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メソロジア~ブラック・ストーム~  作者: 夢科緋辻
第4章 ラスト・リグレット編
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005 / 虎の院

【3年前 4月】


 そこは、古い洋館だった。

 床には赤い絨毯が敷かれ、白亜の壁には等間隔に古風アンティークなランプが設えられている。重厚な木製の扉や、飴色の光沢を帯びた階段のり。明治時代を舞台とした映画のセットだと言われても信じられそうな建物は、『トラいん』関係者が生活する宿舎である。


 そんなメイドさんや執事がいても違和感のない長い廊下を、きりさわなおほそわきかげはる桜小路さくらこうじ絢萌あやめと一緒に歩いていた。


「にしても、なんで本家のお偉いさんがこんな山奥にまで来るんだ?」


 両手を頭の後ろで組んだカゲハルが適当な調子で言う。窓から差し込む春の陽射しを受けて、銀のイヤリングがキラキラと光っている。


「……カゲハル、本当に話を聞いてないんだね」


 盛大に溜息を吐いたアヤメは、聞き分けの悪い子どもを諭すように、


「昨日、マナトさんが言ってたでしょ? トラタカで実戦訓練をするから、その段取りを説明してくれるって」

「そうだっけ? ナオヤは覚えてたか?」

「まあ、一応は」

「ケッ、何だよ良い子ちゃん振りやがって」

「ナオヤ君、歳下なのにしっかり者だからね」

「……そういや、アヤメとナオヤは初期教育で同期だっけ?」

「うん! ナオヤ君が訓練過程を一年で終わらせちゃったから、卒業のタイミングが一緒になったの」


 もちろん他にも同期は何人もいたのだが、全員が初期教育で命を落としていた。初期教育の生存率はたったの一割だ。生き残る人数の方が圧倒的に少ない。


「カゲハルだってあの初期教育を生き残ったんだし、もう少し真面目にすればいいのに」

「無理だね、無理。俺は今を適当に生きるって決めてんだ。いつ死ぬかも分からねぇ生活で、先の事なんか考えても意味がねぇよ。それに、タカとの実戦訓練でやる気が出る方がどうかしてるぜ」


 赤い短髪の少年は、心底憂鬱そうに続ける。


「実戦訓練なんてやるだけ損だよ。緊張感を出すために武器や界力術の制限もねぇから、何かの拍子でうっかり殺されちまう事だってある。任務で死ぬならまだいいが、こんな大して意味もねぇ場所で殺されるのだけはゴメンだね。しかも最悪な事に、今回の相手は圧倒的に格上だ。悪いが、サンドバックになる趣味はねぇよ」


 ヒラヒラと手を振ると、ばつが悪そうな顔になって歩くスピードを上げる。この辺りは一年早くトラで活動しているカゲハルだからこそ分かる感覚なのだろう。


「うん、来たね。時間通りだ」


 目的地である応接室の前では、すでに一人の青年が待機していた。


 人畜無害を絵に描いたみたいな優男だ。

 男にしては長めの茶髪が、優しげな目許で流れている。すらりとした長身に、テレビに出て歌って踊っていても違和感のない甘いマスク。若手イケメン俳優と言われても信じられそうだ。何が起きても風の如くいなしてしまいそうな物腰が、言動に聡明さと信頼感を与えていた。


 さわしままな

トラいん』最古参の界術師で、代表リーダーとしてチームを纏める19歳だ。


「これで全員揃ったね。後は先生とお客様を待つだけかな」

「全員? おいおいリーダー、一番鬱陶しいヤツを忘れてねえか?」

「ルリカの事? それなら、ほら」


 マナトが唇の端から笑みを漏らして、こちらに指先を向けた――瞬間。


 わあっ!! と。

 甲高い女の子の声が、背後から鼓膜に突き刺さった。


「食らえ赤毛ノッポ! こいつは昨日の夜の分だ!!」

「ぬおばっ!?」


 全くの無防備だったカゲハルの背中に、何やら小さな存在がタックルを決める。背筋を反ってくの字になった赤毛ノッポが、そのまま勢い良く廊下の赤い絨毯に額を衝突させた。


「フハハハハっ!! 待ち伏せに気付かないとは情けないぞ、バカゲハル! 今回はルリカの完全勝利だぜ!! 大人しく負けを認めるがよい!!」


 フン、と鼻息荒く平らな胸を張ったのは、見た目が10歳くらいの女の子だった。

 溌剌とした顔付きに、発達途上の身体。からくれない色のショートカットは落ち着きのない性格を表すみたいにカールしていて、くりんとした瞳は無垢な光で満ちている。常にニコニコと楽しそうな笑みを浮かべる様は、まるで真夏の太陽を燦々と浴びるヒマワリみたいだった。


