破壊された洋館の前で、霧沢直也は驚愕に打ち震えていた。
「お前、は……澤島真人!? 生きて、いたのか?」
「その反応は酷いな、適格者。そっちこそ、元気そうで安心したよ」
すらりとした長身の青年は、甘いマスクに柔和な笑みを浮かべた。
男にしては長めの茶髪は、先端の色だけが抜け落ちて白くなっている。だらんと不自然に垂れ下がった右腕。頬には生々しい火傷の痕が残っていた。白いシャツの上にライムグリーンのブラウスを羽織った至って普通の服装。それでも目が離せないのは、纏っている雰囲気の禍々しさ故だろう。
金縛りにでも遭ったみたいに、全身が強張る。
その緊張は圧倒的な強者と対峙した時に似ていた。勝てるかどうか分からない敵に立ち向かう時の恐怖や不安。喉がカラカラに干上がり、全神経が臨戦態勢へと研ぎ澄まされていく。
「……直也、先輩?」
白詰氷華の問い掛けに答えるだけの余裕がない。僅かでも目を離せば問答無用で殺される。そんな予感。長年培ってきた感覚が、澤島真人を最大限の脅威と認識するよう警告していた。
「そっちの子は、直也の後輩かい? へぇ、二人ともラクニルに通っているのか。羨ましいね、君は虎から逃げ出した後も楽しく過ごしている訳だ」
「どうして、真人さんがここに……?」
「雇われたんだよ、閉鎖された『虎の院』を調査して欲しいってね。実は半年前に天城家とは縁を切ったんだ。それから傭兵の真似事で生計を立てていて、今回もその一環だよ。依頼主から聞いた話じゃ、三日前に侵入した連中はここにあるはずの物を見つけられないまま撤退を余儀なくされた。そこで当時の関係者である僕に白羽の矢が刺さった訳さ」
長い前髪を左手で掻き上げた侵入者は、自信に満ちた声で告げた。人差し指に嵌めた銀色の指輪が、キラリと夏の陽射しを反射する。
「それで直也、君こそ可愛い後輩と一緒にこんな所で何をしてるんだい? 随分と怖い顔で僕を睨んでいるけど」
「惚けるなよ。答える必要なんてないだろ」
「弱ったな、適格者と戦うのは骨が折れる。まあだけど、君が本気になるのも仕方ないか。直也なら、僕の目的だって想像できるだろうしさ」
「やっぱり、アレが狙いか!」
背中に手を回し、長細い巾着袋から訓練刀を取り出す。鍔のない長刀を右手で持ち、切れ長の両目を鋭く細めた。水晶を加工したみたいな刀身が、その漆黒によって夏の陽射しさえも吸収している。
対する侵入者は、目の前に好みの料理が出てきたみたいな顔になって、
「その反応ってことは、ここには残っている可能性がある訳だ――あの人体実験のデータが。用心深い先生の事だし完全に消去はしてないと思ったんだよ」
「人体実験の、データ……?」
半歩後ろにいる氷華が眉を顰めて、こちらに視線を向けてくる。どう答えようか迷っていると、澤島の顔に毒の滴る笑みが浮かんだ。
「何だお嬢さん、直也から聞いていないのかい? そいつの正体がただの天才じゃなくて、薬漬けの怪物だって事を」
「え……?」
「界力活性剤ってクスリは知ってるだろ? 服用した界術師の界力下垂体の能力を飛躍的に向上させる増強剤さ。用法と用量を守らなければ、絶大な力と引き替えに服用者を廃人にする悪魔の薬だけど、使い方によっては全く別の効果を引き出すんだ」
「……ッ、真人さん!」
それ以上は口にするなと睨み付けるも、かつての先輩は歯牙にも掛けない。
「界力演算領域の拡張。界術師が界力術を発動する時に使う精神領域の容量と性能の限界を突破させるのさ」
「……常人の三倍の、界力演算領域」
「その通りだよお嬢さん、直也の体は悪魔の薬を受け入れた。天城家の悲願である『始祖龍』の召喚者になれる資格を手に入れた訳だ。故に、適格者。十年に一人の逸材として周りから期待されていたんだよ。この界力活性剤を使った人体実験の事を、天城家では――」
「『黒き目覚め計画』、と呼んでいたんだ」
我慢できないと言わんばかりに、霧沢は苛立った声音で無理やり会話に割って入る。
「最強の界力獣である『始祖龍』の召喚者を生み出す為に、天城家が何十年も秘密裏に行ってきた最悪の人体実験だよ。『施設』に入れられた子どもに、何も知らせずに薬を服用させてデータを取る……百人以上が犠牲になっていたはずだ。俺だって、この実験のせいで何人も大切な仲間を失った……っ!」
「酷い話だよ、栄養剤だって言われて注射されていたクスリが界力活性剤だったんだから。クスリに適性のなかった連中は、みんな死ぬか廃人になってしまった。僕達は幸運だよ、今もこうして生きている」
「わざわざ探しに来るんだから、黒幕は天城家じゃない。一体誰に雇われた? どうして黒幕はここに実験データがあるかもしれないって知っていた?」
「教えられる訳がないだろ。まあ一つ言える事は、界力活性剤のデータってのは意外と色んな人や組織に需要があるみたいだよ。それが界力下垂体を効率良く強化する方法を探る為なのか、それとも全く別の目的の為なのかは知らないけどさ」
「……別の、目的? なんだ、それは」
「さあ? ご想像にお任せするよ」
わざと神経に障るように、澤島は左手を軽く振ってみせた。
「だったらもう訊かない。どちらにしても、真人さんをここで止める事には変わりないよ。話は拘束してからゆっくり聞けばいい」
