004 / 北風と花曇り
【4年前 12月】
古びた焼却炉の煙突から伸びているのは、薄く、長い、煙。
灰色の冬空に昇っていくそれを、茫洋とした少年が眺めていた。
切れ長の目許を隠すくらいに伸びた黒髪に、幼い年齢には似合わない鋭い顔付き。黒々とした瞳は、超えてきた死線の数を物語るように深くて昏い。細い体付きなのに弱々しさを感じさせない凄然とした佇まいは、まるで達人のみが扱える業物みたいに見えた。
塗装の剥がれた焼却炉は酷く錆び付いていて、今にも朽ち落ちそうだ。それでも自分の仕事は全うするつもりなのか、近づいてみると冬の寒さを消し去る熱を放っていた。
金属製の胎内で赤々と燃えているのは、仲間の死体だ。
今日は一段と寒くて、吐息は煙よりも白い。鋼色の空も感情を無くしたみたいに寂然としていて、世界から色彩が失われたのではと心配になる。ついさっきまで一緒に戦っていた仲間の事を想えば、最期の日くらい青空だったら良かったのにと考えてしまった。
「君は、随分と仲間想いなんだね」
背後の森から聞こえてきたのは落ち着いた声。
木立の合間から歩み出たのは、右腕だけで松葉杖を付く男性だった。
キリリと整った中性的な顔立ちに、紫金石の瞳が輝く優しげな眼差し。頭頂部から溢れ出すように伸びるのは、薄藤色のウェーブした長髪だ。病的なまでに白い肌と、やつれたみたいに痩けた体付きは、思わず支えたくなる程に弱々しい。それでも折れない芯を感じさせる佇まいは、歩んできた人生の壮絶さと、培ってきた自信を物語っているようだった。
「訓練中のミスで命を落とす事なんて珍しくもないんだ。仲間の死体を焼くのは、何もこれが初めてではないだろうに。そのまま何時間もそうして突っ立ているつもりかい?」
片方だけの松葉杖を器用に使って、長身痩身の男が近づいてくる。
外見だけでは年齢が判断できなかった。落ち着いた物腰や草臥れた雰囲気からは四十代を思わせるが、女性的な顔付きやきめ細かい肌艶のせいで確信が持てない。ブラウンのダッフルコートで身体のシルエットを隠しているのも関係しているかもしれない。
「……ずっと、後悔をしていました」
重たい灰色を見上げたまま、少年はゆっくり口を開いた。
「もっと俺が早く気付いていれば、こいつは死ななくても済んだ。俺には助けるだけの力があるのに、手を伸ばす事すらできなかった」
「傲慢だね、まるで自分なら何でもできると言わんばかりだ」
「仕方ないでしょ、そう教育したのは貴方のような大人達なんですから」
「……適格者、かい?」
ぴくり、と錆び付いた焼却炉を眺める少年の肩が動いた。
「僕が上官ならそんな風には扱わないんだけどね。いくら適格者が十年に一人の逸材とは言え、実際はまだ12歳の子どもなんだから」
心地よく鼓膜を振るわせるテノール声で言い切ると、痛めた足を庇うぎこちない動作で、少年の隣にあった切り株に腰を下ろした。
「さて、これは僕の持論なんだけど」
白い吐息と共に語り出したミステリアスな男性に、少年は怪訝そうな眼差しを向ける。
「どれだけ辛い現実に行き当たったとしても、後悔だけはするべきじゃないと思うんだ。例えば、自分の力不足が原因で仲間を死なせてしまったとしてもね」
「……喧嘩を売っているんですか?」
「そう身構えないでくれ、ただの雑談なんだから。君の意見を素直に言って欲しい」
「不可能ですね、そんなの。ただの理想論です」
ムッと眉根を寄せて、語気を強める。
「他にも選択肢はあったし、無限に可能性はあったのに、よりにもよって最悪な結末に辿り着いた。納得できる訳ないでしょ。どうやってこのふざけた結果を受け入れろって言うんですか。俺が目指したのは、こんな『今』じゃなかったのに」
「こんな『今』じゃない、か……それは必死に戦って、それでも敗北した人間の言葉だね」
噛み締めるように呟くと、胡散臭い男性は紫金石の瞳に優しげな光を浮かべた。
「だけど、なるほど……少しだけ君の事が分かってきたよ」
「……?」