 あいさとるりか。

トラいん』最年少の界術師であり、生粋の問題児である。


「テンメェ……やりやがったなルリ坊ぉっ!」

「お、なんだヤンのか赤毛ノッポ! いいぜ、受けて立ってやる! 今日のルリカは負ける気がしないぜぇ!!」

「上等だ、表に出ろ赤毛チビ! ガキだからって容赦しねえ!!」


 ぎゃーぎゃー騒ぎ始めたデコボコ男女二人組。不良少年に小学生女児が絡まれているような光景を呆れ顔で眺めていると、みんなのお母さんアヤメがそわそわした様子でトラのリーダーに駆け寄って行く。


「マ、マナトさん!」

「大丈夫だよ、アヤメちゃん。もうすぐ来るから」


 キュルキュルと、タイヤのゴムが擦れる音が聞こえた。廊下の角から顔を出したのは、車椅子に座るミステリアスな男性――はいしおわたるだ。

 長身痩躯な『トラいん』の管理官は、しばし呆然とした様子でいがみ合う問題児二人を眺める。うすふじ色の長髪をけた手で押えながら、疲れた顔でマナトに視線をやった。


「……えーと、マナト君。一応聞いておくけど、これはどういう状況?」

「ご想像通りですよ、先生。いつものじゃれ合い(ケンカ)です」

「はあ……ごめん、マユちゃん。車椅子を押してくれる?」

「分かりました」


 そう答えたのは、車椅子の後ろに立っている清楚な女性だった。

 長い睫毛に彩られた両目には蠱惑的な瞳が浮かび、形の良い唇には薄く紅が塗られている。高嶺の花という言葉が似合う妖艶な顔立ちで、グレージュカラーの長髪に包まれた麗しい肢体は青さの抜けた果実のようだ。他者を寄せ付けない気高さを放っているが、その中には人に懐かない猫みたいな可愛らしさも内包されていた。


 えき

 マナトと同じく長年『トラいん』で活動する界術師だ。


 ファッション雑誌の表紙を飾れそうな美人に押され、キュルキュルと車椅子が廊下を進む。接近に気付いたのだろう。縄張り争いをする猫みたいにカゲハルを威嚇していたルリカが、雷光じみた速度で灰汐に飛び付いた。


「先生ぇーーーっ!! 助けてください! 赤毛ノッポに襲われています!!」

「あ、こらルリ坊! 先生を頼るのは卑怯だぞ!!」

「安心してカゲハル君。ルリカちゃんも君も、明日の基礎トレーニングは倍にするから」


 うぎゃあああああ!! と膝から崩れ落ちる二人を尻目に、車椅子に乗った灰汐は応接室の扉へ近づいて行く。


「先生、お客様は?」

「もうすぐお見えになるよ、さっき本家から連絡があった。マユちゃんもありがとう、ここから先は自分で動かすよ。いつも悪いね、頼りっぱなしで」

「気にしないでください、私が好きでやっている事ですから」


 マユは花びらが散るような可憐な笑みを浮かべた。仕草や言葉遣いに育ちの良さが滲む。良家のお嬢様と言われても信じられるその品格は、一朝一夕で身に付く物ではない。


「さて」


 車椅子に座ったまま、管理官はぐるりと全員の顔を見回した。


「お客様を迎え入れようか。相手は本家のお偉いさんだ。『トラいん』の一員として、恥ずかしくない行動を心掛けくれ」



      ×   ×   ×



 何の変哲もない応接室である。

 ワックスの艶が残る木製の調度品に、額縁に入った絵画。天井からぶら下がるのは豪華なシャンデリアであり、赤い絨毯の敷かれた古風アンティークな室内を暖色で満たしていた。


「――以上が、我々『トラいん』の作戦です」


 資料を手にしたさわしままなが落ち着いた口調で締めた。リーダーとして何かと上官に説明する機会が多いのだろう。甘いマスクの優男は終始慣れた様子だった。


 天城家の界術師育成施設『トラいん』と『タカみや』による実戦訓練。

 任務で現場経験があるとは言え、お互いに立場上は『見習い』同士。すでにプロとして裏社会へ()()された格上の界術師ではなく、同じ立場の相手としのぎを削る事による戦力の底上げとモチベーションの向上が目的となる。


