008 / 実戦訓練
【3年前 4月】
真夜中の森の中。
澤島真人は樹に背中を預けた状態で座り込んでいた。
額から滴る汗が頬の傷に触れて刺すように染みる。身動きする度に硬い樹皮で背中が擦れた。発熱したみたいに燃え上がる身体。酷使された肉体が抗議しているのか、呼吸するだけでジクジクと全身が軋んだ。
「見たか……僕だって、やる時はやるんだよ……っ!」
少し離れた樹の根元でぐったりしている鷹の界術師に対し、途切れ途切れに告げてやる。土の上で呻いている青年は、夜の藍色に沈んでしまって見えにくい。目を凝らしてようやく体の輪郭が浮かび上がる程度である。
勘違いしてはいけないが、マナトは本当の意味で無能という訳ではない。
先日、天城家の幹部に散々怒鳴り散らされていたが、あれは界術師としての能力と言うよりも、根回しや説得といった立ち回りの悪さが原因。もう少し器用な性格なら、同じ状況に陥ったとしても上手く乗り切っていただろう。逆に言えば、今回の実戦訓練みたいな場ならそれなりの結果を残せるという訳だ。
『虎の院』がある三重県山間部で行われた『鷹の宮』との実戦訓練も、開始してからすでに数十分が経過していた。
舞台は視界が悪く、進行ルートも制限される森の中。普段から訓練等で走り回っている分、地の利はこちらの虎にある。とは言え、相手の鷹が六人フルメンバーなのに対し、虎は霧沢直也の無謀な申し出のせいでたったの二人。本来なら協力するべきなのだが、マナトは勝手に単独で行動していた。ナオヤと協力すれば戦果を独り占めできなくなるし、何よりも生意気な新入りに背中を預けたくはなかったのだ。
単独行動中に鷹の界術師二人を発見。こちらに気付いていなかったため、不意打ちで一人を撃破。残りの一人を何とか戦闘不能に追い込んで現在に至る。
「(実戦経験が豊富なのは僕だって同じだよ。何年間も無意味に虎で活動してる訳じゃないんだ、正面から戦えば負けはしない)」
一人で二人の敵を倒した。これは充分に誇って良い戦果だろう。少しは両親の機嫌を取れるはずだ。
荒い呼吸を落ち着かせながら頭上を見上げる。
肌寒い風で影となって揺れる梢。生い茂った葉の隙間からは、薄く裂けた月華が射し込んでいた。僅かに覗く黒い夜空には幾つもの星影が見て取れる。満足いく成果を打ち立てた後だからか、全身を支配する緊張を忘れて思わず見蕩れてしまった。
「(さてと、これからどうするか)」
右手には自動式拳銃を模した銃型界力武装が握られている。ナオヤの刀と同じく、戦闘力を底上げするための武器。遠距離武器を選んだのは、身体強化が苦手で近接戦闘に自信がなかったからだ。
ふと、視界の端にオレンジ色の光が過ぎった。
見てみれば、肝試しの人魂みたいな光の球が頭上でぐるぐる旋回していた。夜闇に黄色い円を刻んでいるのは、青色の折り紙で作られた鳥だ。
「(あれは、マユの界力獣か)」
記憶次元から界力獣を招び出すのではなく、『種』を埋め込む事で対象物を界力獣に変える萌芽師。幼馴染みである佐伯真由の対象物は紙によって形取られた獣だ。現代の感覚に直せば、陰陽師が使っていた式神に近いか。擬似的な偶像崇拝である。
「(だけど、本当に戦闘に向かない術式だよな……索敵とか偵察には最適なんだけど)」
感覚共有という界力獣と術者の繋がりを利用して、マユは界力獣を通じて景色や音声を認識できる。こちらの言動は全て筒抜けと思った方が良い。過去に同様の状況で余計な事を口にして痛い目を見たりしている。
折り紙の鳥には小型のカメラ装着されていた。おそらくは何匹もの界力獣を同時に操作して、実戦訓練の様子を中継しているのだろう。この辺りの技術力や器用さは、何年も虎で積んできた経験の賜物である。
「(くそ、僕にもう少し力があれば……!)」
浮遊する鳥の折り紙を見て、唇を噛んだ。
右手の人差し指に嵌めた銀の指輪。これは二年前の誕生日にマユから貰った物だが、その時にある約束をしていた。
——僕がマユを守るよ。許婚として、幼馴染みとして、一人の男として、君を危険から遠ざけるまで強くなる。だから、もし僕が力を付けて、君を守れるようになったら、僕と一緒になってくれないか?
