悪役令嬢、療養する。
オフィーリア視点
病は、容赦なく進行していた。
手足は肩と太ももの付け根近くまで黒く硬化し、かつて感じていた痺れすら、今では遠いものとなっている。
腕も、脚も、もう何の感覚もない。
腕を動かすことすら叶わず――
今のオフィーリアは、一人では何もできなかった。
それでも。
丁寧に世話をしてくれるマリアンと、診察と処置を続けてくれるカール医師の存在が、確かに支えになっていた。
窓を開ければ、潮風が磯の香りを運んでくる。
幾つものクッションに体を預け、上体を起こしたオフィーリアは、穏やかに海を眺めた。
「一人で旅に出ようなんて……本当に無茶だったわね」
自嘲気味に小さく笑う。
あの時の自分は、あまりにも無謀で、無計画だった。
「何を笑っているの? 楽しいことでもあった?」
ちょうど部屋に入ってきたマリアンが、不思議そうに首を傾げた。
「ええ、とても」
「なぁに? 私にも教えて」
「大したことではないの。ただ……自分が、世間知らずの箱入り令嬢だったのだと思って」
「それは仕方ないわよぉ。侯爵令嬢なんて、私たちからしたら雲の上の存在だもの。住む世界が違うんだから」
気負いのない言葉に、ふっと肩の力が抜ける。
「……ええ、違うわね」
「でもね、高位貴族は高位貴族で大変そうだなって思うわ。責任とか色々あるんでしょう? はい、これお薬」
差し出された小瓶を見て、オフィーリアは微笑む。
「何度も聞くようだけど、この薬は試作品で効くかどうか分からないし、万が一だけど副作用や悪影響があるかもしれない。それでも、本当にいいの?」
マリアンとカール医師は、文献を漁り、有識者を訪ね、さらには隣国にまで手を伸ばして、この病を治す方法を探してくれている。
その事実だけで、十分すぎるほどだった。
「ええ、もちろん。私の体で試すことで、同じ病に苦しむ人の役に立つかもしれないでしょう?」
「もう、リアってば……本当に人のことばっかり」
「お人好しの代表みたいな貴女ほどではありませんけどね」
視線を合わせて、小さく笑い合う。
マリアンに手伝ってもらいながら薬を飲み、静かに横になる。
男爵領に来て、二ヶ月。
思いのほか穏やかな日々が続いていた。
「ねぇ、マリアン」
「なぁに?」
身の回りを整えていたマリアンが手を止め、顔を上げる。
「私は……上手くやれたかしら」
婚約解消を告げた、あの日。
体はすでに限界に近かった。
指先はティーカップすら持てず、歩くこともままならない。
リンドールの視界から外れた瞬間、崩れ落ちた。
侍女に変装していたマリアンがすぐに支え、垣根の影へと連れて行ってくれなければ、人目に晒されていただろう。
あれが、限界だった。
「……ええ。きっと大丈夫。大丈夫よ」
優しく、言い聞かせるような声。
「マリアン」
「なぁに?」
「ありがとう。貴女と友達になれて……本当に嬉しかった」
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、マリアンの表情が崩れた。
けれどすぐに、いつもの明るい笑顔に戻る。
「なぁに急に。でも……私もよ。リアと友達でいられて、とても嬉しいわ」
そっと触れられた手。
肩に置かれた手。
本来なら、何も感じないはずなのに──
不思議なことに、その温もりだけは確かにある気がした。
ここに来てから、少しずつ。
死へ向かうための、心の整理をしている。
それでも。
胸の奥に残り続けるのは、リンドールのことだった。
──彼は、私のことを忘れて、前に進めているだろうか。
──婚約解消の手続きは、滞りなく済んだだろうか。
指にはまった指輪を見下ろす。
感覚はもうないはずなのに、その指だけは、何処かに繋がっているような気がした。
願うことが許されるなら。
夢の中でいい。
もう一度だけ、声を聞きたい。
そんな想いを胸に、オフィーリアはそっと目を閉じた。
潮騒と、かすかな香りに包まれながら──
遠く、彼の声を聞いたような気がした。
オフィーリア視点はここで一旦終了です。
明日からリンドール王太子視点のオフィーリア逃亡の裏側が始まります。
続きもよろしくお願いします。