「つまらん。実に退屈で、及第点にも満たない作戦だな」


 紙束を座卓に放り投げたのは、グレーのスーツを着た恰幅の良い男性だった。歳は五十くらいか。ちょび髭を生やした気難しそうなオジサンこそ本日のお客様。『トラいん』と『タカみや』を管理する人事局長――天城家の幹部の一人である。

 風船みたいに膨らんだ腹部でワイシャツを持ち上げるちょび髭は、キンとジッポライターに点火して、口に咥えた煙草タバコに近づけた。


「澤島、サマは本当に勝つ気はあるのか?」

「はい、そのつもりで作戦を立案しました」

「……なるほど、では訊き方を変えよう。この作戦で、本当に勝てると思っているのか?」

「それは、」


 口ごもったトラのリーダーを見て、幹部の男性は失意に顔を染めた。不味そうに煙草タバコを吸い込み、盛大に紫煙を吐き出す。


「断言してやる、この作戦じゃ絶対にタカには勝てんよ」

「た、確かに、作戦としては面白みに欠けるかもしれません。ですが、それはトラタカの戦力差を加味した結果です。数だけ見れば同じ六名ですが、タカが何年も実戦経験を積んでいるのに対して、我々(トラ)は約半数が初期教育を終えたばかりの急造チーム。ですから、経験の差をリーダーの僕が補う配置になっていて――」

「馬鹿も休み休み言え間抜け! サマのような無能が差を補う事などできる訳ないだろ!!」


 堅く握った拳で思いっ切り座卓を叩き付ける。憤怒に彩られた眼光は、トラのリーダーから言葉を奪うには充分な威力を持っていた。


「前の任務でメンバーを失ったのはサマが原因だと言う事を忘れてないだろうな!! 全ての失態はこの私の経歴に泥を塗る事になると理解しているのかこの間抜けッ!!」

「……申し訳、ありません」

「人事局長、お言葉ですが」


 動揺に立ち尽くすマナトを守るように、車椅子に座ったはいしおわたるが顔に険を滲ませた。


「事前に僕も確認しましたが、さわしままなの作戦は理に適っていると考えます。現状の戦力差を鑑みれば、この配置と役割が最適で――」

「口をつつしめ、死に損ない」


 静かな怒りの秘められた声が、応接室の空気を引き締める。


「たかが管理官ごときが、立場を弁えよ。ろくに歩けもしないお荷物の意見など必要ないわ」

「おや、それを言うなら現場を知らないお飾り役員の方が必要ないと思いますが?」

「……なに?」

「ご理解いただけませんでしたか? 前回の作戦の敗因は、上層部から提供された情報が間違っていた事にあります。確か、作戦の総指揮を取っていたのは貴方でしたよね? 当然、参謀本部から提供された情報を下に伝えたのも」

「……私の失態だと言いたいのか?」

「いえ、現場サイドにも落ち度はありましたから。ですが、座り心地の良い椅子を守る為だけに、弱い立場に責任を押し付けるのは如何な物かと思いましてね」

「調子に乗るなよ死に損ない、過去の栄光で生き永らえている寄生虫の分際で!」

「そちらこそ言葉をつつしめ。貴様が卑下した過去の栄光がどれだけの力なのか、今ここでその身に教えてやろうか?」


 刃よりも鋭い紫金石アメトリンの輝きに気圧されたのか、奥歯を噛んだ人事局長は持っていた煙草タバコを指で挟んで折った。やり場のない怒りを発散するために灰皿へ叩き付ける。頃合いだと判断したトラの管理官も眼光はそのままで引き下がった。


 ふん、と恰幅の良い男性は鼻を鳴らすと、未だに萎縮している澤島に目を向けて、


「話を戻すぞ。澤島、考え方を変えてみろ。何故、このタイミングでタカさまら新米チームを戦わせると思う? 天城家上層部は何を期待しているか想像できるだろ?」

「期待、ですか?」

さまの言う通り、タカとの戦力差は歴然としている。立場上は見習いだが、連中はほとんどプロと変わらない。経験と現場を知っている職人に、その道に入ったばかりの素人が勝負を挑むようなものだ。本来なら戦う意味などない状況で、どうしてトラに実戦訓練なんかさせるのか」

「……まさか!」


 瞠目したマナトが慌ててナオヤに視線を向ける。


「その通り、適格者ドラグナーだよ」


 予想通りの反応を引き出せて満足したのか、ちょびヒゲ幹部は脂肪で垂れた頬をにんまりと持ち上げた。


「天城家の悲願である『始祖龍ドラゴン』召喚に手が届くかもしれない逸材。界力演算領域インカイドを常人の三倍も拡大させた天才が、一体どれだけの戦力になるのか。実戦訓練も御当主様直々の命令だよ。どうやら、すぐにでもその力を知りたいらしい」