「君の成績が異常な理由さ。普通は三年以上掛かる訓練課程をたった一年で終わらせてしまった。身の危険を減らしたり、集団の中で目立つリスクを抑えるなら、力を抜いて周りに合わせるべきだ。それくらいの調整は朝飯前だろうに、君は全力を出して訓練に臨んでいる。その理由が見えてきたのさ」
神妙な顔で告げると、疎らに下草が群生した地面に松葉杖を突いてゆっくり立ち上がった。
「多分君は、どこまで行っても『今』を受け入れられないんだ。後悔が残っているせいで、眼前に突き付けられた『今』を認めれない。だからこそ、その醜い『今』を少しでも良い物にするために全力で足掻いているんだろ?」
「……悪いですか? そんな動機で」
「いやいや、逆さ。むしろ安心したんだよ。君は噂と違って熱い心を持っているって分かってさ」
「噂?」
「他者の事など顧みず、ただ機械のように結果を積み重ねる天才。君ね、天城家上層部からそんな風に言われてたんだよ?」
「勝手な言い分ですね、俺の事なんて何も知らないくせに」
不満げに口許を歪ませて、黒い瞳に錆びた光を浮かべる。悲しさと諦めが混じった表情は、日に焼けた絵画みたいに色褪せていた。
「……父さんが、よく言ってたんですよ」
白い息を吐き出しながら、足元に生えていた雑草を千切る。
「『今』を変えなければ、望む未来は手に入らない。明日からじゃない。今日を変えられない腰抜けは、いつまで経っても昨日に囚われた愚か者だって」
「素晴らしい考え方だ。だけど、その……」
「ええ。何年も前に殺されてますよ、母さんと一緒に。だから俺は、この施設に入るしかなかったんです」
雑草を持ち上げて、体の芯まで凍て付かせる北風に乗せてみる。僅かに飛翔して、すぐに地面を滑った。
「あの二人が具体的に何をしていたのかは知りません。でも、界術師の素質に目覚めた俺をラクニルに入れずに匿っていた時点で、相当きな臭い事に関わっていた事は想像できます。はっきりしているのは、納得できない『今』を変えるために戦っていたって事だけです」
「だったら君は、納得できない『今』を変えて、どんな未来に辿り着きたいんだい?」
「……分かりません」
黒い瞳を伏せて、冷え切った地面を無意味に見詰める。
「でも、後悔ばかりの『今』を積み重ねても、何も手に入らない事だけは分かります。天城家の飼い犬になって、誰かの正義の為に手を汚す? 冗談じゃない。俺の命をどう使うかは俺が決める。その為には、いつまでもこんな場所で燻ってる訳にはいかないんですよ」
「なるほどね、そういう事か」
中性的な雰囲気の男性は、神妙な顔で頷いた。溢れ出したように腰まで落ちる薄藤色の長髪が細かく揺れる。
「難儀だな、君の心は大きな矛盾を孕んでいる。だけど、その矛盾を乗り越えた時に、君は望む未来を知るんだろうね。まあ、その話はまた今度にしよう。安心してくれ、機会ならたっぷり用意できるのだから」
ミステリアスな男性は右腕に持った松葉杖に体重を預けつつ、表情を引き締めて少年を見詰めた。
「適格者――霧沢直也君」
少年は――霧沢直也は、冷め切った視線を男性に向ける。
「初期教育の修了おめでとう。生存率一割の過酷な試練を乗り越えた君は、晴れて『虎』の一員だ。見習いとは言え、実際に裏社会の現場で活動できるだけの資格を手に入れた訳さ。これからは自分の為だけではなく、社会の為にその力を振るって欲しい」
「なら、やっぱり貴方が?」
「僕は灰汐航。想像通り、これから君の『管理官』になる人間だよ。そうだね、僕の事は気軽に『先生』とでも呼んでくれ」
× × ×
【3年前 4月】
集中力によって何倍にも引き延ばされた刹那に響いたのは、力強く地面を蹴る音だった。
鮮やかな剣捌きで上段に構えられた幅広の大剣。猛烈な危機感に苛まれて、霧沢直也は反射的に背後にステップした。
相手の少年が掲げた刃が溶鉱炉じみたオレンジ色を帯びる。直後、空間ごと叩き割るように振り下ろされた。唸りを上げる一撃によって乱風が吹き荒れて、足下の雑草を放射状に広げる。
それで止まらない。