一つ歳上の幼馴染みは戦闘向きの界術師ではなく、昔は訓練に付いて行けずに苦労していた。今では情報収集のプロとして任務に就いているが、それだって心と体を犠牲にする過酷な役割だ。今は大丈夫でも、いつかは限界が来てしまうだろう。
その前に、救い出す。
強くなって、誰にも文句を言われないくらいの力と立場を手に入れて。
暗い闇の底にいる幼馴染みを助ける為には、こんな場所で、鳴り物入りで現れた生意気な後輩に負ける訳にはいかないのだ。
マナトは衣服に付いた土や草葉を払い落とし、足を引き摺るようにして歩き始める。
「(さて、ナオヤはどうなった?)」
敵チームの残りは四人。別行動中の生意気な適格者一人では手に余るはずだ。
かと言って、マナト自身の状態も芳しくはない。界力獣は倒されてしまい、しばらく召喚できそうにない。体力も限界が見えている。今の段階で会敵しても、無様な姿を晒すだけだろう。
となれば、最高のシナリオは、ナオヤが戦闘不能に陥った上での虎の敗北。
過度な期待を掛けられて、大口を叩いた上で情けなく散るのだ。適格者という理由だけで持て囃していた上層部も評価を改めるはずだ。対してマナトは最低限の仕事をしているため評価は下がらない。むしろ「あいつ意外とやるじゃん」と思ってもらえれば上出来。試合に負けても、勝負にさえ勝てば良いのだ。
ようやく砲身が冷えてきた自動式拳銃をホルスターに入れる。山の斜面から盛り出した木の根を跨ぎつつ夜の森を進んで行く。
ドッッッ!! と。
体を叩くような轟音で、周囲の景色が跳ね上がったのはその時だった。
「(……ば、爆発?)」
まるで遠雷。
木々の向こうから聞こえる戦闘音は、爆撃機に攻撃されていると錯覚するほど激しい。時折カメラのフラッシュみたいに夜闇を打ち消すのは界力光の輝きだろうか。不自然な強風が長めの前髪を揺らして、静かな夜に嵐のような荒々しさを連れて来る。
「あれは……?」
最初、森の中に開けた空間があるのかと思った。
だが違う。
不自然に明るく感じたのは、木々が何本も薙ぎ倒されて月光を遮る物がなくなっていたからだ。無理やりへし折ったせいで、ギザギザと繊維や筋の残った切り株達。適当に放置された倒木が戦闘の激しさを物語っていた。
その中心にいるのは、一人の少年。
さらりと纏まる黒髪に、幼い顔立ちには似合わない切れ長の両目。月華に濡れた刀剣よりも静謐な雰囲気を放っているのは、適格者――霧沢直也だ。
様子を窺おうと木陰に隠れた――瞬間だった。
突風。
立っている事すら困難な強風が吹き荒れる。咄嗟に両腕で顔を守るだけで精一杯。重心を落として転倒しないように踏ん張りながら、腕の隙間から目線を通す。
「……な、にっ!?」
竜巻だった。
夜の藍色を吸い込んだ暴風の鎧が、適格者を中心に天を衝く勢いで屹立している。
だが、マナトが驚いたのは界力術の規模ではない。
目を疑ったのは、生意気な新入りが纏っている赫々《あか》とした輝きで編まれた衣だ。狼を彷彿とさせる毛並みに、尾骶骨から伸びる長い尾に、四足歩行の名残とも取れる前傾姿勢。二本足で立っている事を不自然に感じる見た目は、獣という存在そのものが乗り移ったようにも思えた。
「……『憑依』、だと?」
召喚した界力獣を術者の肉体に取り込む技術だ。『人間という枠組みを破壊する』という天城家の方針が生み出した召喚術式の真骨頂である。