「やる気になっているみたいだけど、それは君が命を張る事なのかい? 自ら天城家から逃げ出した君が、今更になって当事者面ってのは筋が違う気もするけどね。どうだい、ここはお互いに見なかった事にするってのは」
「ふざけるな。どんな状況でも、あのクスリのデータが流出するのを黙って見過ごせる訳がないだろ。もう二度と、あんな悲劇を起こさせはしない。それが生き残った俺の使命だ」
「……使命、ねぇ」
飄々とした優男はくつくつと愉快そうに喉を鳴らす。
「何が可笑しい?」
「いや、律儀だなと思ってさ。それとも、復讐でもするつもりなのかな? 先生が起こしたクーデターを失敗させて、君以外の虎のメンバー全員を死に追いやった僕に対して」
「そういう気持ちは、ゼロじゃない……あの時からずっと、貴方の事は殺したい程に憎んでいる」
地獄の底から漏れ出したような低い声。心を支配しているのは全身の血液が沸き立つ程の怒りだ。冷静さを失わないギリギリの境界線を維持しながら、瞋恚の炎に彩られた眼光でかつての先輩を睨み付ける。
じり、と背後から足音。
見てみれば、ラクニルの後輩が怯えた表情を浮かべていた。
これ以上は無関係な氷華を巻き込む訳にはいかない。
何歩か前に出て、呆然と立ち尽くす少女を背中に隠した。
「氷華、俺から離れていてくれ。あいつは、俺が一人で倒す」
「い、いえ! 氷華も戦います!」
氷華は首を振ってから毅然と顔を引き締める。だが、かなり無理をしているのだろう。小刻みな体の震えには、隠し切れなかった恐怖心がありありと見て取れた。
「駄目だ、氷華は下がっていてくれ」
「ど、どうしてですか! 二対一の方が有利なはずです! 試合でもないんですから一対一に拘っても意味がないでしょ! それに氷華だって、先輩の役に立ちたいんです!!」
「その気持ちだけで充分だよ。これは天城家の問題なんだ、関係ない氷華を巻き込む訳にはいかない。それにここから先は殺し合いになる。何かあっても助けられる保証はないんだ」
「……足手纏いだって、そう言いたいんですか?」
真冬の雨よりも冷たい声が、俯いた後輩から発せられる。
だが、逡巡は一瞬。
霧沢は氷華から視線を切って、正面に向き直った。
「……ごめん」
「っ!」
小さく空気を振動させたのは、息を飲む音。
何を諦めて、何かを押し殺すような、静かな失望。
「……氷華はまた、脇役止まりなんですね」
ただ一言、そう呟くと氷華は敷地の端へと走って行った。
離れていく足音を聞く度に、引き裂かれるよりも鋭い痛みが胸に走る。氷華の気持ちも分かるが、これは特班での活動とは違うのだ。状況がここまで来てしまった以上、明確な線引きは必要である。
「なんだ、僕は別に二人掛かりでも良かったのに」
「随分と自信家になったな。一度も俺に勝った事がないくせに」
「あの頃の僕と同じだと思わない方が良い。足下を掬われて瞬殺なんて興醒めな事はやめてくれよ」
澤島は好戦的な笑みを浮かべると、銀色の指輪を嵌めた左手を持ち上げた。
対する霧沢は夏服のポケットから御守りを取り出す。神社に行けばどこでも買えそうな有り触れた巾着袋を、大切そうに胸の前で握り締めた。
「その『御守り』」
澤島が意外そうに眉を持ち上げる。
「何か?」
「いや、今でもまだ持っていたんだって思ってさ」
「俺にとって、これは思い出だから。あの時の想いを忘れない為の」
「そうかい」
「そう言う真人さんは、指輪を付ける手を変えた? 確か前は利き腕だった右手に嵌めてたはずだ」
「驚いた、よく見てるな。実は動かなくなったんだよ、右腕。直也のお友達が最後に余計な事をしてくれたせいで」
不自然に垂れ下がる右腕に視線を落とす。顰められた眉に浮かぶのは、はっきりとした苛立ちの色だった。
「直也、君は僕の事を殺したいほど憎んでいると言ったね。だけどそれは、僕の方も同じだ。お前さえ現れなければ、僕はこんな後悔に苦しまずに済んだ。何度も、何度も、君の存在を呪ったよ。こっちの苦労や気持ちを考えないで僕からチャンスを奪い、上の評価を勝ち取っていくお前が目障りだった」
「逆恨みだな。自分の能力の低さを、他人のせいにするなんて論外だ」
「君にはこの悔しさを理解できないよ、適格者。天から力を与えられて、上からチャンスを貰って、望み通りの結果を出せる天才にはさあ……! お前さえ現れなければ、あんな最悪な結末にはならなかったんだからな!!」
気勢鋭く叫ぶと同時に、澤島の左手で指輪がオレンジ色の輝きを放つ。燃え盛る火焔の如き界力光は、内に秘めた憤怒を映すように苛烈で、炯然と周囲を照らした。
「だから感謝してるんだ、この巡り合わせに。あの時、お前を殺せなかった事をずっと悔いてきたからな。覚悟しろよ、適格者。溜まり溜まったこの恨み、利子を付けてキッチリ晴らさせてもらうぞ」
「望む所だ。清算できなかった過去に終止符を打ってやる」
対する霧沢の全身からも赤い界力光が迸り、花弁みたいに広がっていく。
それは、天城家の界術師とっての合図だった。
共に過去に忘れ物をしてきた二人が。
正面から、激突する。
「来いよ、風狼――鋭く切り裂く嵐を纏いて……!」
「出てくれ、白流蛇――不浄の毒で絶望を満たせ……!」
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