第3話
俺は店の裏口へ向かって、細い手首をがっちり掴まれたまま、店長に半ば引きずられるように連れて行かれていた。
引っ張られている途中。
カウンターに置かれたままだったエスプレッソをひょいと掴み取る。
「ずずっ……んー。やっぱ美味いなぁ。」
「今コーヒー飲んでる場合!?」
「はい。」
店長――佐藤 美和子は呆れたようにため息をつき、前を向いたまま小さく呟いた。
「……はぁ。本当に変な子。」
慣れてるんだよなぁ、こういう扱い。
***
「ほらほら、早く!」
店の裏口を飛び出した美和子が、振り返りもせず叫ぶ。
外は、まさに阿鼻叫喚だった。
悲鳴を上げながら逃げ惑う人々。
その流れとは逆方向へ、防具を身につけたハンターたちが険しい表情で駆けていく。
「はぁ……長生きなんてするもんじゃないわねぇ……。」
胸を何度も撫で下ろしながら、美和子はため息を漏らした。
ようやく店も軌道に乗り始めたというのに。
よりにもよって、このタイミングでゲート発生。
運が悪いにもほどがある。
身寄りもなく、小さな身体で一人懸命働くシノが不憫で雇ったのだが、その子が驚くほど仕事を覚えるのが早く、ようやく店も安定してきたところだった。
神様も本当に意地が悪い。
どうか。
何千万も注ぎ込んだこの店だけは、ダンジョンブレイクでめちゃくちゃにされませんように。
そんな願いしか浮かばなかった。
「シノちゃん、お家どこなの? この辺で別れましょう。明日は無理して来な――」
そう言いながら後ろを振り返った美和子は、言葉を失った。
「……え?」
そこにいるはずの、小柄な銀髪の少女がいない。
「シノちゃん?」
周囲を見渡す。
「シノちゃーん!」
返事はない。
聞こえるのは人々の悲鳴と足音だけだった。
「ちょ、ちょっと……あの子どこ行ったのよ!?」
胸が締め付けられる。
探しに戻りたい。
けれど逆流する人波の中を一人で戻る勇気はなかった。
「お願いだから……無事でいてよ。」
祈るように呟き、美和子は避難する人々の流れへと身を任せた。
***
俺は店の裏口近くの壁にもたれ掛かりながら、エスプレッソをちびちび飲んでいた。
「ずずっ……。」
もちろん逃げ遅れたわけじゃない。
目的はただ一つ。
あのゲートを近くで観察するためだ。
「やっぱり気になるよなぁ。」
渦を巻く空間を眺めながら、小さく呟く。
俺が使っていた『ゲート』とは、どうにも構造が違って見える。
猫カフェを開いて、猫を撫でながら余生を送る。
そんな平和な夢を抱いてはいるが、本質まで変わったわけじゃない。
二十年以上、魔法だけを研究し続けてきた十一サークル大魔導士。
その好奇心だけは、死んでも治らなかった。
「ふーん……基本構造は似てるけど。」
俺のゲートが精密機械なら。
あのゲートは巨大な斧で空間をぶった斬ったような粗雑さがある。
検索サイトで「生きたまま中へ入れる」と知ってから、ずっと気になっていた。
中はどうなっているのか。
魔力はどう流れているのか。
……実際に見てみたい。
「……もっと近くで見たいな。」
思わず本音が漏れた。
正直、こんな機会は二度とない。
目の前でゲートが開く瞬間なんて、そうそう拝めるものじゃないからだ。
ニュースで見た限りでは、ゲートへ立ち入れるのは国から認定を受けた覚醒者――いわゆるハンターだけ。
一般人は近付くことすら厳しく制限されるらしい。
だが。
今は違う。
ゲートはまだ完全には安定していない。
ハンターたちも、ここへ到着するまでまだ少し時間がある。
つまり今だけは。
合法的に。
……いや、厳密には違法なんだろうけど。
バレなきゃセーフ。
「よし。」
俺は飲み干した紙コップを適当に地面へ置いた。
「行ってみるか。危なそうだったら、そのまま引き返せばいいだけだし。」
普通の転移ゲートなら、入るのも出るのも簡単だ。
もちろん俺の『魂転移ゲート』は別物だった。
あれは魂そのものを別次元へ送り飛ばす代物。
戻るなんて概念は存在しない。
だが、このゲートは違う。
どう見ても通常の転移型だ。
「ま、何とかなるだろ。」
近所を散歩でもするような気軽さで、俺はゲートへ向かって歩き始めた。
「ふん♪ふふーん♪」
鼻歌まで歌いながら。
そのまま渦の中へ足を踏み入れる。
***
ブゥゥゥン――――。
耳障りな振動音が鼓膜を震わせた。
同時に世界そのものが大きく歪む。
「うわっ……。」
思わず顔をしかめる。
俺の使っていた十一サークル魔法が、高級魔導機関車のような滑らかな転移だとすれば。
このゲートは違う。
あまりにも雑。
身体を巨大なミキサーへ放り込み、一度ぐちゃぐちゃに砕いてから目的地へ流し込む。
そんな乱暴な転送だった。
「うぇ……気持ち悪……。」
軽く酔った。
「設計した奴、誰だよ……。俺なら魔法学院一年からやり直させるぞ。」
文句を言いながら目を開く。
そして。
「……おぉ。」
思わず声が漏れた。
さっきまでいた都会は跡形もなく消えていた。
排気ガス。
サイレン。
人混み。
そんなものは何一つない。
代わりに広がっていたのは。
天を突くほど巨大な樹木が無数に立ち並ぶ、原始の大森林だった。
一枚一枚の葉が人間ほどもある植物。
見たこともない色鮮やかな花々。
遠くから響く鳥とも獣ともつかない鳴き声。
幻想的ですらある景色。
だが。
俺の心を震わせたのは、そんな景色じゃない。
「……これだ。」
肺いっぱいに息を吸い込む。
その瞬間。
全身に電流が走った。
「っ……!」
空気そのものが違う。
身体中へ流れ込んでくる、この冷たく鋭い感覚。
間違いない。
魔力だ。
半年。
半年もの間。
魔力ゼロの世界で干からび続けていた俺の魂が、一瞬で潤っていく。
「ははっ……!」
笑いが止まらない。
いや。
ただ魔力があるってレベルじゃない。
濃い。
濃すぎる。
俺が生きていた世界でも屈指の魔力地帯だった古代遺跡。
あそこよりも。
さらに濃密だった。
まるで女神がこの場所だけ魔力を丸ごとぶち撒けたみたいに。
空気そのものがマナで満ち溢れている。
「……最高じゃないか。」
自然と口元が吊り上がる。
半年ぶりだ。
ようやく。
ようやく魔法が使える。