相手の少年は手首を捻って刃を上に向けた。ステップで距離を取ったナオヤへ躊躇なく踏み込み、地面ごと抉りながら幅広の大剣を振り上げる。橙色の光芒で円弧を描きつつ、人間など簡単に両断できそうな凶刃が化け物の牙のように迫り来る。
「……っ!」
それでも、前に。
鍔のない長刀を構え直して、足下から跳ね上がる大剣の軌道を無理やり往なす。反動で僅かに左にぶれた重心を戻しつつ、刀の柄に嵌め込まれた界力石に界力を流し込んだ。
黒い水晶を加工したような刀身が、焼きを入れたみたいに紅く染まる。
一閃。
体勢が崩れた相手の懐へ肉薄し、突風よりも鋭い斬撃を放った。
「くそっ!!」
顔を顰めた相手の少年は、幅広の刀身を掲げる事で辛うじて防いだ。顔の横で火花のように飛び散る赤と橙の光芒。だが、次に繋がらない。仰け反らないよう踏ん張ってはいるが、上体は完全に起き上がっていた。これでは少し押すだけで背中から倒れてしまう。
ナオヤは軸足を地面に突き刺し、腰を捻って一回転。小さな竜巻と化した横凪ぎの一撃を、防御のために掲げられた大剣に叩き付ける。
ガッッッキン!! と。
石同士をぶつけるような硬質な炸裂音が、周囲の木立で反響した。
大剣を持っていた少年が冗談ではなく数メートルは吹っ飛ぶ。下草の上を何度も跳ねて、土埃を舞い上げながら止まった。
「……はあっ、はあっ、降参だ、ナオヤ」
ごろんと仰向けに寝返りを打った少年が、額に汗を浮かべつつ切れ切れに告げる。
一息付いたナオヤの体から赤い界力光が霧散した。黒い水晶を加工したような刀身からも輝きが薄れていく。辺りはいつの間にか流れ込んできた春の穏やかな陽気に飲み込まれいた。
鍔のない長刀を腰に掛けた鞘に収め、寝転んだまま荒い呼吸を繰り返す少年に近づいて行く。
「大丈夫か、カゲハル? 最後、結構イイのが入ったけど」
「舐めるなよ小僧が。これでもナオヤより一年以上長く『虎』で経験を積んでるんだ、この程度じゃヘバらねぇよ」
ナオヤが差し出した手を握って上体を起こしたのは、大柄で朗らかな少年だった。
引き締まった無駄のない体躯に、目鼻立ちがクッキリとした野性味を感じる相貌。先端が跳ねた赤っぽい短髪で、頬の隣では銀のイヤリングが輝いている。見た目だけなら深夜のコンビニに屯する不良少年なのだが、裏表を感じさせない快活な印象のおかげで近づきにくさは感じなかった。
細脇景玄。
昨年から天城家の施設『虎の院』に配属された界術師で、年齢的に見ればナオヤから三つ歳上――16歳の先輩。出会った初日に敬語は使わないでいいと言われた事もあって、歳の差を感じさせない気の良いお兄さんだ。
「くそ、どうしてナオヤに勝てねぇんだ。細かい技術力は俺の方が上だってのに」
「単純に出力の問題じゃないのか? 実力の一色差は大きいと思うけど」
「だとしてもだ! 三つも歳下の新入りに涼しい顔のまま戦われちゃ先輩として立つ瀬がねぇよ……剣捌きとか身体強化には自信があったんだけどなぁ」
天城家の界術師が扱う方式は『召喚術式』。記憶次元に保管された怪物――界力獣を使役して戦わせる界力術である。
界力獣は非常に強力な駒だ。
人間を遙かに凌駕する巨体による火力は凄まじい。何も対策を取っていない相手なら、怪獣映画で蹂躙されていく住民みたいに余裕で蹴散らせるだろう。
だが、戦闘を界力獣にだけ任せる訳にもいかない。
第一に、界力獣と術者の間には感覚共有と呼ばれる繋がりがある。界力獣の受けたダメージの一部が術者に跳ね返ってしまうのだ。それにいくら強力無比な界力獣と言えども、対策を取られたり、格上が相手では、倒されてしまう可能性がある。そもそも術者本人が狙われた時に対応できなければ話にならない。
よって、界力獣に頼らなくてもある程度は戦えるようになるために、初期教育の段階で本格的な戦闘訓練を行う。自分に合った武器や武術を習得し、戦闘力の底上げを行うのだ。
「ただの近接戦でこの様じゃ、界力獣を召喚されちゃ手も足も出ねぇな。せっかく生存率一割の地獄を生き残ったってのに、こんなんじゃいつまでも経ってもまともな仕事が貰えねぇぞクソッタレ」
「カゲハルは任務を受けた事があるのか?」