 当主という言葉が出た瞬間、応接室の空気が一気に引き締まった。カゲハルやアヤメに至っては、幹部の前だという事を忘れて愕然とした顔でナオヤを見詰めている。


「いくら適格者ドラグナーと言えども、肝心の戦闘力が低ければ話にならん。我々が欲しているのは、『始祖龍ドラゴン』を従え戦場を蹂躙するカイじゅつ――分かりやすく言い換えれば『()()()()()()()()()()()()()()()()

「なら、この実戦訓練はトラタカの戦力強化が目的ではなく、適格者ドラグナー――きりさわなおの性能テストが目的だと?」

「そうだ、随分と物分かりが良くなってきたじゃないか。形式上はサマらに作戦を立案させたが、最初から採用なんぞするつもりはなかった。澤島、サマの無能さも予想通りだ。ご両親の嘆く顔が眼に浮かぶよ」

「……っ」


 マナトは何か言い返そうとして、すぐに言葉を飲み込んだ。長い前髪で表情を隠しながら唇を噛む。対する人事局長は弱者を虐めて満足したのか、愉快そうに二本目の煙草タバコに火を付けた。


「人事局長、発言を宜しいでしょうか?」


 ふっと生まれた会話に接ぎ穂に、居住まいを正したナオヤがすかさず口を挟む。

  

「許可する」

「今回の実戦訓練ですが、トラとしてではなく、自分一人でタカの相手をさせてもらえないでしょうか?」

「……む、むむ無茶だよナオヤ君っ!」


 黒いカチューシャを嵌めたアヤメが、思わずと言った様子で澄ましたのナオヤに視線を向けた。蒼白に染まったあどけない顔には、はっきりと不安の色が浮かんでいる。


「相手は初期教育の頃みたいに同年代の子どもじゃないんだよ! いくらナオヤ君が強いって言っても、流石に今回ばかりは無謀過ぎる! 大体、初期教育の時だって無茶ばっかりするから私達がどれだけ心配した事か……!!」

「今も昔も無茶をしてるつもりはないよ。それに、これが最善の選択だよ」

「か、かもしれないけど……」

「前だけを向いて機械のように進み続ける怪物、か……なるほど、噂通りだ」


 目許の皺を深くしたちょびヒゲ幹部は、愉快そうに紫煙を吐き出して、


「で、その意図は? 紛いなりにもリーダーである澤島の意見を無視したのだ。納得のできる説明が必要だと思うが?」

「今回の実戦訓練が自分の性能テストだと言うのなら、これ以上なく効率的な事はありません。それに実戦訓練には負傷の危険性が伴います。人事局長の仰るとおり、我々(トラ)タカに戦力差がある現状では、被害を最小限に抑える意味でも最善の策だと愚考します」

「ちょ、ちょっと待つんだナオヤ!」


 慌ててナオヤに顔を向けたマナトが、眉間に青筋を立ててはんばくする。


「被害を抑えるために一人で戦うなんて……それじゃあまるで、僕達が力不足だって言ってるようなものじゃないか!」

「その点については、先ほどリーダーが自ら説明していたと思いますが?」

「だとしてもだ! 見くびるなよ、適格者ドラグナー。こっちは何年も実戦経験を積んでいるんだ、初期教育を終えたばかりの新人にそこまで心配される謂われはない!!」

「良いではないか、澤島。ここはサマの可愛い後輩に花を持たせてやっても」

「人事局長、しかし……っ!」

「くどいぞ。それにサマの案よりは何倍も面白くて、それに現実的だ。意見があるのなら、何か代案を出すのが筋だと思うが?」

「……だったら、お願いがあります!」


 逡巡を振り切ったマナトが、意を決した表情で天城家の幹部を見詰める。


「ナオヤの案を認めます……悔しいですが、すぐには代案を出せそうにはありませんから。ですが、その代わりに僕も実戦訓練に参加させてください!」

サマも、だと?」

「戦力にならないと言うのなら、今回の実戦訓練でその認識を覆してみせましょう! それに後輩に舐められたままでは引き下がれません! 界術師の先輩として、『トラいん』のリーダーとして、僕は自らの価値を示す必要がある!!」

「……良いだろう。他の者も異論はないな?」


 革張りのソファに深く腰を掛け直した人事局長は、トラのメンバーを睥睨してから、


「『タカみや』との実戦訓練には、さわしままなきりさわなおの二名が参加するものとする。両名とも、くれぐれも失望だけはさせてくれるなよ?」

毎週火、金曜日20:00に最新話を投稿します!

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