界力術的にも、物理的にも、人体を軽く凌駕する界力獣をその身に宿すのだ。人間同士の戦いに空想上の怪物を投入するようなもの。その効果は絶大だが習得難易度は非常に高く、訓練しても一握りの天才しか発動できないとされている。
「(ふ、ふざけるな! ナオヤはまだ13歳だぞ!? 初期教育を終えたばかりのガキが発動したって言うのか!? 有り得ない……認めて堪るか、そんな異常事態!! 僕が……どれだけの術者が、習得を諦めてきたと思っているっ!!)」
当たり前の顔で高等技術を扱うガキを見て、マナトは思わず唇を噛んでしまった。数学の専門家が長年解けなかった超難問を、その辺の小学生が難なく解いてしまったみたいな状況。拍手なんて送れない。胸の中で煮えたぎるのは、自らの努力を無価値に貶めた才能に対する怒りだけだ。
対峙する鷹の界術師は一人。
短髪に刈り込んだ三白眼の青年。彼の周りで倒れている人影は他の三人の界術師か。短髪の青年も肩で息をしていて、今にも崩れ落ちそうな程にボロボロだった。単独で向き合っているという事は、すでに界力獣は倒されて召喚できなくなっているのだろう。
短髪の青年が、姿勢を低くして走り出す。
腰溜めにしているのは刃が湾曲した短剣。溶け出しそうな程の眩耀に包まれた刀身が、夜闇を引き裂いて黒い暴風を纏うナオヤへ肉薄する。
対するナオヤの対応は、実にシンプルだった。
握っている黒い刀を、横に振るう。
それだけで、勝敗が決した。
黒い暴風が莫大な衝撃となって撒き散らされる。嵐を凝縮して一気に解放したような一撃。ナオヤの正面の地面は大きく抉れ、後方に放たれた余波だけで森全体が捲れ上がった。
砲弾のような勢いで吹き飛んだ短髪の界術師が、数メートル先の樹に背中から激突する。命の心配をしたくなる程に派手な音。その後、大量の木の葉と共に地面に落ちた青年が動き出す事はなかった。
憑依を解除したナオヤの全身から、赫い衣が陽炎みたいに薄れていく。思い出したように夜の静寂と暗闇を取り戻した森の中で、ナオヤは汗一つ掻かずに涼しい顔を浮かべていた。
「(……た、たった一人で、四人の格上を倒した?)」
圧倒的。
わずかな綻びすら見つけられない完勝。
「(ふざ、けるなッ!!)」
近くにあった樹の幹を思いっ切り殴り付ける。
ここまで凄まじい戦果を打ち立てられれば、たった二人の敵を倒しただけのマナトには誰も注目してくれない。文句の付けられない結果を示したナオヤは、更に天城家上層部から期待されていくだろう。そうなれば、どれだけ自分が努力しても誰の目にも留まらなくなるだろうし、最悪の場合は活躍のチャンスすら回ってこない可能性もある。
「(どうして、僕の邪魔をするんだ……)」
胸中に去来したのは、禍々しい色をした感情の渦。
才能やセンスといった先天的な素質のせいで、凡人たる自分の存在感が霞んでしまう。死ぬような思いで積み重ねてきた結果も、色々な物を犠牲にして積み重ねてきた努力も、津波に飲み込まれるように一瞬で消え去った。
これを理不尽と言わずに何と言うのか。
こっちの苦労など知らないくせに。
どんな想いで、プレッシャーや両親からの罵倒に耐えているのか考えた事すらないくせに。
――お前さえいなければ……っ!
脳裏を過ぎったのは、殺意にも似た黒い想い。
木の幹を殴った拳からは、薄らと血が滲んでいた。
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