「ああ、何度かな。『八咫烏』って天城家の精鋭部隊は知ってるだろ? あの人達の任務に同行したんだ、金魚の糞としてな。討ち漏らしの雑魚を何人か仕留めたりもしたが、あんなの俺の手柄じゃねぇ。情けねぇ姿を晒し続けてたら何年も見習いのままだ。必要なくなって、捨て駒として使われるまでな」
つんと唇を尖らせたカゲハルは、不貞腐れたようにそっぽを向いた。
生存率一割の初期教育を修了すれば『見習い』となり、界術師として現場に出る資格を貰える。そして出荷前の最終調整を行うために、高等訓練施設『虎の院』か『鷹の宮』のどちらかに配属されるのだ。
「適格者、か」
胡座を掻いたカゲハルが、心地よい下午の春風に揺れる雑草を撫でながら、
「なあナオヤ、界力演算領域が常人の三倍に広がるってどんな気分なんだ?」
「急に広がった訳じゃないから説明するのは難しいけど……うーん、譬えるなら急に体力が増える感じかな」
「?」
「ランニングでもう無理って思った瞬間に、まるでゲームみたいに体力が回復するんだ。肺が楽になって、足の痛みが消えて、まだまだ走れるようになる感じ」
界術師は精神内にある『保管領域』と『構築領域』――合わせて界力演算領域と呼ばれる場所で、術式を構築して発動までのプロセスを完結させている。界力演算領域の容量や性能には個人差がある。様々な要素が複雑に絡み合って界力光の色が変わるため、実力という指標に繋がっているのだ。
「界力演算領域の拡大に気付いたのも偶然だったよ。健康診断じゃないと自分の身長の変化に気づかないのと同じさ。始めの変化は今まで苦労して発動してた界力術を楽に使えるようになった事。負担が減ったって感じかな? 新しい術式も覚えやすくなって、変に思って医者に診てもらって、それでやっと分かったんだよ」
「要するにチートって事か。性能も容量も強化されるって卑怯だろ。何世代も違うパソコン同士で計算の速さを競うようなモンだ。勝ち目なんてねえよ」
「三倍の界力演算領域を完璧に使いこなせたら、な」
「なに?」
憂さ晴らしに雑草を毟っていたカゲハルが眉間に皺を寄せた。
「無茶な改造で三倍の速度が出るバイクに乗ったとして、三倍の速度で運転するか? 不可能だ。制御不能になって事故を起こすだけだよ」
「なら、三倍の界力演算領域を丸々使ってる訳じゃねぇのか……?」
「今の段階じゃ150%が限界かな。全開の300%には程遠い」
「おいおい勘弁してくれよ……それが本当なら素のスペックで負けてんじゃねえか」
カゲハルはがっくりと肩を落として、大きく息を吐き出した。
「やっと見つけた!」
森の方から声が聞こえた。
見てみれば、一人の少女が腰に手を当てて眉尻を持ち上げている。
木漏れ日みたいな暖かさを感じさせる少女だ。
女性らしい丸みを帯びたシルエットに、柔らかそうな頬に触れる程度のショートカットで、前髪を押えるように黒いカチューシャが乗っている。慈愛に満ちた眼差しは教えを説く聖職者のようで、修道服だって違和感なく着こなせそうだ。顔立ちや声音だけなら15歳という年齢相応なのだが、何故か『お母さん』という単語が浮かんできてしまうから不思議である。
桜小路絢萌。
ナオヤと同時に『虎の院』に配属された見習い界術師だ。
「二人とも、こんな時間まで何してるの! 今日は大切な会議があるから早めに戻って来てって言われてたでしょ!!」
「そんな事、言ってたっけ……?」
「もう! 今日は本家から偉い人も来るんだから、遅れたら怒られるだけじゃ済まないよ!!」
「そうガミガミ怒るなってアヤメ、気を付けねぇとその歳から小皺に悩む羽目になるぜ」
「むかっ……カゲハル、夕飯抜きね」
「ま、待ってくれって、ちょっとしたジョークじゃねえか! ほら、ナオヤも行くぞ! あんまりからかい過ぎるとマジで夕飯を抜きにされちまう!!」
カゲハルが幅広の大剣を肩に担いで走り出す。何やら言いたそうなアヤメを横目に捉えながら、ナオヤもその後を追った。
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